雑記帳

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ラオス研修8日目 思ったこと

ラオス研修8日目 おもったこと2013.08.01

 


 セタティラート病院、それからIV-JAPANで思わずにはいられなかったことがあります。少し、そのことについてまとめたいと思います。

 私達が今泊まっているホテルは、とても綺麗なホテルです。日本でも中流としてやっていけるかもしれないとも思うほどです。また、私達が食事するレストランのなかには「高級」の香りがするものもあり、どれも料理のレベルは高いです。綺麗な道路もあります。街中には噴水もあり、憩いの場となっています。巨大ショッピングモールのようなものもあるのが、ビエンチャンです。そのようなことから、私はビエンチャン市内を見渡したとき、この国が「最貧国」と呼ばれる意味がよく分からないと思っていました。

 

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 でも、この日の見学(セタティラート病院・IV1-JAPAN)でラオスがたくさんの国から支援を受けていることを知りました。そして、支援漬けの状態であるとも。それって、良いことなのでしょうか?私は思いました。この国は一見豊かそうに見えても、ラオス自体の国力はないのではないか?と。中村さんが教えてくれました。「ラオスの国家予算の半分以上が他国からの援助である。また、ラオス以外の途上国を見ても、外貨収入を出稼ぎの税金に頼ったりしている」と。なんとなく、国力の空洞化という言葉を思いました。本当にためになる支援はどうしたら良いのでしょうか。毒にも薬にもなりえるのが、国際協力だと私は思います。なら、日本の支援はどっちなのでしょうか?もし、毒だったらどうしたら良いのでしょうか?


 セタティラート病院では、日本からのCTがありました。でも、その1つは壊れていて使い物にならないそうです。高価なものだというのに、メンテナンスがうまくできない国ですから、壊れてしまうのも早いのです。また、一回のCT検査量は50US$。この国の現状を考えたとき、それは明らかに高いです。利用できる人はごく一部でしょう。

 国際協力のバランスをとることはとても、難しいです。この国の今を思うと、そのバランスが取れていないのが現状でしょう。しかし、だからといってラオスや日本だけが悪いとはいえません。きっとバランスが取れていないのは世界中なのです。ラオスの例をとっても、ラオスが支援漬けだからといって、日本は支援をやめますか?明らかに困っている人もいるから、支援自体はやめられないと思います。そういう意味でも、国際協力のバランスはまだ取れていないと考えられるのではないでしょうか?

 第2次世界大戦が終わって、新しい戦争の形ができた。9.11のテロでは、アメリカという国について考えた。インターネットの普及によって、世界中が情報で結ばれた。そういう変化のなかの国際協力です。新しい時代の国際協力とは、どのようなものなのか私は一度、考えたいと思います。

 

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 私は、ラオスの国民性が好きです。ゆったりしていて、隣の国のベトナムとも似つかない雰囲気がこの国にはあります。だから、ずっと好意的に見てきました。でも、今となっては複雑な気持ちです。穏やかでのんびりしている彼らは、危機意識を持っていません。精神的に豊かなことは、この国民性のおかげだとは思います。でも、発展しないこともこの国民性から原因が来ている部分があるのではないかと思いました。日本は資源の無い国です。近現代史をみても、資源を求めて戦ってきたともいえるでしょう。その反対にラオスがあります。ラオスは、自然にも恵まれているので競争せずとも生きてこれたそうです。それは、良いことなのかもしれません。でも、そのようなことが積もり積もってラオスの今があります。この国の将来を考えたときに、失業率や増える犯罪数、いつまでもこのままでいられるとは私には到底思えないのです。


 日本もラオスも知るべきです。この国際協力の現状を。私自身恥ずかしながら、今回のプログラムに参加するまであまり国際協力について考えたことがありませんでした。その反対に、ラオス人は国際協力についてどれだけ知っているのでしょうか。バランスが取れない一因は、理解の少なさにあると思います。 

 


日本をはじめとする支援する側が会議などの場を用いて、工夫していることを中村さんから教えてもらいました。そのような工夫をしているのだから、これ以上どうしたらいい?その答えはまだ見つかっていません。だから、やっぱり考えるしかないのだと思います。国際協力とはどのようなことななのか。日本の立場はどのようなものなのか。考えて、伝えて、また皆で考えて。その先にようやく答えがあるのだと私は信じたいです。