雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

留学日記 沖縄帰省のおわり

 


f:id:kinokonoko11:20190311123302j:image

 

 沖縄帰省は楽しかった。卒論調査の成果については考えたくなくて、これは非常にまずい状況であるんだけれども、それでも沖縄に帰って良かったと思う。

 

 沖縄に着いて、入国審査官に「謝謝」と言おうとした。すぐにここは日本だ、と気づいて苦笑いしながら「ありがとうございます」って言ったのだけど、このことがどうも忘れられない。

 お礼を言うときに「ありがとうございます」より「謝謝」の方が先に出てくる驚きもそうだけど、「ありがとうございます」って何だか長くて言いづらいなぁとか、日本語の音って何だかころころしているよなぁとか、思った。

 

 中国語もそんなに出来ないんだけれども、それでも日々を中国語で過ごして、世界を切り取るカテゴリの中に「中国語」が建設されつつある。留学を勧めてくれた先生(医学部の先生だった)が「ぜひ貴方の頭の中に中国語の領域を作ってください、これは財産になります」と言った。その時はその言葉がいまいち分かってなかったけれど、いまは少し分かるかもしれない。そして、そのことによって母語である日本語にも新たな気づきがあるのだから面白い。

 

 昨日の夜、台湾に帰った。

 飛行機はお金がないから、LCCPeachである。倉庫のようなターミナルを抜けて乗り込んだ飛行機、まわりの乗客はみんな台湾人だった。日本語の雑誌を読んでたにも関わらず、日本人のCAさんは私に中国語で話しかける。これがちょっと面白かった。こちらも中国語で返してみる。隣に座った台湾人のお母さんとその赤ちゃんとも中国語で話した。まだ沖縄に居るはずなのに、飛行機に乗り込んだ途端、そこはもう台湾のようでそれもまた面白かった。

 航空会社や周りの乗客によっては、外国に居るのに空港の搭乗口から日本が始まるときがある。搭乗時刻の15分前から日本人が並んでいたベトナムの空港とか、飛行機に乗り込んだ途端、暖かいおしぼり(しかもレモングラスの香り付き)が出てきたモスクワからの帰りとか。「日本」とか「台湾」とか、「沖縄」を規定する国境は目に見えない。実際に赤い線が引かれているわけでないのだから。国境なんてもの、「はい、入国したのでここから日本です」ではなくて、本当はもっとダイナミックなものだと思う。その時々で変化し得る。そして〇〇人というものも同様に。

 

 台湾の桃園空港に着いたら、移民局で手続きしてもらった後、自動化ゲートで入国した。駅の改札を通過するように、居留証をピッとするだけ、たった10秒足らずで入国できる。未来を見た。どんどん国境なんて低くなってしまえば良いのに、と思う。

 

 入国の為、長蛇の列に並んでいる外国人を見ながら、自動化ゲートで抜けた私は何だか台湾人っぽいなと感じた。それと同時に思ったのは、半年近く前の9月ドキドキしながら入国審査の列に並んでいた自分のこと。何だか遠い昔のようだ。

 

 寮に着いて、「ただいま」と呟く。母は「あなたにとって帰る場所は沖縄だけ」と言うけれど、私にとっては沖縄もつくばも台湾も変える場所になっている。台湾に住むのは一年足らずだから、少し傲慢かもしれないけれど、お気に入りのもので作った部屋があって、待ってくれる人が居るのだから、そこはもう帰る場所である。そしてそれは豊かなことだと思うんだ。

 

 沖縄での調査で「大学卒業したら、沖縄の男と結婚して、ここに住んで、ここに貢献してね」と言われた。

祖父母は何度も何度も繰り返し聞く、「今度はいつ帰って来るの?大学の卒業はいつなの?」と。祖父母の中で、わたしが大学卒業後沖縄に帰ることは確定事項なのだろう。祖父母は、私が沖縄県外進学をしたのは沖縄に学びたい大学がなかったから「仕方なく」だと思っている。これは半分正しくて、半分違う。

 

 いつか、私は沖縄に帰るだろう。でも今ではない。あと1年後なのか、10年後なのかもまだ分からない。

 私は沖縄で生まれ育った。でも、今台湾にも、つくばにも育ててもらっている。多分、今回のように帰省して調査の中で発見する「沖縄」も、台湾生活の中で発見する「沖縄」も私の中で等しく価値をもっていることには違いない。どちらも大切にしていきたいものだ。どちらも大切にできると信じている。