雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

知ることでつながる

 

 

 中学校で書いた作文整理 第2弾

 

 中2のときの作文もほとんど残ってなかったので、今回から中学3年のときのものです。こうやって、中学で書いたもの整理をしていると無くしてしまった大量の作文の内容が気になります。自分で書いたはずでも、なかなか覚えていないものですから、読み返したときの何とも言えない恥ずかしさと発見が面白いです。

 

 よし、本題。

 下のものは平和をテーマにした作文でした。

 題は「知ることでつながる」です。

 

 

  私は沖縄に生まれた。また、沖縄でここまで成長してきた。そして私は沖縄がすきだ。だからこそ沖縄のことをもっと知りたい、知らなければならない。そう思ったのは祖父の話を聞いてからだった。

 

 あるとき学校から「自分のおじぃちゃんおばぁちゃんに戦争体験談を聞こう」という宿題が出された。私は特に何も考えずに祖父に戦争体験談を聞かせてもらえるように頼んだ。すると祖父は「戦争はすごかった……」と独り言のようにつぶやいてかたゆっくり、けれどもしっかりとした口調で話し始めた。一日でたくさんの人が亡くなったこと、一日一日を生き延びることが精一杯で明日のことなど考える余裕も無かったこと、祖父は私にたくさんの記憶を話してくれた。

 

 はじめは世間話をするような感覚で聞いていた私だったが、次第に変わっていく祖父の表情を見て私は祖父にとって戦争がいかに大きいものだったのかを今更ながら知った。祖父は話を終えると私の手を優しく握りながら行った。「あなたのことがうらやましいよ、今もし僕があなたの年齢だったらやりたいことがたくさんある。僕にも夢があった。でも、僕だけじゃなくばあちゃんも僕の友達も夢を諦めた。戦争は夢も希望も奪ってしまうんだ。でもあなたには好きな事を勉強して夢を追いかけることができる、そのチャンスを大切にしなさいね」と。そう言う祖父の手は大きくてしわくちゃで強い手だった。

 

 私は祖父の話を聞くまで、戦争というのはSF小説の中にでてくるようなどこか現実味のないものだと思っていた。でも確かに私が立っているこの地でも戦争はあったのだ。そして祖父の言うようにたくさんの命だけでなく、たくさんの夢や希望も奪われた。祖父も祖母も近所のお婆さんにも無残にも命を奪われた人にも、やりたいことがたくさんあっただろう、いつまでも大切な人に囲まれて暮らしたかっただろう。笑顔で毎日を過ごしたかっただろう。その願いは時代も国も越えて皆が望むアタリマエのことだと思う。でも奪われたのだ。悔しかっただろう。苦しかっただろう。そのことに今まで私は目を背けていた。それはとても恥ずかしいことであると同時に哀しいことだ。私の立っているこの地は先人たちの様々な思いのうえで成り立っていると言ってもいいだろう。それなのに私はあまり知らなかった。周りを見渡せば不発弾処理のお知らせ、沖縄にたくさん残っている米軍基地と戦争の爪あとはいくらでも残っているというのに。私はそのことを深く反省した。また、だからそこ沖縄のことを知らなければならないと思った。

 

 私は沖縄について知りたい、そんな気持ちで図書館に行ってみると、たくさんの本があった。どの本も私に戦争とは何か、平和とは何かと訴えてくるようだった。いろいろな人の証言を読んでいるとたくさんの感情が私に本を通して流れ、苦しくなった。私は本を読み進めていく中である一節と出会った。それは「今でもニュースなんかで、『どこそこの戦争で何万人が死んだ」とか簡単に報道され、私たちはそれに聞き慣れている。しかし、そういう数字の背後には、たくさんの悲しみや心の傷があることを、覚えておいたほうがいい」というものだ。その言葉は私の心にずっしりと重くのしかかった。私には大切な人が居る。もし今その大切な人を失ったらどうなるのだろう。もしかしたら私自身が壊れてしまうかもしれない。そんなことを考えると戦死者の数字はとても大きい。私は、その数字に隠された思いも知らなければならない。

 

 私はまだ沖縄のことをよく知らない。いくら本を読んでもきっとその全てを知ることは難しいだろう。また、未だに世界では自由や夢を奪われている人がいる。そんな人達を直接現地に言って助けることは困難だと思う。でも、私はこれからも祖父や本を通じて沖縄のことを少しづつ知ることができる。そしてその時感じたこと、思ったことを世界に向けて問いかけることはできる。私が沖縄のことや平和についていろいろと考えたように世界中の人が考えたら、世界は変わるのではないかと思う。

 

 第一次世界大戦後のイギリスへ無暴力の抵抗を行い続けたガンジーは言う「握りこぶしとは握手はできない」と。今の世界は握りこぶしの人が大勢いるのかもしれない。でももしみんなが人を殴る握りこぶしから手を広げ、人を包み込めるようになったとき、世界中の人がてをつなぎ、この地球を笑顔の輪で囲むことが出来るのではないか。そして。誰もが毎日を笑顔で過ごせたら、この世界はきらきらと輝いてとても素敵なものになると思う。私はそんな日がくることを信じている。

 

 

 編集後記

 今日も祖父は、勉強がしたいとつぶやいていた。高校へ進学できる私が羨ましいとも。高齢になった今からでも学びを得る方法は何か無いのかな?