雑記帳

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文具☆愛~第五回手紙~

  文具☆愛~第五回手紙~

 

 ポストに手紙が入っているのを気づいた時、私の心は弾む。それが手書きのものだったら、なおいっそう。反対に手紙をポストに投函する時、私の緊張は最高潮となる。本当に届いてくれるのだろうか。書き直したい、でも伝えたいことはもう十分あの封筒に詰めたはず。そんなことを思いながら、私はそっと手紙を手放す。たった五〇円で想いを届ける手紙。大切なものを届けて欲しいから、手紙を彩る文房具にも思いを込めたい。

 

 文香という文房具がある。香木を砕いたものなど芳香を放つ原料を和紙で包んだこの文房具は、文字通り「文」に同封して「香」を送るためのもの。文香は封を開けるときの期待を盛り上げてくれるだろう。文香が生まれたのは平安時代。恋文で恋愛をしていた時代、手紙に込めるのは言葉だけでは足りなかったのだろう。

 

 風流なその伝統を現代に生きる私も受け継ぎたい。文香は手作りすることも可能なようだ。お香を砕いて和紙に包むだけでそれはもうりっぱな文香だ。お気入りの香りを手紙にそっと同封する時、言葉だけでは伝えられない何かも届けてくれる、そんな気がする。一度挑戦してみたいものだ。

 

 もう一つ、特別な手紙を演出する文房具がある。封蝋だ。蝋で手紙を密閉し、その上に刻印を押すことで手紙が手付かずであることを示す封蝋は、一七世紀頃からヨーロッパ各地の貴族に愛されてきた。蝋にも多くのバリーエーションがあり、刻印だってこだわりのデザインがある。蝋をそっと溶かす様子、刻印を押すときの息遣い。そのどれもが手紙の魅力を引き立てる。封蝋は専用のシーリングキットを使うと五〇〇〇円以上と高価になりがちだが、一〇〇円ショップのグルーガンでも代用できる。出来る限りの最高の心遣いで、手紙を包みたい、そんな願いを実現できるのがこの封蝋なのだ。

 

 

ここまで手紙を取り巻く文房具について書いてきたが、そもそも現代では手紙を書く機会が減っている。私自身、毎日SNSに依存してメールすら滅多にしない日々だ。手紙なんてすぐには返事が来ないし、何より面倒だ。そう思っている人はたくさんいるだろう。だからこそ、私はこのエッセイで手間のかかる手紙グッツを紹介した。

 文香や封蝋が無くたって、手紙は届く。だけど、しかしちょっとした一手間が手紙をぐっと特別にすること、SNSやメールでは伝えられない何かを届けてくれることを私は書きたかったのだ。

ポストに手紙が届いた時の胸の高鳴りを誰に贈りたいと思いませんか。

  文具☆愛~第三回ノート~

   文具☆愛~第三回ノート~

 

 私はノートに無限の可能性を感じる。白紙のノートを手に取り、このノートを埋めることを考えるだけで、たまらなくワクワクするのだ。

 

 

 私はノートの一ページ目を使うことに躊躇する。だって、もったいないではないか。一ページ目といえば、ノートの顔だ。オチオチ変なことも書けやしない。だから私は、一ページ目には気に入った小説の一文や詩を書くことにしている。日本史は歴史小説の一文を、数学は数学者の言葉を、というように決めている。小さなこだわりだ。しかし、このこだわりがノートを開く瞬間を彩ってくれる、私はそう思っている。

 

 そんなノートにこだわりをもつ私だが、使い切れないノートがある。

 

 東京大学へ訪れた時に購入した東大ノートだ。

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 一見普通の大学ノートだが、よく見ると東大の銀杏のマークが表紙に押されており、その下には「東京大学」と威厳のある字で書かれている。かっこいい。上品さもあってすごくいい。このノートを使っていると、私も頭が良くなりそうだ。実に馬鹿っぽい考えで手に取った東大ノート。価格は三〇〇円と高価だったが、これで私の数学が幾分ましになるのなら問題ない。すぐさま、購入した。それから約一年。私は未だにノートを使っていない。もったいないという思いもあるが、何より「東京大学」の文字が恥ずかしいのだ。ミーハー丸出しではないか。因みに東大ノートを使っていないせいか、私の数学の成績も未だに壊滅である。

文具☆愛~第二回 学習の記録~

文具☆愛~第二回学習の記録~

 

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 忘れてならない学習の記録。私はすっかり忘れていた。高校入学時から常に書くよう指示されているはずのアイツだが、なかなか習慣にならないものだ。

 

 学習の記録とは、時間管理がしやすいバーチカルタイプの手帳である。そこに何の教科をどれだけ学習したのか、一言コメントも添えて、担任へ提出するのが高校生のたしなみってやつらしい。

 

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 因みにこの学習の記録は年々進化している。私が在学しているこの三年間でも、随分変わったものだ。年数回のアンケートをもとに、学習の記録を作り直す進路部の先生方の熱意には頭が下がる。特に今年の改訂は凄かった。学習の記録に名言集がついたのだ。ドラえもんや文豪の名言を胸に勉学に勤しんでもらおう、そんなコンセプトなのか、なかなか胸にくる名言揃い。ただの学習状況を記録するだけの手帳から、一線を画した学習の記録に拍手を送りたい。

 

 しかし、改訂を繰り返すことで一抹の不満もある。それは、「今日の一言」のスペースが小さくなっていることだ。私は文章を書くことが好きだ。いや、それ以上に面と向かって話すことが苦手である。だから、文章でしか伝えられない思いがある。そんな私にとって、この文章を書くスペースというのは大変貴重なのだ。

 

 ふと、あの事件が私の頭をよぎる。あれは今からちょうど一年前のことだった。私はちょっとした行き違いから、担任に強い怒りを抱くことがあった。抑えきれないその感情から、学習の記録に長文の抗議文を書き連ねたのだ。そして、担任の先生も学習の記録に手紙を挟むかたちで返信をくれた。嬉しかった。たったそれだけのことだが、学習の記録がなければ私は自分の感情をぶつけられなかっただろう。思えば、交換日記のように言葉を交わした記憶が何度かある。他クラスに目を向けてみても、英語でやりとりしたり、絵しりとりを続けたりと他愛のない様子が見て取れる。

 

 少し面倒で忘れてしまいがちな学習の記録。それは点検する側の先生方も同じことだろう。しかし、私はやっぱり学習の記録が好きだ。卒業まで記入を時々忘れてしまうことがあっても、私は学習の記録を使い続けるだろう。

 文具☆愛~第四回シャープペンシル~

 文具☆愛~第四回シャープペンシル

 

 これまで手帳・学習の記録・ノートと書かれる文房具を題材にしてきた『文具☆愛』。今回は書く文具に焦点を当ててみようと思う。

 

 

 私が一番触れている文房具といえば、シャープペンシルだ。あの子が居なければ、何も書けず,話にならない。私の文房具たちはいつだってよく働いてくれるけれど、一番の働き者はシャーペン達だ。

 

 まず最も愛用しているのは、

 

ぺんてる シャープペン グラフレット PG505-AD

ぺんてる シャープペン グラフレット PG505-AD

 

 

である。

 

このシャープペンシルは製図の技能に特化した、いわゆる製図用シャーペンだ。製図用は低重心で重みがあるあること、芯の太さも0.9から0.3まで幅広く選択できることが特徴である。しかし製図用シャーペンはその重さから、「長時間の勉強に向いていない」と嫌煙されがち。私自身、何度も製図用に手を出しては失敗し続けてきた。しかしグラフレットはその空気を変えた。プラスチックでできているため、軽量化に成功。価格も安価なため学生向けともいえるモデルだ。このシャープペンシルに出会ってからというもの、シャープペン選びに頭を悩ますことがなくなった。文字を書くことが快適で、どんなに面倒な書取り課題があろうとも、ストレスに感じることがない。そんなグラフレットは、いまや私の右腕的存在なのである。

 

 

 もう一本、大切なシャープペンシルがある。高校入学のお祝いにと奮発して買ったぺんてる万年CIL(ケリー)だ。

 

 

このシャープペンシルの魅力は、なんといってもそのビジュアル。万年筆に見間違うようなキャップ付きのシャープペンシルなんて見たことがない。ペン本体は金属で出来ているため、全身から溢れ出る高級感。色はオリーブグリーンで、サトウキビを彷彿させる爽やかさ。ペン軸が重いため、普段遣いには向いていないが、筆箱に忍ばせておくと気持ちが上向きになれる、そんなシャープペンだ。

 

 クルトガやドクターグリップといったメジャーなシャープペンシルの裏にも、多くのシャープペンがいる。一本一本製作者の思いが込められていて、そのこだわりは使う者を唸らせる。いつまでも使っていたいと思えるシャープペンシルに出会えたことが、とても嬉しい。