雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

死ぬかと思うくらい働いた

  夏の記憶がない。

  就職して2年目の上半期、丸々とにかく働いた。9月までがかなり忙しくて、休みもなく、毎日残業オンパレードだったから、人間ってこんなに働けるもんなんだって思った。

 今は少しだけ落ち着いてきたタイミングで、渦中にいた時毎日考えていた色んな記憶も感情も薄れてきている。まだまだ咀嚼できていない直近のできごとだけど、記録しておこうと思う。

 多忙だったのは4月、5月、6月、7月、8月、9月で、とくに7月から9月にかけては家には寝に帰っているようなもんだったし、友達との約束も反護にしちゃったりして、人生が仕事に食われている様な気がしてきた。特に5月から6月にかけては人間関係のトラブルもあり、解決していないので実際の負担以上に「負担感」は大きかった。特に7月をコロナでつぶしてからは身体もきつくて、訳が分からない状態で、自分のリズムが崩れっぱなしだったんだと思う。

 

 たぶん、私は実際の仕事の重さより、もっと重さを感じていたと思う。かなり大きいプレッシャーだった。新人で訳も分からないなかやっていたこともそうだし、人間関係のトラブルもそう。ドツボにハマって休めなくなったところで、8月から9月にかけては何とか出勤しているけれど、自分の席で固まっている時間の相当長かった。自分の席で硬直している時間、何もできないし、時間の無駄だなと思うんだけれど身体が動かなくて、一点だけをぼんやり見つめることしかできなかった。本当につらかった。

 

 あれは適度に休養を取ったほうが絶対に効率も上がったとは思う。実際に「病院に行った方が良い」と言われていた。でも休んだらもう戻れない気がしていたし、1日休んだくらいで回復しないのに1日分の仕事がたまるのが恐怖だった。病院だってこんな忙しい時に予約戦争に飛び込んで、無理くり予定をこじ開けて通う気力もなかった。そもそも7月に新型コロナウイルスで休んだ分の仕事が溜まっていたので、ますます休める気がしなかった。そうなってくると、うまくやれない自分に死にたくなるし、「無能でごめんなさい」って思ってた。自分が死ねばわたしの先輩が主担当者になるので、そのほうが良いんじゃないかって思った。例えるなら、暗闇の中を歩かされているのに突然殴られるような日々だった。反省点も不満もかなりある。実際の「負担」より、私が感じていた「負担感」がどうして重かったのか。自分なりの結論は出ているのだけれども、ここで書くことが自分の為になるとは思えないので、全部割愛する。

 

 一つ言えることには休職を本気で検討しながらも、私はなんとか生き残ったということ。それから、自分が精神的に参ってくると自分のメンタルにばかり気を取られてしまうけれど、実際にはたくさん助けてくれた人がいたってこと。なにより、私はいま、ずっとやりたかったことを仕事にできていて、その輝きは最後の踏ん張りになったって言うと

 8月・9月と基本給を上回るレベルで残業代をもらったけれど、給与明細を見て嬉しく思うより、やっぱりやりがいの方が自分の原動力になってしまったなと思った。だからいわゆる「やりがい搾取」って問題は成立してしまうんだと思う。

 

 さらに言うと長時間労働自体がきついというよりも、いろいろとコントロールできない状況がきつかった。残業80時間が過労死ラインなのは理にかなっているなと思った。長時間労働だけでは死なないけれど、長時間労働で自分のリズムを整えられなくなると、様々なストレスに耐えられる状態ではなかった。正直、今年の上半期に起きた様々な出来事は職場の見え方、仕事への姿勢が変わるだけの強烈な体験だったし、今でも全然咀嚼できていない。

 

 とにかく限界生活だったけれど、7時間睡眠を死守したことが何とか生き延びられたポイントだったと思う。長時間労働しているとき、一番気を遣っていたのは睡眠だった。24時まで働いて、24時半に帰宅し、25時半には寝ていた。朝は8時10分まで寝て、8時20分に家を出て、8時30分の始業に駆け込んでいた。

 コツは夕食を家で摂ろうと思わないことと、持ち帰り仕事を一切しないこと。この論文は家で読もうかなとよぎったこともあったけれど、家を完全に休息の場として認識することを死守した。気分転換にカフェで関連の本を読んだりはした。

 今年度の上半期が忙しくなるのは就職した瞬間から分かっていたことだったから、睡眠時間が確保できるように、職場近くに引っ越していたことも良かったし、ありがたいことに一人暮らしのアパートに母が家事をしに来てくれたり、友達と1時間だけでもランチしたりした。それから大好きな先輩がだいぶ支えてくれたことは何より大きかった。

 深夜にしか帰宅できないから洗濯機をまわす時間がどうしても作れなくて、週に1度洗濯機をまわすためだけに1時間の有休をとっていた。自分ではギリギリの生活だったけれど、霞が関の人は「200時間越えの残業時間で家に帰る時間がないからコンビニで買った下着だけが増えていく」という話を聞いて、これが200の世界線かってぼんやり思っていた。

 

 でも、こういう生活を毎日、数か月続けていると、今度は寝ても寝ても徹夜みたいな身体のだるさがついてまわるようになった。私はよく忘れがちだけど、身体は脳を運ぶためだけにあるってわけでない。デスクワークが中心だと、過重労働が容易に成立してしまうが、実際には身体への負担も大きいのだろう。1年前と比べて健康診断の結果が全て悪化していた。7月からずっと微熱が下がらず(いまも測ったら37.4℃ある)ずっとふらふらしていた。長時間労働について考えたくて、出張の移動時間には身体論の本とか手に取っていたけれど、慢性疲労に負けて5分で睡魔におちていた。

 

 20代も後半に差し掛かっているけれど、キャパシティーって今からでも大きくなると思いますか?っていうのも、激務の中考えていたことだった。

 キャパオーバーしていると余裕がない分自分の性格が悪くなっていって、わたしとしてはめいいっぱい頑張っているのに、在りたい自分から遠ざかっていくっていうのも、きついことだった。

 実際、乗り切った手段はない。今回だってぎりぎりで何とかなったから良いものの、何かが少し違ってたら全然違う現在だったかもしれない。正直、こわい。

 この約半年の経験、もちろん自分のプラスになったことはたくさんある。出張にたくさん行けたことも良かったし、すごい経験ができたと思う。でも、それだって健康であることが大前提である。現在進行形のことだし、どこまで書けるかというと書いて(公開して)自分の利になるようなことはないと認識しているから、これ以上のことは書かない。ただ私にとっては強烈な経験だったとともに、前に進むためにもこの経験をどっかでちゃんと腑に落としたいんだった。