雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

留学日記2月21日 高雄へ


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私はいま、高鐵にいる。

環島から帰ってきてまだ1週間も経ってないのに、また旅に出ようとしている。お目当ては屏東で行われるランタンフェスティバル。でも、それだけでない。

 

台湾南部の美味しいものや、行ってみたかった博物館などなど、この機会に一気にまわってみたい。大きなお寺の前では元宵節の色々やっているかしら、の期待もあり。つくばへの一時帰国の際、先生に「環島するんです」と言ったら教えてもらった博物館にも行きたい気持ちもあり。

 

来週から本格的に授業が始まったら、また日常に追われるだけだから、その前に勢いで行ってしまおうという作戦だ。

 

高鉄に乗るのはこれで4回目。

 

旅が好きなんだと思う。それがたとえ小旅行であっても、リュックサックに最低限の着替えを入れる瞬間や、飲み物とお菓子を買って電車に乗り込む瞬間が好き。車窓を流れる景色が好き。でもなにより、その場所に居るということそのものを愛しているように思う。

 

観光地ももちろん楽しいし、自分の興味にあった場所は学びも多い。だけれども、それ以上にふと入った路地裏で、優しい風が吹いて、「ああいいなぁ」と思える瞬間が好きなんだと思う。

 

 

 

民俗学の授業で先生が「調査に入った瞬間から、土地に受け入れられているかが感覚的に分かる」とおっしゃられたことがあったけれども、ちょっと分かる気がする。土地との相性みたいな。

 

先週やっていた環島では彰化がまさにそうだった。心地よい、こちら側の呼吸と合っているような街。それから、色々な海外行ってて忘れられないのがラオスビエンチャン。タイのチェンマイもよかったなあ。

 

これらの街には、ほどよい発展具合とか、史跡があり、かつ街の歴史を感じることができる、亜熱帯気候であるとか、一定の条件がありそうなんだけれども、そういうことは関係なしに、「ああいいなあ」という感覚は訪れるから見逃せない。

 

それからそれから、書きながら思ったんだけれども、私が好きな旅には、「できるだけ生活を感じられるような旅」がある。旅は非日常なんだけれども、できるだけその地域の人の生活に密着したい。地元の交通機関を苦戦しながら使ってみたり、朝市の活気に触れてみたり。(この点チェンマイで托鉢したのは最高だった)

 

いまはやったことないけど、キッチン付きの宿を借りて調理してみるのも楽しそうだ。

生活から見られるものは多いと思う。留学生活を通して発見したのは、どこに居ても、ある程度一定のペースを保って生きていける自分であった。だからこそ、そういう他者の生活の場を見ることは、あったかもしれない自分を想像できるのだ。

 

同じ時代を、私とは異なる場所で生きる人たちの姿は、ある時には救いにもなる。その場所に合わせた規則や時の流れがあってその非日常は、日常に彩りを加える。

学校にうまく馴染めなかった高校生の時などは、「いまの場所に馴染めなくても大丈夫、数学ができなくて、朝早くからの講座に息が詰まって、マークシートを黒く塗りつぶしていると自分の心まで黒く塗りつぶしているような気持ちになっても大丈夫、そういう私のだめなところが全く関係ない場所がある」と教えてくれたのも旅だったと思う。

 

今はどうだろう。

大学生になってからの旅は、いつも自分の興味を満たすためだった。主に宗教施設や博物館が目当て。漠然と信仰経験をつみたいと思っている節がある。仏教とか、神道といった体系化された宗教だけでなく、もっと大きな括りでの信仰。人が祈る空間に身を置いて考えたいことがある。

 

私の思春期の大きな問題は、父親の死であった。父親の死を仏教の文脈で片付けることに怒りを覚えたことは、大学での専攻にも大きな影響を与えている。だからこそ、思春期の終わりにそういう体験をつみたいのかもしれない。でも、自分ではまだ分からない。いつか分かるのかもしれないし、ずっと分からないのかもしれない。

 

台湾での旅はどうだろう。

1年足らずの間だけ住まわせてもらっている台湾。台北だけを見て分かったような気になりたくない。私は台湾の多様性を愛している。だからこそ、客家の町や台湾原住民族の地域に行きたくなるのだ。

 

台湾の民族的な多様性から、きっと私は日本の多様性をみている。

沖縄で生まれ育った私にとっては大きな問題である。お隣の国である台湾には、客家外省人16に分けられる台湾原住民族も住んでいて実はずっとずっと多様なんだということを、私は長らく知らなかったので、その反動もある。

台湾の日本統治時代の痕跡を探す旅もよくする。

 

もちろんそれだけでなくて、大好きな友達が台湾に来てくれるとか、美味しいものが食べたいとか、そういったものもある。

お金や時間をかけてまでまた出掛けたいと思うのは、やはりそういう期待があるからだろう。

 

そろそろ高雄に着くので、今日はここまで。

高雄で私は一体何を見るんだろう。楽しみだなあ