雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

台湾に行く

 忙しかった。具体的には週の半分くらいは研修とか調査とかの外勤があって、残りの半分でやるべきことを整理したいところだったけど会議も色々入っていた。さらに発表もあった。楽しい。

 

 わたしの抱えている仕事なんて大したことないのかもしれないけれど、忙しいことには忙しくって、ここには仕事のことを書かないと決めたものの、日常がだいぶ仕事に浸食されていた。

 そもそも好きが仕事になったので、油断すると仕事とそうでないこととの境界がない。最近は休日出勤もしていた。でも気を付けないと。正直疲れてもいる。ああ温泉に行ってのんびりしたい。

 

 

 振替休日も貯まっていったので、これから台湾に行く。のんびりはできない。布団でだらだらしたいって思っているのに、とある瞬間の自分が航空券のチケットを取って、研究協力者に依頼して、調査に行くことにしていた。

ある瞬間の自分が航空券を取って、研究協力者にお願いをして、いつの間にか調査に行く段取りをしていた。あんまり準備はできてないけど、行く。無茶に無理を重ねている。

 正直なところ、やっぱりいまやっていることが好きだから無茶に無理が重ねられるのだと思う。そしてわたしは無茶できているときの自分が割と嫌いではない。

 

 後輩たちが修士論文を出すのをTwitterで見ていた。わたしが修士論文を提出してから2年経ったのだと知った。今回修士論文を出した後輩たちとは研究室で一緒に過ごすことがほとんどできなかった。というか、わたしは思い描いていた大学院生活を過ごせなかった。修士論文も次に繋げるために書いたものだった。通過点として、とにかく書いた。

 そしていま、わたしは相変わらず大学院生みたいな生活をしている。調査に行き、発表を作って原稿を書いて。その合間にやることは増えたけれども、発表を控えるとその前一週間の生活の記憶が失われるのも変わってない。

 

 発表の前はとてもこわい。大学生の頃は先生に怒られないだろうかって思っていた。それはそれでこわかったけれど、修士に入ってわたしの発表を聞きに学会に人が集まってくるのを見て、純粋によりこわいと思った。

 

 発表を終えて、ちゃんとやりきれたなと思えるのは10回のうち1回くらいかもしれない。いつも頑張れなかった自分を悔やむ。反応がこわい。

 なんとなく、これを繰り返していくってことが研究を続けるってことなのかもしれないと思った。ちょっと無茶してどこかに行って、こわいと思いながら何かを発表して、反省しながら何かを書いて。これを繰り返していく。布団でゴロゴロしたいって思う自分もいるけれど、それでも惹かれる瞬間があって、無茶できてしまう。

 いまこれを書いているのは台湾行きの飛行機のなかで、もうすぐ着く。色々あって今年4回目の台湾。就職が決まったから急に留学を切り上げて沖縄に帰ったものの、こうやって通えていることが嬉しい。自分がどこに根を張るかわからないまま渡台した大学時代の交換留学、研究のプレッシャーを抱えていた今年はじめの博士留学と比べて、見える台湾もまた随分変わった。今回はそれをしっかり言語化できる旅にしたいなと思う。

 

11月第4週 週報

 週報を書こうと思ったものの、習慣的に文章を書くのが難しい。

 いや、文章を書く習慣を取り戻すのが難しい。中高生の頃はあんなにも言葉を欲していたのに。それは同時に私がもう孤独ではないということなのだと思う。中高生の頃は、周りに分かり合えると思える人が居なくて、おそらく理想も高かった。自分の中の言葉に求めていた。でも、もう私は孤独ではない。生き抜くために言葉を欲しているわけではない。だからもう文章を書く習慣を失ったのだと思う。でも、だからこそ、やっぱりまた書きたいのだと思う。

 

 なんでもない文章、週報。11月第4週

11月19日 月曜日

 業務後、三線部。最近、いきなり弾けるようになった感覚がある。工工四が大体読めるようになったことが大きいんだと思う。少し前までは歌待ちの部分しかスムーズに手が動かなかった。聴きなじみのない部分になると混乱してしまっていた。それが工工四と手の動きが一致するようになったことで、指示通りに動けるようになった。そして指示通りに動けるってことが楽器には大事なのだと思う。とはいえ、指がつっかえたり、間違えたりとスムーズにいけるのは3回に1回程度なのだけれども。

 楽器の練習って外国語に似ていると思う。中国語もピンイン通りに発音できるようになってからはだいぶスムーズだった。結局、地道な努力が大事なのだ。私には苦手なことだ。でも、博士論文のようなどこに手をかけていいのか分からない、曖昧とした山を登ろうとしている時には、この単純さが救いになったりもする。

 

11月20日 火曜日

 自分への誕生日プレゼントが届いた。

 友達から誕生日プレゼントはたくさんもらってて、これが生活に潤いが足されるタイプの素敵なプレゼントだった。デパコスとかちょっと良いスクラブとかちょっと良いハンドクリーム、自分じゃなかなか買えないハンドソープ、ルピシアの紅茶とか!本当にありがたいなって思いつつ、自分へのプレゼントは生活のマイナスをカバーするものにしようと思った。

 生活のマイナス、私にとっては髪を乾かす時間だ。髪の毛を乾かすのが面倒くさくて、風呂に入りたくなくなる。帰宅後すぐにシャワーに入るのが正解だって自分でもわかっているのに、行動に移せない。自分の怠惰さを責めてもあんまり意味がないので、モノで解決しようと思った。

 

購入したのは、ヘアブラシ、ヘアタオル、ドライヤーの3点

 

 

 

全部「速乾」で検索して出てきたものを購入した。

実際、髪の毛を乾かす時間は5分くらい短縮できた!特に速乾タオルがお気に入り。最近は以前使っていたドライヤーも合わせて両手の2台体制で乾かしている。お風呂に入ることへの面倒くささは15%くらい減った。

 

11月21日 水曜日

 業務のことは書かないって決めているけど、これは書いちゃう。

 職場に大学の先生が遊びに来てくれて、連絡をくれてとっても嬉しかった。先生の授業自体は教職課程で少し取ったくらいなのだけれども、色々と縁があって良くしてもらっている先生。私の大学は沖縄県内でないからだいぶ離れているのに、ずっと大学の縁に守られている。

 「本当に良かったですね」と言ってくださった。わたしもそれに対して「大学生活で思いっきり好きなこと、関心のあることをやらせてもらって、それを全部活かせる職場なんです」と返した。そういう職場であることがありがたいし、今でもこうして気にかけてくださる先生がいることがありがたい。

 大学にはまだ在籍しているので、やっぱりそこで博士論文まで書きたいな~と思った。

 お昼休みは外に食べに行った。

 

11月22日 勤労感謝の日

 久しぶりにもういいやってくらいにダラダラした。9月の中旬に一人暮らしをはじめて以来、毎日どこかにでかけていたので一日部屋から出ないのは初めてのことだった。

 11月末、いつもこのタイミングで自律神経がつらい感じがする。相当な冷え性なので冬も苦手だけど、秋から冬になるこのタイミングが一番苦手。平日の仕事はふつうに行っているけど、今週は休んでしまおうかってきつさがある。21時には布団に入っているのに、7時半になっても布団から出られない。でもこの手の不調とは付き合ってだいぶ長いので、時期的なものだってわかっている。むしろここで、「わたしは社会に適応できないんだ」とか無駄な自己否定をしてしまうと長引く。とにかく深く考えずに自分の不調に対する受け身を取る。

 深呼吸する、夜眠れない分は昼間で補えたらオッケーってことにする、太陽光を浴びる、あったかくする、できれば湯舟に浸かる、あったかい鍋を食べる。昏々と寝る。

 

 ゆっくりと少しづつ読んでいた原田マハ『常設展示室』も読み終わった。

 

 アメリカにいる友達から図書カードのプレゼントをもらったから、「あの子ならどんな本を選んでくれるかな~」って思いながら選んだ本。

 

11月23日 金曜日

 前日にダラダラしまくった効用で、少し先のことが考えられるようになった。12月に台湾調査に行こう。

 台湾調査とは何も関係ないけれど、コンビニで「地球の歩き方 台湾」のグミを買った。杏仁豆腐味であった。台湾に住んでいた期間、杏仁豆腐を食べたのはごくごくたまにだった。杏仁茶の方が機会があったと思う。「台湾イメージ」は杏仁豆腐なのだなと思った。でもここで杏仁豆腐を出してしまったら、香港の時は何を出すのだろう。エッグタルト?

 友達と実感として何が台湾味であればしっくり来るのか喋った。スイーツとしてよく食べられているのは豆花とか仙草ゼリーだと思うけど、グミとしてしっくりくるようには思えない。結論としてマンゴーかライチかな。(違うタイミングで職場でも同じ話になったけど、やっぱり同じ意見だった。こういう他愛のなさ、好き) 

 

 昼休みには「小さな絵本展」に行った。とってもかわいくて、その場に居るだけで癒されるものがあった。

 沖縄の絵本作家の作品展なので、沖縄を描いたものが多い。何が沖縄らしいとされ、何が選ばれてどう描かれているのか。色んな沖縄へのアプローチがあって、とても惹かれる。今わたしが手に持っているスコープは「民俗学」で、このスコープもまだまだ修行中なのだけれども、違うスコープも手にしてみたいなと思う。

 

11月24日 土曜日

 やっぱり調子が良くなくて昼過ぎまで思いっきり寝た。思い出したように発表準備をしてみようとしたけれど、きつくてまた布団に戻った。

 午後は沖縄民俗学会の運営のお手伝い。沖縄に地元の子として帰ってきて、恵まれたポストに就いた以上、こういう頼まれごとを引き受けるのも仕事のうちだと思っている節がある。コロナで沖縄に帰っていた期間、わたしは地方の学会に助けられたし、沖縄の人が沖縄のことを深く知る機会は大切にしたい。でも、やっぱり身体が一つじゃ全然足りない。私は自分が全然タフじゃないことをしっかりと自覚すべきだ。

 

 アニメ「葬送のフリーレン」を観ていた。落ち着いたリズム感が妙にはまっているのか、漫画よりアニメの方が好き。寿命が異なることは時間の感覚も異なるってことだけど、同時代に生きているってことには違いない。それを淡々と描いていること、勇者一行の旅のリフレインが妙に「エモい」のが魅力なんだろうなって思う。

 

11月25日 日曜日

 朝9時に家を出て、21時半に家に帰る。一日調査だった。

 調査のこと、仕事のことはこのブログに書かないと決めているから書けないけれども、やっぱり私が一番楽しいって思えるのは民俗学であり調査であり、仕事なんだと思う。いま、見せていただいていること、学んでいること、全部大事にしたい。だからこそ、やっぱりSNSやブログには書かない。守秘義務や研究倫理があるからだけれども、それ以上にとにかく大切に扱わないといけない気がするのだ。

 

 1週間おわり。今週はぼちぼち。

11月第3週の週報

 週報を書こうと思ったものの、11月第3週の記憶がもうだいぶ薄れていることに気付いた。仕事の記憶はあるけど、帰宅後の記憶が……。こうして自我が仕事に乗っ取られていくのだろうか。

 昨年度の私は日本学術振興会の特別研究員だった。その前は修士学生だったけれど、給付奨学金をもらって生計を立てていた。その一方で一足先に就職した友人を見ていた。

 労働は労働でしかないのに、「働くこと=社会に出る」と表現することが大嫌いだと思っていたし、今もそう思う。働くことを神聖化しすぎだ。私だって仕事は好きだ。楽しい。やりたいこともある。でも、仕事は仕事であると冷静になれる頭も持ち続けていたい。ただ……こうして1週間前のことすら思い出せなくなっていくのであれば。やっぱり一日のなかで比重の重い仕事が自分の内面までも変えていくのだろうなと思う。いや、だからこそそうじゃない部分をしっかりと言葉にしていきたいな。

 

 話が逸れた。

 

11月13日月曜日

 睡眠不足と寒さとで調子が悪かった日。調子が悪いんなら早く寝るべきなんだけれど、自律神経が狂い気味なのか全然寝られなかった。秋生まれなのに秋が苦手だ。

 引っ越した地域の拝みがあったので、参加した。実家でも、引っ越したタイミングで地域の拝所をめぐってご挨拶した記憶が底にあるからか、地域の拝所に手を合わせることは自分がその時に根を張っていくような気がする。

 三線の練習会もあった。最近、かぎやで風を練習している。お祝いの曲なので、正月までにかたちになるといいなと思う。三線自体はおじいちゃんからの譲りもの。

 

11月14日火曜日

 LINE漫画で『絢爛たるグランドセーヌ』にハマって、一気に読む。漫画が好き。そのなかでも文化系スポコン漫画が好きだ。何が良いかって、そのジャンルのことをちょっと知れること。夕飯時はYouTubeでバレエの演目を観ていた。

 

11月15日水曜日

 退勤後、糸満の勉強会に行った。学会のムードとは違って、地域の人が自分の土地のことを知るために集まっている様子にぐっと来るものがある。

 勉強会のあとに行われた懇親会では、刺身の酢味噌和えが出た。私の知っている酢味噌和えより水分量が多かった。漁師町である糸満ではこれが主流らしい。美味しかった。

 退勤後の勉強会、体力との勝負でもあるけれど、顔を出したら見知った人たちと会えるので嬉しい。同年代と会えるともっと嬉しい。頑張らなくちゃなと思った。

 

11月16日木曜日

 石垣島に住んでいる弟が本島に戻ってくるというので、母と弟と三人でジンギスカンを食べに行った。北海道旅行ぶりのジンギスカン。美味しかった。沖縄はヤギ肉を食べる風習もあるし、羊肉ももっと流行ってもいいのにと思う。

 弟はわたしのアパートに泊まった。本当はもっと話したかったけれど、睡魔が来て無理だった。徹夜でお喋りできた大学生の時間ってすごかったんだなと思う。

 

11月17日金曜日

 弟が来ているので1時間年休を取った。いつでも気軽に休みが取れるのはかなりの心理的安全性を担保する。弟はここから福岡出張に行くらしい。

 弟を見送って出勤。退勤後は職場のメンバーと「soup soup」という名前のスープ屋さんに行った。一時期、私の友達がみんなスープストック東京を推していた時期があって、既に沖縄に帰っていた私は行きたくてうずうずしていた。都会に対する憧れ。そうこうしているうちに大阪のみんぱくに行く機会が生まれて、大阪でスープストック東京を体験した。悪くはなかったけれど、期待度が高まりすぎたからか、「まあこんなものか」という感じだった。

 「soup soup」のおしゃれな雰囲気とか海外のスープがそろっているメニューを見ると、その記憶が呼び覚まされた。美味しかった。良かった。東京にあるもの、みんなが語るからついつい行きたくなっちゃうけど、同じくらい良いものは沖縄にだっていっぱいある。

 気分良くなって、大学院から来ていた無料でTOEICを受けませんか?という案内にイエスと答えた。11月末TOEICの予定が生まれた。

 

11月18日土曜日

 髪の毛を染めたくて、美容室の予約を取った。「職場でも許される程度の髪色にしたくて」と相談すると鼻で笑われたので、「今の髪色より少し明るめにしたい」って言った。結果的にかなり重めに仕上がった。前の髪色の方が良かった。誰からも染めているようには思われない。もう二度と行かない。地元のスーパーに併設された960円カットのお店の方がよっぽど親切に対応してくれる。

 帰りに本屋併設のタリーズコーヒーに寄った。ハリーポッターコラボを飲みたかったけれど、あいにく売り切れてて悲しい。このタリーズは隣の書店の本を一冊持ち込めることになっているので、少し前に流行っていた『エッセンシャル思考』をどんなもんかと思って読んだ。結果として、TOEICを受ける気を失った。エッセンシャル思考、学びになる部分も多かったが、自己啓発本にありがちな繰り返しも多くて、エッセンシャルな本ではないなと思った。でも、自己啓発本を小ばかにする前にいったん読んでみる姿勢は自分の中で失いたくない。まあこれもエッセンシャルな行為じゃないかもしれないけど。

 

11月19日日曜日

 某所で調査があった。休日のうち、1日はどこかで調査や学会参加している。

 そのあと、免許更新に行ってきた。前回の免許更新は3年前、コロナもあって沖縄に「一旦」帰ってきたタイミングだった。まさかそのまま沖縄に住み続けて(一瞬台湾留学したけれど)沖縄に就職するなんて思いもよらなかった。次の更新は5年後。どんな自分になっているだろう。

 1週間、寒さに体が適応できなくてあまり本調子ではなかった。帰宅後は昏々と寝続けた。朝まで13時間くらい寝た。

週報を書きたい

 憧れの職場で働き始めて7か月がたった。

 10月からは仮採用期間も終わって、晴れて正職員だ。

 文章を書く仕事がしたいと思ったのは中学生の頃だった。その時、どこかのおじさんが「文章を仕事にしたいのであれば、てっとり早いのは文章以外で高い専門性を身に着けること」ってアドバイスをくれた。

 大学院生、特に博士後期課程に進学してからは外部の媒体で文章を書いたり、取材されることが出てきた。一方で好き勝手書いていたこのブログも、Twitterも、身バレする5秒前って感じでいつの間にか好き勝手書けなくなっていった。

 なんだろうな、好き勝手書くことのリスクって高くない?って思ったのだった。

 憧れの職場で働いて、憧れの仕事をやっていくと、そのうちには文章を書くことも含まれる。私はまだ大学院に在籍しているし、論文だって書かないといけない。でも、やっぱり種が違う。自分が生活を整理するための文章を久しく書いていない気がした。

 

 この7か月、憧れが現実となっていくことを感じていた。仕事は楽しい。やりがいもある。尊敬できる先輩たちに囲まれている。なんなら那覇に引っ越しもした。那覇だってなけなしのお小遣いを握りしめて、バスで1時間ゆられてたどり着く憧れの街だった。仕事終わりに本屋に寄ることも映画館に行くことも、こだわりの喫茶店でひと休みすることも可能になった。大学、大学院と沖縄を離れていた時間もあったけれど、この生活が沖縄でできるってことも嬉しさをかみしめる。

 

 ただ、日常になるということは、細かな、こまかな点で諸々あるってことだ。しかも毎日がせわしなくって、なんだか整理がついていない。

 だから書きたいって思った。毎日なんて到底無理だろうし、書いても公開しないものもあると思う。仮採用期間が終わったとはいえ、仕事のことは書かないようにする。一番書きたいことは仕事や研究のことだったりするけれど、書かない。そもそもワークとライフが切り離せてない生活をしているけれど、だからこそライフに注目するのって大事だと思う。

 元来の性格が三日坊主なので続かない可能性もかなりあるけど、まあやってみよう。