雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

14年目の4月8日

 

 本当はこれより前に書きたいことがあったし、書かないといけない論文もあるんだけれども、今日、この日記をどうしても書きたくなったので書く。

 今日は4月8日、14年目の父の命日だった。もっと自分に正直な表現をすると、父が死んで13年が経った。

 父は私が13歳の時に死んだ。私はいま26歳だから、明日からは父を失った以後の「わたし」で生きた年数が長くなる。細胞が入れ替わるように、父と過ごした時間で構成されたきた自分が薄くなる気がする。

 実際のところ、私は父が生きていたらいまの進路を取らなかったと思う。父が死んだ時、世の中の生き物は全ていつかは死ぬんだからどうやって向き合っていたのかを知りたかった。父の葬式を仏式で執り行ったことに強い違和感を抱いて、沖縄の外来信仰に目を向けるようになった。今の指導教官に指導を仰いだのも、指導教官の専門が葬送儀礼であるからだった。(結局わたしは葬送を研究テーマにしていないし、それは自分にとって良かったことだと思う)

 知ることで自分を救ってきた日々があった。その先に今の自分がある。

 父を早めに失ったことで、私は結構苦労してきたと思う。うちの経済状況のくせして、大学院博士課程まで進みたかったから、結構綱渡りな日々であった。でも、一方でわたしは強運の持ち主でもある。まずひととの出会いには恵まれてきたし、給付奨学金とか、授業料免除ももらえて、学術振興会の特別研究員にもなれたので、学ぶことに経済的な負担は発生しなかった。そして何よりいろんな人にその時々で背中を押してもらって、ずっと第一志望の進路を歩んでいる。この業界ではスーパーラッキーガールだ。

 

 父が死んでからは経済的にも精神的にもずっと綱渡りの日々だったけど、最近綱を渡り切った気がする。父が死ぬまでの13年間がピュアな子ども時代だとしたら、そこからの13年間は怒涛の年月だった。これからは一体どうなっていくのだろう。

 明日もきっと残業しないといけないし、締切破りの論文も本当にどうにかしないとやばい。13年間そうだったように、父の居ない日常はそうやって続いていく。そうやって、父が居た頃の自分とはずいぶん遠くに行くんだ。