雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

留学日記 9月14日 順益台湾原住民博物館

 

 台湾大学の留学生向け中国語授業は、来週から。

 金曜日はぶらぶらするために、本科生向けの授業も入れなかったので、今日は全休。その時間で順益台湾原住民博物館に行ってきた。

 

 

 順益台湾原住民博物館は、台湾原住民族に関する民族学博物館。

MRT士林駅からバスを乗り継いで、15分くらい。故宮博物院のすぐ近くにある。

 

続きを読む

留学日記 9月13日木曜日

 

 

 

 きのう久しぶりに日記を書いて、ようやく自分の中でリズムが取れたなって感じた。リズム、刺激的な生活の中で目にしたものを自分の中で咀嚼するためのリズム。焦りや抽象的な不安を解消するためのリズム。地に足をつけて、生活していくためのリズム。私はわたしのために文章を書いていこうと思う。なんてったって、わたしは書くのが好きだ。

 

 留学っていうと、国際交流のような外に発信するエネルギーばかり求められる気がする。私も含めて、みんな外国人の友達が作りたくてそわそわしているようだ。色んなバックグラウンドをもつ子と友達になれたら、楽しいんだろうなって思いながらも、わたしはその空気が少し苦手だ。何で苦手なんだろう、急かされているような感覚、人との関係性の中で自分の価値が測られているような感覚、「外国人」の友達をつくりたいって、その人に対して失礼じゃないかっていう不信感。

 

続きを読む

台湾留学日記 台湾に来てしまいました

2018年9月12日

 台湾に留学してから12日が経った。本当に長い12日。9月1日に、真新しいスーツケースとリュックサック一つで台湾に渡った私は、寝床を得、友達を得、移民局やSIM、銀行、奨学金といった煩雑な作業を乗り越えた。

 

 日本であってもへとへとになる新生活をこうして過ごせているのは、周りに恵まれて何とかやってくれただけであって、私一人だったら絶対に無理だった。この12日の間、私は自分のふがいなさばっかり感じている。信じられないことにわたしは英語も中国語もできない。そのことによって、ありとあらゆる困難が降りかかって来るけれども、台湾の人は大抵とても優しい。私のつたない中国語を聞こうとしてくれるし、レジのおばちゃんが即席中国語講座を開いてくれることもある。(私はそれで、レシート要りませんも、レジ袋要りますも、ポイントカード持ってませんも言えるようになった)

 

 どこに居ても、私は友達を作れるんだな(今のところ、日本語に大分頼っているんだけれども)ということは、確実に私の自信になっているし、到着直後にIKEA無印良品、寮のぼったくりセールに通って理想の部屋を作り上げたことによる安心感はすごい。台湾の料理は大抵口に合う。時にはヒラヤーチーや沖縄そばを連想させるような料理に出会うこともあって、沖縄という軸を持って台湾で暮らすこと、それは生活の端々で学びがあるのだと感じる。中秋節を目の前にした月餅大売り出しも、バーベキュー用のお酒が売られていることも面白い。道端で出会う神様に大興奮している。留学生活は概ね順調なスタートを切った。

 

 でも、私は不安に襲われる。トラブルがあったらどうしよう、トラブルを説明する語彙を持たないし、そもそもトラブルを説明されても理解できない。台湾人も台湾で出会った日本人もとても優しいから、私に絶対に言わないんだけれども、私の中で声がする。「英語も中国語もできないお前が何故、台湾大学に居るのだ」と。センター入試では入れなかった賢い大学にAC入試で入って、英語のできる同級生に囲まれて、完全に語学がコンプレックスになってしまっている。それはずっと前から自覚していたんだけれどもここに来て、外国語学部や国際学部の人達に囲まれることにやってさらに加速しているようだ。このコンプレックスは単純に語学の問題ではない。高校時代、学校が求めるような偏差値教育に馴染めずに一般入試を受けなかったコンプレックス。自分の好きなこと以外に頑張れなくて、好き嫌いも得意不得意も激しい。積み上げ式のものが苦手というコンプレックス。語学は私の人生におけるツケであるという意識。

 

 日本で中国語も英語もしっかり勉強すればよかったという声が自分の中からする。でも、日本では興味のままに私なりに頑張ってきた。民俗だけでなく、文化人類学も宗教も文学も齧りながら、将来のことはありとあらゆる対策をかけながら資格習得にも励んできた。保険のつもりでとっていた教育の授業は面白いし、学芸員実習は本当にやれて良かったと言い切れるものだ。キャパオーバーを繰り返しながら頑張ってきた大学生活に後悔は、ない。一年前に戻れても、私はまた同じ一年を繰り返す。私は中国語で仕事がしたくて留学したわけでもないし、単純な語学の習得の為に来たわけでもない。ましてや、就活を意識していたわけでもない。だからこそ、私は何で台湾大学に来たんだろうと思う。コンプレックスの塊みたいな毎日。日本人の友達には恵まれていて、ぼやぼやしているとそのまま彼女達の語学力に頼って一年過ごせてしまいそう。だからこそ、私は自分のやりたいことを見失いように、こうして言葉にする必要がある。

 

 私は沖縄をやりたいから台湾に来た。この沖縄をやりたいは学問だけでなく、自分の肌感覚、口からでる言葉、思想、人間関係など全部である。大学で沖縄を出たことによって、自分の中の物差しが一つ増えた。たとえ沖縄で就職することになっても、私はこの大学生活を大切に抱きしめていくんだろうなという予感が既にする。沖縄にだけ居た18歳のわたしから、20歳の私は遠くに居るし、沖縄に永住してもあの頃の私にもう戻ることはできない。私は稲穂が風に揺れる美しさも、春先に香る梅も、湯船につかることでほぐれる筋肉も知った。「内地」でくくられていた地域が、「思い出のある茨城」「友達が愛する川越」「素敵な新年を過ごした名古屋」「素敵な萩焼を頂いた萩」に変わっていった。そして私はそれを豊かなことだと思う。

 

 それによって、私は沖縄だってまったく違うように見えるようになったからだ。沖縄は沖縄だけで成立しているわけではない。東アジアの中で関係しあいながら成立している。尊敬する民俗の先生に「あなたは自分の経験から出発した民俗学で安心した」と言われた。私の武器はその生活を肌感覚で知っていることだ。それは民俗学の範囲だけのことではなく、物事を考える上で大切にしたいことである。だから、今回台湾で生活したかったんだと思う。よくネットで「こんな留学は失敗する」とされている曖昧な理由だろうか。

 細々とした理由を挙げればいくつでも挙げる。特に惹かれている沖縄の土地神が中国由来であることとか、大学での単位をほとんど取り切ってしまったこととか、素敵だと思う人の多くが留学経験者であったこととか(留学経験者ってよく「○○の国では~」みたいな話し方をする気がする。それが何年前のことでも、考える基準に日本以外の視点をもっているって良いなと思う)つくばでの生活に疲れているところもあったかもしれない。周りの人がみんな背中を押してくれたのも大きい。奨学金のおかげで経済負担もないっていうことも大きい。

 

 だから私は台湾で街に出て、歩きたい。色んな神様に出会いたいっていうこともあるけれど、台湾の人の姿を見たい。博物館にも行きたいし、日本統治時代の遺構にも行きたい。台湾に来て何をしているんだって思うけど、沖縄民俗に関する本も読みたい。そして幸運なことに台湾大学の図書館には、沖縄民俗の本がかなり充実している。私の留学には、こうして絶えず自分の思いを言語化することも大切なんだと思う。留学というと外向的なイメージがあるけれども、私が見たいのは結局自分自身のことでもあるのだから。でも、こうした目的の裏にはやっぱり言葉が必要なんだ。信仰を見る上で生活が切り離せないように、文化と言葉もくっついている。そうやって、目的をはっきりさせて学ぶ語学はしんどいものじゃないかもしれない。

 

 むやみに焦らず、私なりに、わたしのやりたいことの為に、頑張る。それがこの留学の第二目標である。(第一目標は、健康に過ごすこと)

 

 今は、こんな私が台湾に来て良かったのかと不安に思うこともある。一年後の自分の姿なんて全く想像つかない。でも、どうにかなっちゃいそうな気もする。この留学が終わるころの私は、今の自分が持っていないものを持っていることは確実だ。それがどんなものであっても、自分を大きくする、豊かなものであると思ったから私は留学を選んだんだった。きっと、大丈夫。色々くじけそうになるけれど、それでも私は元気にやっています。

 

日記:8月17日 先生と会った

 

 

 久しぶりに日記が書きたい。大したことを書きたいわけではなく、ただ何かを書きたい、だから日記。

 7月の朝茶事とか、つくばの宿舎を退去した話とかを書く前に書こうって思うのは、今日のこと。今日のことを書きたくなったのは、高校の先生に会ったからだ。

 

 先生は国語の担当で、文芸部の顧問で、私の副担任だった。綺麗だし、知識も豊富で、高校の頃からずっと憧れている。私が帰省するたびに「沖縄でも自由に生きられるんだ」って思わせてくれる大人の一人だ。

 尊敬できる大人が居るって強い。私にはそれがたくさん居る。これは自慢できることである。

 

 高校の先生に会って、あの頃の色んなことを思い出してしまった。そのほとんどがつらかった話なんだけれども、自分でもびっくりすることに高校生を羨ましく思う瞬間もあった。何でだろうな。高校生の、守られてて、未来がいくらでも描ける、無限かのように思えたあの時間が恋しい。私の中では相当ボロボロになりながら、何とか卒業したつもりだったけれども、この時間が今となっては濃密な貴重な時間のように思える。まずい、記憶の美化が始まっている。

 

 これに関連してだけど私が高校時代のことを語ると、特に私がクラスメイトに「馬鹿にされてたよ」って言うと、大人は結構「そんなことないよ」って言う。客観的に見たらそうかもしれない。でも、あの時のしんどさは馬鹿にされてたという言葉が一番しっくりくる。私は学外での活動も熱心で、実績もあったし、結果的に「良い大学(笑)」に進学したことになるんだろうけれども、そしてそれは私の希望通りだったけれども、それでも圧倒的な劣等感を今も感じる。友達も居たどころか、通信簿には「誰とでも仲良くなれる」と書かれたくらいだったのに。

 私の一番近くに居た双子の弟や、クラスの友達、部活の友達は、私が馬鹿にされてることを気づいてた。そして、大概その子も馬鹿にされてるカテゴリーに居たから、一緒に人を見下したり、順列をつけたりするクラスメイトや校風を憎んでた。強烈な憎しみだった。別に誰かが率先してそういう空気を作っているわけではないから、社会が憎かったし、そうやって社会に馴染めない自分が憎かった。死ねば良いって毎日思ってた。そう、この感じだ。

 

 何だろうな、あの感覚。因みに、その言いようもないしんどさは豊島ミホがかなりうまく書いている。もう、本当にこれ!!という感じ。最終章の「あれ、大丈夫だ」という感覚まで共感が止まらない。軽いタッチで書かれている面白いエッセイなんだけれど、私はこれで数えきれないくらい泣いた。

 

底辺女子高生 (幻冬舎文庫)

底辺女子高生 (幻冬舎文庫)

 

 

 それでも、私には数少ないながらも友達がいたし、応援してくれる先生がいたし、自分の好きなものが明確だったから、卒業できた。当時から大人は「それならいいじゃん」って言ってた。卒業したら、大嫌いだった「みんな」(みんなの個人名がうまく上がらないところもポイントね)と会わなければいいしね、と。それはそうだ。でも、当時の自分にはこの言葉、絶対に響かなかったなって思う。

 

 高校の、あの息苦しさ。レールを外れることのこわさ。大学になったら、それはそれは色んな人がいるし、レールを外れることなんてこわくなくなった。でも、大人がいくらそういう話をしてくれたところで、高校生の私には「今」しか見えなかった。大人になったら気にならなくなることでも、あの時の私にはそれが生きるか死ぬかっていうくらい大切だった。あの高校は、私の存在を大きく揺さぶった、いい意味でも悪い意味でも。思春期のしんどさも、私自身の色んな問題も含めて、サバイブっていう言葉が身に染みるような三年間。今でも高校の友達とは、「苦しかったね、三年間」という話で盛り上がる。無理やり卒業しても、あの時の劣等感は今も私を蝕んでいる。身体的な意味でも、その三年間の代償は今も払わなくちゃならない部分もある。(その部分に関しても、後悔しないようにって声かけてくれてた先生もいて、また感謝なんだけれど)

 

 今日、今の母校の話を聞いたら、やっぱり苦しんでいる生徒が居るようだった。今の私が、あの頃の私に何を言っても響かなかっただろうなって思うけれど(ただ、先生からの言葉が大きく響いたことはなくても、胸のうちにたくさん積もって今ふいに気づけることはある)、ただ真っ只中の子には頑張って欲しいなって思う。

 

 でも、母校には素敵な先生も居るし、母校図書館の蔵書は最高だし(なんと『日本文学大系』がある)母校の裏の海は何でも受け止めてくれる。海の近くには美味しくて、たくさんサービスしてくれるてんぷら屋さん。しんどかった高校だけれども、その分豊かなものもたくさんあって。たくさん成長させてもらえたから、たくさん感謝もしている。

 

 先生は私が高校を卒業してからも、沖縄の素敵なところをたくさん教えてくれる。沖縄の美味しいお店、先生は何であんなに知っているのだろう。私のかなーりマニアックであろう場所に付き合ってくれる。

  これは宜野湾大名のターンム畑。きれい。

 宜野湾にこんな場所があったんだ!という感じ。沖縄の風景をたくさん目に焼き付けておくこと、肌感覚を知ること、これは私が民俗を専攻するうえでの強みになると思っている。

 

 

さらに宜野湾大謝名の土帝君、喜友名泉。

これらは、私の興味ド直球。こういうものを見て、その後ろにある沖縄の暮らしに耳を傾ける為には、やっぱりたくさん学ぶ必要があるんだよなって今日もまた思った。また思わせてもらった。それに文化を学んで、その先どうするかみたいな話もたくさんした。結論はいつだって見えないんだけれども、沖縄でこういう話ができる大人がいて良かった。

 

 先生は先生自身、書き手であって、発信者である(これは教師っていう職業もそうだけれども、それ以外の面でも)ということがまた刺激を受ける。沖縄文学の話もした。沖縄を語る。沖縄を悲壮感たっぷりに描かない。沖縄には文学が生まれる土壌がある。先生と話していると、私が沖縄でできることの多さ、可能性の豊かさみたいなものを感じる。凄い人なのに、おしゃべりな私がベラベラ喋っちゃって、あんまり話聞けなかったなあってあとで後悔することもいつものことなんだけれども。

 

 いつも私の中での結論は、自分の専門性にたどり着く。今の私は、民俗を専攻しているって言いながらも、そこに対する自信がない。今の私が沖縄に対して、何かできるように思えない。だから頑張るしかないんだ。頑張ろう。

 先生には、榕樹書林にも連れて行ってもらった。地震がきたら今すぐに圧死しそうなほど煩雑に積み上げられた本、喉がむずむずするくらいのホコリ。でもそんなのが気にならないくらいに楽しかった。

 買った本

・比嘉朝進(1991)『沖縄の信仰用語』風土記

・比嘉政夫(1982)『沖縄民俗学の方法 民間の祭りと村落構造』新泉社

窪徳忠(昭和56)『中国文化と南島』第一書房

・渡邊欣雄(昭和62)『沖縄の祭礼―東村民俗誌』第一書房

・渡邊直樹編(2016)『宗教と現代がわかる本2016』平凡社(聖地・沖縄・戦争特集)

多田治(2008)『沖縄イメージを旅する 柳田國男から移住ブームまで』中央公論社

 

 この夏で全部読み切れるかは分からないけれども、全部ぜんぶ自分のものにしたいところです。

 

 台湾に留学するまで、あと2週間くらい。あっという間なんだけれども、その中で自分の地元の民俗誌を書くという目標もある。夜先生と分かれてからは、祖父母宅で聞き取り。知らなかったことも含めていろんな発見もあったけれども、こちらに関していえば、やっぱり事前準備ができていなかったという反省。

『民俗調査ハンドブック』を参考に質問事項を作成していたけれども、やっぱりこちらは沖縄向けに読み替える必要があるな、という印象。それから、地図とか年表とか話を引き出せるようなモノも準備する必要があった。あまりにポンコツだったけれども、辛抱強く祖父母は付き合ってくれて、明後日には実際に地域を歩きながら話してくれることになった。楽しみ。

 

 明日は朝から動くぞ。留学までに日がないのに、やることが多すぎる。