きのこのこの雑記帳

どきどき台湾留学2018.9.1~ 沖縄と民俗と言葉と本と

留学日記 4月20日



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 先週は風邪で寝ていた。今週もまだ体調は本調子ではない。

 そうこうするうちに4月があっという間に過ぎていく。今日、帰宅したら宿舎のドアに「交換留学生は早めに退去届を出すように」というような紙が貼られていた。そう、気が付いたら留学が終わるカウントダウンがはじまっている。台湾大学に居られるのは6月末まで。私が台湾にいるのは7月末まで。

 

 正直言って私の頭の30%くらいは、もう既に日本にある。

 台湾から申請しないといけない教育実習のこと、某奨学金の事後研修の日程調整、それから進路のこと。私は一年後の今、一体どこでどうしているのだろうか。ある程度の計画は、ある。でもそれは確定ではないし、これからの1年は留学を終え、インターンを行い、半年で卒論の調査をしながら、大学で取りこぼしている単位(ぜーんぶ教職関係!)を拾う。アクロバティック履修だと言われ続けてきたけれども、最後の最後までこんなんで自分自身がまいっちゃっている。

 あ、何で留学したのに4年で卒業するの?ってよく聞かれる。色々理由はあるけれど、一番は経済的な理由です。

 

 そんなこんなで、最近すごく焦っている自分がいる。

 毎日まいにち「ああ、今日も無駄に過ごしてしまった」と思っている。これは良くない。できたことと、できなかったことはきっちり整理して考えないと。

 

 

 将来の選択を前にすると、考えることがある。

 どういう文脈か忘れたけれど、友達に「資本主義社会の中で生きなければ、きのこちゃん(私)みたいな生き方も良いと思う」と言われた。私は彼女のことがかなり好きで、彼女も私のことを理解しようとしてそういうことを言ったんだと思う。

 

 その時、私は一ミリも嫌な気分にならなかった。ここで言う「私の生き方」とは、いわゆる「ツブシがきく」勉強ではなく道教のお祭りに行ったり、英語や中国語がうまいわけでもないのに台湾語をやってみたり、趣味と専攻のラインが曖昧で、のんびり構えているような生き方だ。私は確か「そうだよ、私はお金になる英語や中国語より、今いちばん学びたいのは琉球語だからね」と言って笑った。

 

 そうだよ、資本主義社会の物差しで測れない価値はきっと、ある。

 一方でそういう話をして数日、ふと思ったんだった。「私のような生き方は、資本主義の世の中じゃ生きられない?」と。

 だって、私たちは好むとも好まざるとも、資本主義社会の中に取り込まれて生きている。残念なことに実家が太いわけではないので、私が生きる為には働かなくてはならない瞬間が来る。

 

 私は自分がやっていることに対して、経済的な価値もきっとあると思っているんだけどな。具体的に観光業とか諸々挙げることだってできそうだけれども、私が今感じているもやもやはそこじゃない。

 結局のところ、「人文学って役に立つの?」っていう何度も聞いた問題に行きつきそうである。その問いだって、そもそも「役に立つ」とは何かを考えるところからはじめないといけないんだけれども。

 

 「役に立つ」と言えば、高校時代のことを思いだす。何度も書いているように私の母校は、国立大学合格をひたすら目指すような高校でした。大学受験ありきの高校生活。ここでいう「役に立つ勉強」とはすなわち、センター入試が解ける勉強のこと。センター試験が解けたら、いい大学に行けるし、いい仕事に就けるんだって真顔で言ってた。「いい大学って何だ?」「いい仕事ってなんだ?」

 

 今でも覚えているんだけど、いつかの学年集会で進路指導部の先生が、自分の学歴と給料、それから家計状況を見せた上で、「ほら、大卒じゃないと生活できないでしょ?」って話をしていた。うちの親、大卒じゃないんですけど???それでも立派に育ててもらっているんですけど????ふざけんな、って話だ。私は今よりもっとナイーヴだったから、本気で気分が悪くなってトイレに吐きに行った。

 

 そういう学校だったから、同級生には実業高校の生徒をバカにしている子がたくさん居た。「あいつらの人生、終わったよな~」的な。そういう雰囲気が私は大嫌いだったんだった。

 

 高校二年生の頃、私は聞き書き甲子園というものに参加した。

www.foxfire-japan.com

 これは全国の高校生が、各地の名人(これは第一次産業第二次産業に携わる方を指す)を訪ね、取材を重ね、聞き書きという文芸にまとめる、という取り組みだ。

 私は宮古島三線職人の名人を取材した。名人は多くのことを話してくれたし、実際に三線を作る工程も見せてくれた。ただ、何かの拍子に名人は私の高校名を聞き、「机に向かって勉強するより、こうやって手に職をつけた方が絶対に食いっぱぐれない」と言った。これは、私が高校で耳にしている価値観とは真逆である。あまりに正反対だから、笑えてきちゃって、これが私をふと楽にしてくれたのを覚えている。あの高校の価値観は、ある一つの価値観に過ぎないんだと。

 

 世界は広いなあと思ったんだった。今、海外に住んでいるからこそ余計に思うことだけれども、世界の広さは単に移動に比例するわけじゃない。自分の足元だって、広い世界が広がっているのだ。

 

 聞き書き甲子園の経験は、私が民俗学を学ぼうと思うきっかけの一つになった。

 私はこのブログに高校のことをたくさん書いている。それは、私の大学生活のテーマが色んなことから自由になる、ことだからだ。あの息苦しかった高校。高校に適応できずに自分のことを呪った三年間は、今でも自分を苦しめる。誰かが言うことなんて気にしなくてもいいのに、どうしたって気になってしまうのだ。ただ、そこでの葛藤や高校時代の嫌だったことを一つ一つ言葉にしていく作業もまた、私を自由にしてくれる。

 

 

 今、私の周りにはバイリンガルが多い。英語が自由に使えたら世界はさらに広がって、それはとてもとても素敵なことだろうなと思う。言語学習の地道さ、気の遠くなるような道のりは、私が今直面している問題そのものだから、それを乗り越えた人は本当にすごいと思う。私は何とか留学生活を過ごしているけれども、英語も中国語も苦手だから余計に感じる。ただ、同時に彼・彼女たちが英語で教育を受けていた間、私は日本語で教育を受けていたわけで。沖縄の小中高校で子供時代を過ごしていたわけで。

 

 私が母語で教育を受けたからこそ、得たものもきっとあるだろうと思うんだ。英語ほど分かりやすいものじゃないけれど、「役に立つ」ものでもないかもしれないけれど、私の中に積み重なっているものがあると信じたい。

 例えば、私は中学生、高校生と国語辞典を常に持ち歩いていた。(高校は電子辞書だったけど)ふと気になった言葉を辞書でひくと、知らなかった意味や新たな言葉に出会えてそれが快感だった。それから、古典の時間にこっそり歳時記を読むのも好きだった。私が素通りしている季節を、鮮やかに切り取ってくれる季語。歳時記を読んでいると、照り付ける太陽も、激しく吹く風も、全部ぜんぶ魅力になったんだった。中学で初めて漢文を読んで、東アジアの漢文文化圏に感動した。今、100年前、200年前、もっと前の人の体温に触れた、と思う瞬間が確かにあって、私はそれが楽しくてたまらなかった。

 

 私の中学校では、学年末に教科書が終わらないことなんてザラだった。今、私は自分で「英語を話せない」と思っているけれども、中学校の同級生の中では格段に話せる側に居る。というか、私の中学から何人が大学に行ったんだろう。私自身、中学生の頃は大学といえば、地元の国立大学の名前しか知らなかった。しかも自分には到底無理だと思っていた。今ではああやって書いている高校さえも、自分には行けないと思っていたし、実際「あんたには無理」と言われていた。成績が悪かったわけではない。それでも私には無理だと思いこんでいた。

 

 そんなんだから、バイリンガルなんて、高校以前の私の世界では出会ったことのない人たちだ。バイリンガルでなくとも、都会の、私立の学校の話とか聞いていると、「ああ、私が今そういう人達と一緒に居るのは嘘みたいだ」と思う。

 別に妬む気持ちはない。私は彼女たちから色んな刺激を受けているし、大切な子も何人もいる。でも、ふとした拍子に「私は育ちが悪いから~」とか言ってしまう自分が嫌だ。習い事はほとんどしていなかったし、塾にも行けなかった。家族旅行もほとんどない。でも「育ちが悪い」とつい言ってしまったあとに、「お母さんごめんね」と思う。

 

 それでも、私が沖縄で過ごした期間には、都会の私立で過ごした時間やアメリカやインターナショナルスクールで過ごした時間と同じくらいの価値があると信じたい。

 私が抱いている土地への愛着みたいなものは、沖縄で過ごした時間が育んだものだ。私が時の流れに心をときめかすのは、先祖代々の土地に住み、そこで農業を営みながら、土地を大切に、祖先を大切にしている祖父母の姿を見ているからだ。中学の同級生、今会ってもきっとそんなに会話は続かないだろう彼等と机を並べた時間だって、絶対に私の糧になっている。中学校には色んな人が居て、だからこそ大変だったけれど、楽しさもあった。そういうものの全てが、私の武器であるはずだ。

 

 だから、「役に立つ」かどうかの議論は側に置いておいても、私にとって今台湾で過ごしている日々は全部大切なんだ、と思う。

 

 そしてそれは今の社会で別に不必要とされている学びでもないはずだけどな、とも思う。ただ一つ言うのなら、私が今みているもの、聴いているものを表現する力や、下の世代へつなげるような力が欲しい。教育の勉強は、ちょっとそれを意識したものでもあった。

 

 一応これは日記なので、書いておくと、今日は保生大帝という道教の神様の誕生日だったので、保安宮に行ってきました。

 

 

 

 楽しかった。

 道教の神様の世界はとても広く、しかも官僚制、上下関係がはっきりしていて難解だ。神様を参拝したのち、本を読み、ノートにまとめ、また神様に会いにいった。

 

 

togetter.com

 

  今日の私が抱いていたモヤモヤみたいなもの、友達ひとりの発言に端を発しているように見えていたけれど、突き詰めて考えてみれば、台湾で出会っている人に結構言われていることでもあるから、余計に自分が社会に適応できないような気持ちになるんだなと思った。

 まあ、ここで出会っている人達も割と限られた層の人達である。さらにここでいう「社会」とはなんだ?という話でもある。それに気づけたら、もう少し大きく構えられるよなあ。

 

 友達の発言から色々考えもしたけれど、ああ私は祈りの空間が好きで、この場に居ることが心地よいと思うのだから、私はそれを大切にできればそれで良いんだって思った。

 自分で日記を書いてて楽になったので、今日のところはおしまい!(なんとここまで6000字!)おやすみなさい!明日も道教のお祭りだ。

また風邪っぴきの日々

 


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また風邪っぴきの日々が続く。

喉の痛みから始まって、鼻詰まり、発熱、そして咳。順調に身体の悪いところが移動していく、典型的な風邪。身体は常に重く、台湾の気候も関係してか、いつも火照っている気がする。

 

 そんな時でも、文章を書きたくなっちゃうのだから、私は単純に書くのが好きだ。そんな時だからこそ、書きたいのかもしれない。身体が弱るということは、同時に心も弱って、心細い気持ちになる。本を読む体力はないので、私なんてずっとツイッターに常駐している。新学期のつくばの様子とか、就活の様子をみて、そわそわ。つくばの授業は相変わらず楽しそうだ。わたしも経済的な事情がなければあと1年居たかった。そんでもって、芸術の授業とか受けたかった、真剣に。本の作り方とか、芸術支援とか、フォトショとか覚えたい。社会教育についても勉強したいような。民俗と文化人類学の授業は他学類も含めて全部取りたかったし、ヨガや東洋的身体なんちゃらっていうものも折角だから取りたい。留学を通してからは、中国政治とか、韓国のこととか、アジアに対する関心もぐっと深まっている。先生は「時が来れば興味は絞られますから、大丈夫ですよ」とおっしゃっていたけれども、私はいつまでも関心が四方八方に飛んでいく。まずい。そんな私に適任な仕事って何だろう。案外公務員とか向いてる?全く見えない。

 

 就活はみんな苦しそうながらぼちぼち就職先が決まったようなツイートも見かけ、胸がざわざわする。一つ上の先輩はみんな就職したり、進学したり。一年後には私にも何かしらの変化が訪れているのだと考えると、台湾というぽかんと切り離された時間の中で、寝ることしかできていない私は大丈夫なのか?って思う。でも風邪っぴきの身では大丈夫ととりあえず言い聞かせて、寝るしかないのだ。

 

 風邪は分かりやすい不調で、その点においてはある意味楽である。分かりやすく自分を労れるから。よしもとばななの小説とかで、よく悩みを抱いた主人公が熱を出す。そして、熱が下がる頃には、抱いていたモヤモヤや不安がすっかりなくなっているのだ。そんな風邪の引き方に憧れる。実際のところ、風邪をひくと1ヶ月くらい咳が長引くし、私の場合、そんなすっきりと治ってくれないのですが。私の中でこじらせているものも、こじらせすぎていて、熱が下がるくらいではすっきりしないのですが。それでも、寝ていれば、ゆっくり、着実に治っていくのだから風邪は良い。よしもとばななの小説ほど、綺麗なものじゃないけれども、ゆっくりとベットに寝ている時間が私の心についてあたえるものもあるだろう。  

 

 

 というのも、私の今回の風邪について周りの人からは「忙しすぎるのが問題」と言われてるのだ。忙しいとは何のことやら……?はて……?と思うが、確かに予定だけはぎっちり詰まっている。それでも何にもしてない気がするから問題なのだけれども。私には体力がない。それにも関わらず、常に心だけが走っている。このアンバランスさ。常に走っていて、たまにドカンと動けなくなることで、全体のバランスを取っている(?)わたしの生き方にも共通している。この生き方、通用するのは20代までなのは分かっています。分かってて、どうにもできないのだから精進が足りない。アンバランスさというのは、私を表す特徴でもある。

 

 

 風邪をひくと、台湾では食べたいものがなくなる問題、今回も直面している。そもそもキッチンがないこの宿舎、ご飯を買いに行く気力がない。仕方がないから、コンビニのサラダとウィンダーゼリーと、お粥、友達が日本から持ってきてくれたカップスープでしのいでいる。正直、今だけ日本に帰って美味しいうどんを食べたい。

 

 風邪をこじらせて免疫力が落ちたところに、腎盂腎炎になった経験があるから、母は風邪でもすぐに病院に行ったら?と言う。しかし、ここは台湾。体調が悪いということは、外国語を聞く体力もないということ、煩わしい保険の手続きをする体力もないということ。気軽に病院に行けないのだ。台湾生活、随分慣れて、もうずっと台湾で生活してきた気がするし、あと2年くらいは台湾で生活したい気がするけど、それでもこうした時に海外生活の不便を突きつけられる。

 

 この前台湾に遊びに来てくれていた友達の話なんだけれども、友達とテレビを観ながら適当におしゃべりしていた時間が至福だった。ああ、この穏やかな時間を望んでいたのだ、という実感。これは、私のはじめての帰省(大学最初の夏休み)、祖父母宅でアイスを食べながら、「私はこういう、穏やかな幸せを拾い集めて生きていきたかったのではないか?」という実感とそっくりである。台湾での生活は楽しい。これは嘘ではない。でも、同時に、祖父母宅でアイスを食べるような、友達とくだらないテレビを観ておしゃべりするような、幸せも愛している。台湾生活は慣れたといっても、ふとした瞬間に自分の心がまだ張っているのを感じる。だって外国何だもの、当たり前だ。もっと長らく住んで、中国語が上手くなれば、良いのだろうか?と思ったりもしたけれども、私の故郷が沖縄であることは変えようがない。その種の幸せと、刺激的で自分の可能性が無限に広がるような世界で生きることの両立が、20代の私の課題なのかもしれない。

 

 この手の話を台湾の留学仲間にすると、「でも私は留学生活充実してる」という謎マウンティングをされるので、うんざりである。(ああ、言っちゃった)私の中の哲学みたいなものを言葉にすると、留学仲間にはイマイチ理解されないことが多くて、この点でも異文化体験みたいである。それでも好きな人たちは居るから、帰国して離れてしまっても、そういう人たちだけ大切にしていけたら良いのだけれども。

 

 話がズレてしまった。書きたいことが多すぎて渋滞しているのも、なんだか私の体調不良に近いものがあるよなぁと思う。読者日記と、台南旅行と、烏来と、色々書きたい。でも、アクセスを見る限り留学日記より、南条あやのことがずっとずっと読まれていて複雑である。逆に南条あや関連の日記くらい、全てのものが読まれていたら、ちょっとしたお小遣いになりそうなんだけれども。

 私が書きたいことを書くことと、読まれることを書くことは、全然違うのだから仕方ない。これなんか、完全に書きたくて書いたやつだ。うまくすり合わせができれば良いのだけれども。

 

 さすがに話が伸びてしまったので、今日はここまで。目覚めた頃には身体がすっかり良くなっているといいなぁ。

ところで、明日は茶道の先生を台湾に案内することになっている。ひゃ〜、体力面、知識面、中国語、コミュ力、諸々ドキドキじゃ〜

8回目の命日

 

 今日はお父さんの8回目の命日です。

 お父さんが死んで、8年が経ったということ。

 

 去年のこの日に文章を書いていたように、今日も書いてから寝たい。

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 今日は慌ただしく始まった。

 今日まで4泊5日の日程で、大学の友達が台湾に遊びに来ていたので、ホテルで台湾ビールを飲みながら話していたのが昨日の夜。今日は早めに起きて朝ごはん屋さんに行くはずだった。そのあと、余裕をもって空港へ。ほら、完璧でしょ。

 

 でも、目が覚めたのは空港について居る予定の時間だった。11時半発の飛行機に対して、目覚めたのは9時12分。

 

 

 私達二人して目覚ましの音で起きられなかったのだ。「ヤバい」と思った瞬間に、飛行機の最終チェックインの時間、タクシーとMRT,最短の経路をスマホで検索する。そして10分でホテルのチェックアウトを済ませて部屋を出た。なかなか久しぶりの修羅場。

 結果的に、友人の飛行機は間に合った。でも修羅場を潜り抜けたあとだったからか、別れの感傷などはなく。軽くハグして、夏の再会を約束した。

 

 友達と分かれると、急に自分が異国に一人で居ることが実感させられた。実は今日、私は前もって授業を休む連絡をしていた。本当は友達を空港に送ってからも間に合う授業だ。休みたかったのは、お父さんが死んだ日を思い切り自分の為に過ごしたかったからだ。私の中に、12歳のあの時のまま取り残されてしまった私が居るとしたら。いつもは省みることはできないけれど、今日くらいは甘えさせてやりたかった。

 

 先週の月曜日、先生に授業を休みたいというと、当たり前のように「どうして?」と聞かれた。少し考えたあと、「日本から友達が来るから」と言ったけれど、上に書いたようにそれは本当の答えじゃない。どうして「家族の命日だから」と言えなかったのだろう。周りの留学生仲間にも「日本から友達が来るから休むんだ、さぼり~」と笑っていた。今日の休みは自分の中での一大決心みたいなもので、笑っていいものではないんだけれど、自分で自分を笑った。これは一種の自己防衛なのかもしれない。自分の中では、かさぶたになりつつあるもので、傷は相変わらずそこにあるけれど、別段痛みに悩まされていないからかもしれない。今さら同情されたくないし、気を遣わせてしまうのもだるいし、ましてや「8年の前なのに学校休むの?」なんて言われたくないから、言わなかった。

 

 考えてみれば、今日が父親の命日であることをほとんどの人に言っていない。今日分かれた友達とは、あまりにパタパタしすぎてそういう空気じゃなくなっていた。

 そういえば、台湾の友達にはほとんど私が中学生の頃に父親を亡くしていることを話していない。うちのお父さんはね~と、全て過去形で話している。お父さんが生きていれば、今はこの年齢。お父さんが生きていた仕事を、今もやっているように語る。嘘はつけないから、基本的に過去形だけれども。父の死は私のことを語る上で絶対に外せないものだと思っているのに、何となく、言いたくなかった。こっちで出会う子ら(大学もそうだけれど)の多くが、裕福で、幸せそうな家庭に育っているからかもしれないし、私の生い立ちみたいなもの(大したものじゃあない。沖縄の田舎で生まれ育って、父親を亡くしているだけ)に対して「不幸アピール」と言われた傷が癒えてないからかもしれない。そう考えると、ひとり親家庭が当たり前の沖縄は沖縄なりの生きやすさがあった。

 

 私のなかの「父の死」というものの、人との付き合い方も変化している。そういえば、今日はまだ一回も泣いていないや。海外で過ごす命日は、こんなにも遠いものなのか。

 

 友達を見送って桃園国際空港から台北に戻る時、もしお父さんが生きていたらと一瞬だけ考えた。お父さんは台湾に遊びに来たんだろうな。食い倒れの旅をしたのだろう。歴史ある沖縄のホテルで働いていて、調理師免許も持っていたし、バーテンダーもしていた父。台湾のお酒をしこたま飲んだのだろう。

 まあ、もちろんこれはあり得ない話なんだけれども。父の死がなければ、私は別人だ。民俗学を専攻していなかった可能性も高く、台湾に留学していなかった可能性も高い。

 

 お父さんが死んで、執り行われた葬式。自分のものとして受け入れられない肉親の死が、仏教の文脈の中に回収されていくことがたまらなく嫌だった。どうして人は死んだら葬式を行うのだろう。長い歴史の中で、人は必ず死ぬ。その時、どういった対応をしてきたのだろう。最初の疑問はこういうものだった。中学2年生の私には言語化できない部分も多かったし、父の死に対する考えは毎年変化している。

 

 4月8日は父の命日だが、同時にお釈迦様の誕生日でもある。(旧暦だけれど)なんだかそのことが、大層皮肉なことにも感じられた。皮肉なんだけれども、どこかで強く惹かれている自分も居て。

 今日はふらりとお寺に行ってきた。

 

 

MRT圓山駅そばにある仏教寺院。

台湾は道教のイメージが強いけれども、仏教寺院も当然ながら存在している。

お父さんの命日を自分の為に過ごそう、と決めたのは去年から。この日にお寺を訪れたのもはじめて。

先日行った龍山寺でチラシを見かけたのがきっかけだったりする。台湾でも祈福法會は新暦(台湾でいうところの國暦)でやるんだね。

 

 

 道教のお祭りが大変盛大なものだから、こっちもきっと盛大だろうと思っていたら、そんなことはなかった。

 

 写真には写っていないけれど、周りには大量の僧侶が居た。昼時だったからか、みんなしてお弁当を食べていた。僧侶というと道徳心の塊みたいなイメージだったけれども、スマホいじりながらお弁当食べている僧侶も結構居て笑った。私にとって、この日にお寺に行くことは一種の覚悟を必要とするものであった。でも、実際に訪れたお寺は、平和そのものだった。若い私は目立っていて、たくさんの僧侶と目が合った。そのたびにニコニコされた。お寺で頂いたお茶も美味しかった。

 

 フィールドワークのようなものをするだけの体力と気力はさすがになく、途中で切り上げたけれども、あのお寺は良い空間だった。

 

 帰宅して、部屋に帰ると、寂しくなった。数日前の友達と台湾の果物を食べていた空気がほんのり残っていて、しんみり来た。今日はお父さんの命日であるという悲しみと、友達が日本に帰っちゃった寂しさがいっぺんに来て、どうにもならなそうだったから、睡魔に身をゆだねることにした。悲しい時には寝るのが一番だ。悲しいなって思ったのは、今日初めてのことで、どこかで安心している自分も居た。8年目だけれども、私はまだ悲しいんだぞ。いつまででも、おばさんになっても、悲しんでいいことなんだぞと自分に言いながら、何度も寝た。今日はその為に休んだのだから。

 

 目が覚めると、外はもう真っ暗。数日前から感じていた風邪の予兆のようなものが、確かに風邪となっていた。身体がしんどいのは大変なことだけれども、身体がしんどいと何だか心までもちゃんと労われる気がする。私は心を置いてけぼりにしがちだったけれど、台湾では風邪ばかりひいているからか、多少は心のしんどさがましだ。

 

 そして、今にいたる。

 例年の中で一番穏やかなに過ごせた日だったように思う。

 しんみり過ごさなかったのは、朝の絶望の起床のおかげかもしれない。

 お父さんの死をこうやって考えてます、という一つの記録として。そして、8年経った4月8日に私はちゃんと穏やかに、自分の為の日として過ごせてますという自信のために、これを書きたかった。私は大丈夫。しんどくなったり、だめになったり、ひきこもったり、色々あったけれども、大分強くなった気がする。これからも色々あるけれど、きっと大丈夫。

 

 社会人になった時、年度初めのこの日を自分の為に過ごすのは難しくなるかもしれない。だからこそ、学生のうちだけは大切に過ごそうと決めた。

 

 

追記

ボカロPとしても活躍していたwowakaさんが亡くなったと聞いた。『ワールズエンド・ダンスホール』や「ローリンガール」は、父の病院に行く道中、法事の合間、その後の中学生活でたくさん聴いていたものだったから、驚いた。あの辛かった時期、音楽に身をゆだねて、たくさん支えてもらったなあと思う。今でもその音楽を聴くと、あの頃のことを鮮明に思い出すし、今でも自分の心に響くものがある。今、wowakaさんの死に対していえることはほとんどないけれど、ご冥福をお祈りします。


wowaka 『ワールズエンド・ダンスホール』feat. 初音ミク&巡音ルカ

3月に読んだ本たち(前半戦)

 

3月に読んだ本たち(前半戦)

 

3月に読んだ本(漫画や雑誌も含む)は29冊。台湾在住の私がどうしてこれだけの本を読んでいるかというと、私が在籍している台湾大学図書館には日本語文献もたんまりとあるから……。それからKindleの存在。そいつぁ、麻薬だよ。どこに居ても、ボタン一つで日本語の本を買えてしまう。特に続き物の漫画は止められなくて、一気に読み切ってしまう。ポイントはクレジット決済というところにもあって、勢いだけで漫画を買ったこともあった。これは反省。ぐぬぬ……。

 

 本来ならば中国語漬けの日々を過ごすべきであることは分かっているんだけども、それができない自分も居て。やりたいことしかできない性格だから、今まで苦労してきたんだった。

 今読みたい本は、今が読み時であると信じて、日本語の本をたくさん読んだ。それどころか、もっと読みたい。中国語にもたくさん触れなくちゃだけど。

 

 

 ●ブルーピリオド

 

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ブルーピリオド(2) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(2) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ブルーピリオド(3) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(3) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ブルーピリオド(4) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(4) (アフタヌーンコミックス)

 

 

 しょっぱなから漫画かよ!って思った?でもこれ、かなり面白い。何かのセールで1巻無料につられ読んでしまったが最後、現在出ている4巻すべて買ってしまっていた。

 

 ストーリーは、芸術系スポ根(?)

 成績優秀、友達も多く、スクールカースト上位にいる主人公の矢口くん。彼は「頭の良さ」からお金にならなそうな芸術大学をちょっと下に見ていた。しかし、美術の授業である絵を描いたことから、どんどん美術の道へ惹かれていく。ついには、最難関である東京藝術大学への進学を目指すことになり……?

 

 芸術の世界ってどこか才能勝負!みたいな雰囲気あるけれど、絵の勉強していくことでどんどん伸ばせる能力もあって。頭の良い主人公が、絵のあれこれをどんどん吸収していく姿が爽快。矢口くん、絵を描きながら色々な問題にもぶつかっていくわけですよ。自分にとっての友達ってなんだ?とか。その答えを絵に込める姿には痺れる。藝大進学を目指す漫画なんだけれども、立派な青春漫画でもあって。魅力的なライバルもたくさん出てきて、とにかくアツい。

 

 中学生の頃、美術部だった私。絵の道には全然進まなかったけれど、クロッキーとか、絵の具を使う楽しさとか、懐かしいものを感じた。

 私自身がそうだったからかもしれないけれど、文化系のスポ根(?)に弱い。文化系の部活って、一見大人しそうに見えるけど(楽そうとかも言われたりして)実は全然そんなことない。どんな分野でも反復練習は必要だし、強豪校のアツさって言ったらそれはそれは凄い。自分の精神的なもの、アイデンティティの深いところまで向き合わされるものもあったりして、精神的にどっと疲れることも多い。

 

 漫画はいよいよ藝大試験が始まったところ。(単行本でしか追ってないけど)今ちょうど面白いところなので新刊が出次第、買うしかない……!

 

 

●ストリート ウォッチングー路上観察と心理学的街遊びのヒント

 

 

ストリート・ウォッチング―路上観察と心理学的街遊びのヒント

ストリート・ウォッチング―路上観察と心理学的街遊びのヒント

 

 

 こちらは台湾大学図書館で借りて読んだ。社会学の棚にあったけれど、内容はとっても軽く、パラパラと読める。

 街歩きを楽しくさせるヒントが詰まった本。街を歩いていて、見える人の姿や建物の数々。彼らはどうしてそんな行動をしているのか、その建物はどうしてそういう形になっているのか。「心理学的街遊び」というように、ちょっとした心理学の解説をつけながら、街を観る。 

 

 私自身、街歩きが好きなのでとても楽しく読めた。「ほうほう、だから私は街歩きが好きだったんだ」と自分の街歩き術(?)を確かめるように読んだ箇所と、そんなこと気にも留めてなかったなぁ……と反省する箇所とがあった。でも、この本の真骨頂は部屋の中で大人しく本を読んでる時でなく、街に出た時に発揮できるんだと思う。

 普段素通りしている景色が、少しだけでも違ってみえるような、その感度を高めることができたら素敵だよなぁと思う。

 

 

●アランとドラン

 

 こじらせサブカル女に響く恋愛漫画!?

と聞いたので購入。気軽に購入できちゃうところがKindleの良さであり、最大の欠点だ。

なかなかコアな映画ファンである、主人公の林田。ひょんなことから隣人江戸川と親しくなり、どんどん友好関係や性格も変わっていく……というストーリー。少女漫画の王道なんだけれど、一つ違うのは主人公の映画趣味。これが物語の中でなかなか良い味を出す。

 

 んだけれども、こじらせサブカルの方向性が私とはイマイチ違った。共感できるに違いない!と思って買った漫画だったからこれは痛い。私は喋るコミュ障のこじらせサブカルなのだ。致命的だったのは、カッコいいキャラとして描かれている江戸川くん(なんてったって、バーテンダー!)があまり好みじゃないってこと。いや、カッコいいとは思うんだけど……。

 

●台湾に渡った日本の神々

 

台湾に渡った日本の神々

台湾に渡った日本の神々

 

 

 この本は日本統治時代の台湾で建立された神社をまとめている。膨大なフィールドワークをもとに書かれており、かなり網羅的に調査されているように思う。

 台湾を旅する度、日本統治時代の神社跡を巡っているわたし。別に調査とかちゃんとした形でないけれども、時代のヒダを感じる場所として訪れたくなるのだ。台湾に建立された神社は多く、さらに現在でもその遺構が見られる場所、別の宗教施設として活用されている場所、近年になって歴史教育の文脈で再建された場所と様々である。

 

 わたしは沖縄の聖地、御嶽に鳥居がある現実と重ねながら、台湾の神社跡を見ている。台湾にある神社は、世界的にも珍しい「外地神社」である。「国家神道」とは一体何だったのか、考える手がかりにもなる。

 

『台湾に渡った日本の神々』は神社跡を巡る際に、かなり大きな助けとなってくれる本である。あそこで見かけた神社は一体、どのような神が祀られ、どのような経緯で建立されたのだろうとか、辞書的にも使わせてもらっている。台湾原住民族の集落には集中的に神社が置かれたことや、台湾に住んでいた日本人の姿、台湾での産業等々。日本統治時代の台湾を全く違う方向で見られるところがおもしろい。

 

 いやぁ、それでも全然まわれてなくて反省だ……。せめて台北だけでもまわってから帰国したい。時間がない……。(それでもダラダラする時間は削れない……)

 

●&Premium 2019年4月号

&Premium(アンド プレミアム) 2019年 04月号 [心に響く言葉、との出合い。]

&Premium(アンド プレミアム) 2019年 04月号 [心に響く言葉、との出合い。]

 

 

 沖縄から台湾へ戻る飛行機の中で読んだ雑誌。

 「心に響く言葉」特集と聞いて、買わないわけにはいかなかった。言うまでもなく、これは英断だった。

 ドラマ脚本、歌、詩、小説、大和言葉から素敵な言葉を抽出しているんだけれども、もうね、言うまでもなく、私が好きな作品ばかりなの。

 椎名林檎松任谷由実村上春樹萩尾望都坂元裕二川上弘美高山みなみ茨木のり子小川洋子、レヴィストロース(!)まで。一つひとつ、じっくりと自分の中に染み込むように言葉を飲み込んでいった。知っているセリフや本、知らなかった本も、全部が素敵で、今すぐ全部読み返したくなった。

 

 自分を取り巻く言語が、日本語から中国語へと変わるその瞬間に読んだからかもしれない。私にとっては、日本語はもう帰る場所なんだなと思った。沖縄が私の帰る場所であるように、日本語で構築された世界、作品は私のナイーブなところも優しく包み込んでくれるような気がした。単に日本語が私の母語であるという事実を超えて、私に日本語があって良かったなと思ったのだった。

 

 今でも、ベットの片隅に置いていて、たまにそっと開く。日本語が溢れている国に帰るのが楽しみになる。こんなんだから、中国語は上達しないんだけども!それでも、自分の確かな母語琉球語のことを思うとちょっと複雑な気持ちになるけど)を触れられるのは、台湾に居るおかげである。だから、このタイミングで出会えて良かったと思う。

 

●昭和のエートス

 

昭和のエートス

昭和のエートス

 

 

 内田樹先生の本、高校の図書館にはたくさんあったからよく読んでたけど、いつの間にか読まなくなっちゃたなぁと思いながら読んだ本。台湾大学の図書館で借りた。

 

 平成を語る言葉が溢れている現在。平成9年生まれの私にとっては、生まれてこの方ずっと平成で、平成を語る資格などないと思ってた。

 だからこそ、平成の一つ前である昭和という時代を再考してみたくなった。

 

 んだけれども、内田先生の本に多いパターンで、色々なところへの寄稿やブログの原稿で本は構成されており、「昭和」とは何かについて真正面から書かれている箇所は少なかった。

 それでも、読んで良かったなぁと思えた言葉はいくつかあって。

他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。なぜなら、他者の欲望には想像の中でしか出会えないが、自前の欲望は具体的で、それゆえ有限だからだ。(中略)そのような具体的な問いを一つ一つ立てることのできる人は求められるものの「欠如」を嘆くことはあっても「貧乏」に苦しむことはない。(P37-38)

 

 これなんて、特にそう。私が今いる台湾大学は優秀な人ばかり居る。台湾大学は台湾で一番賢い大学なのだ。交換留学生仲間もそうだ。一橋大学とか大阪大学とか、慶應義塾とか。優秀な人たちばかり。私よりずっと真面目で、頭が良いんだなと思う人がたくさん居る。

 一方でそんな彼らと付き合うようになってくると、みんな専攻分野への愛などなく、ずっと急かされるように「勉強しなくちゃ」と言っていることに気付く。でも勉強して、その先になりたいことがあるわけでもなく、「いい会社」に入りたいという。なら、「いい会社に入ったら何がしたいの?お金のこと考えなければやりたいことはある?」と言っても、「分からない」との答え。

 

 神社や寺、博物館をまわっている私に対しては、「そんなことして仕事あるの?」って言うのに。何だかなぁ、というモヤモヤが膨れ上がっていた頃、この言葉と出会った。私の価値観に対して、枠を与えられたようだった。生活していくうえでお金は確かに必要なんだけれども、私は自分の欲望の中だけで慎ましく生きていけたらと思う。実家がそれほど裕福でなく、ド田舎出身であることも影響しているだろう。私はきっと「貧乏」に苦しむことはない。これからも、いままでも。私は自分が何が好きで、何がやりたいかをよく知っている。だから大丈夫なのだ。友人らが言う「そんなことして仕事あるの?」に対する一つのアンサーのようにも思え、救われた気がした。

 

街道をゆく40台湾紀行

 

街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)

街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)

 

ずっと読みたかった本。台湾大学の図書館で見つけ、真っ先に読んだ。

 司馬遼太郎が台湾を旅するなかで、出てくる登場人物がとても豪華。なんと、元総統の李登輝さんまで出てくるから驚きだ。旅は日本統治時代、戒厳令下の台湾というように、台湾が歩んできた、複雑で重層的な歴史を追憶するかのように歩まれていく。

 

 台湾原住民族に対する記述も厚く、司馬遼太郎が強い関心をもっていたことがうかがえる。一方で、台湾原住民族を「山地人」と記していることが気になった。しかも、「昔は蕃人と言ったが、現在は親しみや敬意を込めて山地人という」というように。現在ではありえないことだ。

 台湾原住民族が現在のように台湾原住民族と呼ばれるようになったのは、1997年の頃。(ちょうど李登輝政権だった)彼らが台湾原住民族の名を勝ち取ったのは、近年のことなのだ。

 『街道をゆく40台湾紀行』がはじめに発行された時、台湾原住民族を山地人と記すことは何ら間違ったことではなかったのだろう。(紀行文の最後で、李登輝が総統になるような描写がある。ちょうど、台湾原住民族が名を得るまでの過渡期にあったといえる)

 

 歴史を追憶するような本でありながらも、その本が伝える生の歴史もある。二重の意味で「歴史を読む」のだと思うと、感じるものは深かった。

 

●新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子

 

新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子論

新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子論

 

 私は岡崎京子が好きである。

 そういう意味で飛びついた本であった。あと、装丁も好き。大学の先生が書いている批評の本でありながら、思い切った装丁をしている。ここでは載せられないが、本の中の装丁も凄かった。岡崎京子の作品にある、圧倒的なパワーが感じられた。

 

 空虚な都市、淡々と過ぎゆく日常、自己という存在の曖昧さ、代替可能な場所。そんな中での「サバイバル」 について岡崎京子は描いていたし、この本は現代社会の抱える問題と絡めながら分析している。

 

 批評本として面白いとは思いつつ、どうにもしっくり来ない自分がいた。

 

 そこで説明されている「代替可能なそこ」というのが、私の実感に無いからだろう。仮住まいの関東や台湾を除き、私はずっと沖縄の田舎に住み続けてきた。そこは嫌になるくらい、地縁と血縁を感じる場所である。私は地元に帰ったら屋号や〇〇じぃさんの孫として認識されるし、私の実家が建っている土地の所有者は琉球王国時代まで遡って聞くことができる。そして私は将来的にそこの土地を受け継ぐだろうし、そこに家を建てる可能性も高い。そんな「地元」にいる限り、私自身も代替可能ではない。

 

 そういう意味で、私が住んできた世界というのは、岡崎京子的ではないのかなと思った。

 一方で、私がなぜ岡崎京子作品が好きなのか。それはやっぱり高校時代の偏差値教育にあるような気もする。自分の存在がテストの点数という形で、最小限に単純化されたと思っていた高校時代。「どうして学ぶのか」「どうしてこの公式はこうなっているのか」という質問は良い顔されず、ただ点数を取ることが良いとされていた世界。自分自身が画一的な存在になりそうで、気が狂いそうだった。岡崎京子作品に惹かれるのは、あの高校時代があったからだ。岡崎京子作品の主人公が、この世と自分を繋ぎ止めるような強さを私も欲していた。それこそ、「平坦な戦場でぼくらが生き延びる」ために。

 

●台湾原住民族研究への招待

 

台湾原住民研究への招待

台湾原住民研究への招待

 

 

 台湾原住民族を学ぶための入門書として、とても優れていると思う。

 

 研究史、各民族の解説(版が古くて、9民族しか解説がない)からはじまり、考古学、歴史学言語学の観点からも解説されている。民族学文化人類学)の中でだけでは捉えられない台湾原住民族の姿がある。後ろについているブックリストも大変ありがたく、台湾原住民族について学ぶ1冊目として、とても良いように思う。

 そういう意味で、「ちょっと古いけど」の注釈付きになってしまうが、かなりおすすめの本。台湾原住民族について「やりたい」と言ってる後輩にもおすすめした。

 

 私は台湾原住民族博物館でのボランティアガイドを通して、そこそこに解説できるようにはなったけれど、「今、生きている人たちについて、日本人が語ること」の怖さも感じていて。だからこそ、学び続けなければと思った。まだまだ知らないことだらけである。

 

 この本が書かれた1990年代後半と現在では、台湾原住民族を取り巻く環境は大きく変わっている。本の中では、台湾原住民族は減り続けるような記述もあったが、現状では復興運動なども盛んである。

 そうした状況も踏まえ、権利というのは自らで勝ち取っていくものだと強く感じた。やたらと大きな話になってしまったけれど、台湾原住民族について考えていること、思っていること、いつか文章にまとめられたらと思う。

 

 3月に読んだ本たち、本当はあと16冊ほどあるけれど、飽きてきたので今日はこの辺で。

 読書ノートを再開したいけれども、読むペース、書くペース、全部考えてたら全然時間がなくてびっくりする。どうしてこんなことに!?