雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

5月29日

 

 寝不足。

 前日の夜、テスト勉強をはじめるのが遅すぎて夜ふかししたからだ。それから、相部屋の台湾人が夜中からお風呂に入り、ドライヤーをかけるのも関係している。部屋がなかなか眠れる環境にならないのだ。彼女は朝に授業がないから良いけれど、朝8時から授業がある私のことも考えてほしい。

 

 愚痴おわり。

 

 授業を終えて、図書館でDVDを借りる。部屋に帰って、今敏監督の「パーフェクトブルー」を観た。

 

 「パーフェクトブルー」はずっと観たいと思いながらも、借りることも買うこともできないままいた作品だ。おまえ、まさか、台湾大学図書館に居たなんて……!台湾大学図書館は本当に侮れない。

 

 中国語の勉強に、と思って中国語字幕をつけようとしたけれど、何故かできなかった。中国語版のはずなのに。でも、それが結果として正解だったように思う。ネタバレはしないので、あまり詳しくは書かないけれど、パーフェクトブルーはサイコホラーだ。アイドルの主人公がファンのストーカーによって追い込まれ、混乱していく様子を描いている。ミスリードも多く、この混乱していく要すの描き方が秀逸なのだ。観ている者も、一緒に混乱していく。主人公の恐怖を疑似体験する。

 

 「パーフェクトブルー」は1997年の作品で、今から22年前のものだ。ストーカー規制法が2000年に制定されたことを考えると、当時はストーカーというモチーフそのものも新しかったのだろうと思う。また、インターネット上での成り済ましも作品に出てくる。ストーカーも、成りすましも今では聞き慣れてしまっているが、当時はインターネットが出たばかりの時代だ。作品のサイコホラーとしての実力は当時の方が発揮されていただろう。

 

 ちなみに、映画では主人公が「インターネットって何??もう、日本語で説明してよ」と言うシーンが出てくる。インターネットが一般に知られてない時代があったのだと思うと、震える。何がこわいかって、この映画が上映された1997年とはわたしの生まれ年でもあることだ。いつまでも10代のつもりで居たけれど、時の流れは恐ろしく速い。

 

 「パーフェクトブルー」を知ったのは、夭折したネットアイドル南条あやが日記の中で書いていたからだ。南条あやについては、このブログの中で何度も書いている。彼女からわたしは随分離れてしまったなあと思っているけれど、こうして彼女の好きだった作品を好んで手に取っているのだから、まだまだわたしの中で彼女は生きている。

 

 その後は、唐詩の課題をやって授業へ。そして20分だけ早退させてもらい、道教の廟へ行った。また士林だ。

 

 月曜日に廟に行った際、お世話好きのおばあさんから、この日は6時から延壽斗科があると聞いていた。

 
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 6時より少し早めに着いて、私も順序よく鎮座しておられる神様に手を合わせる。そうしていると、6時ぴったりに御経が聞こえてきた。

 道教については、日本の大学で少し授業を取ったのみで台湾に来てしまったが(留学に関して全般的に準備が足りなかった)とりあえず何でも見るをモットーに道教廟に行き、そこで目にしたものを日本から持ってきた道教事典で調べる、を繰り返していると、分かることが増えてきた。台湾大学の図書館にある道教の本をいくつか読んだことも効いている。ドロ臭い勉強法で、もう少し賢いやり方もあると思う。

 

 しかし、祭祀の邪魔にならないようにと気を遣ってはいるものの、私のような若い女性がお寺に居るだけで目立つもので、おばあちゃんたちに「アイツは何者か」とチラチラ見られ、指さされがつらくなったので、1時間半くらい経ったころに撤退した。見ている感じだと、このお寺は地域に根ざしているタイプで、私以外の人は顔見知りのようだった。ううう、難しい。

 

 帰宅してから、本日2本目のアニメ映画「噶瑪蘭少年」を観た。これは現代の宜蘭に住む主人公がひょんなことから古代にタイムスリップし、台湾原住民の村(噶瑪蘭族の集落)でお嫁さんを巡る戦いに挑む話だ。

 ちなみに、映画では少年がタイムスリップしたのは古代といわれているが、原作では1800年にタイムスリップしたらしい。意外と最近。

 

 このアニメ自体は1999年に作られたらしいのだけれども、アメリカのアニメ、ディズニー(ピクサーではない)を連想させるような絵や動き、音楽だったりして驚いた。日本のアニメは1999年のものであろうとも(1999年公開のアニメには、おジャ魔女どれみがある)現代のものと大きく雰囲気が変わる訳ではないからだ。少なくとも、アメリカを連想させるようなことはないだろう。

 

 それから、物語の中では原住民族の言葉(おそらく噶瑪蘭語)が時折使われるのだけれども、字幕で「土語」とついていて、どきりとした。

 台湾原住民が台湾原住民との名前を勝ち取ったのも、1990年代後半になってのことだ。台湾原住民をめぐるこの20年の動きを考えると、それはそれは激動だったのだろう。

 

 しかし、寝不足はいけないね。今日一日頭がぼーっとしてたまらなかった。疲れてたまらなかったので、10時には就寝。

 

 

 

 そしたらなんと、夜中の2時に相部屋のドライヤーの音で起こされた……。謝られたけど、「こりゃ、話してしまったら完全に覚醒する……」と思って「沒問題」と言ってしまった。よく考えれば全然問題ないわけない!こういう時怒るべきなのかなと思いつつ、喧嘩になったら中国語では絶対に言い負かされそうだなと悔しく思う。

5月28日

 

 毎週火曜日は授業を受けて、放課後言語交換をしているうちに1日が終わってしまう。

 

 卒論の題目を決めたら、残りの留学生活は今度こそ中国語に集中すると決めていたのに、授業と言語交換の間のわすがな時間、気がついたら日本語の本を読んでしまっていた。あれだ、台湾大学図書館には幸か不幸か日本語の本が多すぎる。勉強しようと思って机に向かうまでの間に、毎回大抵1冊は手に取ってしまっている。なら自習室に行けば?という話でもあるんだけれども、だって自習室の椅子硬いんだもの!!

 

 今日読んでいたのは『本のお口よごしですが』という、古本屋の店主によるエッセイ。もはや民俗学の本でもない。さすがに勉強時間に入れるのはやめた。

 

 どうしてこういう本が台湾大学の図書館にあるかは分らない。でも、古本屋を営むことに憧れている私にとっては魅力的な本だった。本の市場価値のこと、保存のこと、読書術等々、本にまつわる色んなことが書かれていて、一つひとつ共感したり、感心しながら読んだ。

 

 物心ついたころから私は、本が好きだった。本から広がる世界が好きだったともいえる。お小遣いがたくさん貰えていたわけでないから、買うのはいつも古本だった。古本から前の持ち主の痕跡を見つけるのが特に好きだった。どこに線をひいてるのか、どんなメモを残しているのか、はたまた前の持ち主かつけたページの折り目を見ながらどうやって読まれたのかを考える。

 

 難しい学術書を読む時は、前の持ち主の方が自分より賢いだろうとの前提のもと、線がかれているところこそ大切なのだろうと思っていた。ただ、最近は各々それぞれの関心に基づいて読むのだから、誰かが線をひいてるからって大切とは限らないなあと感じている。「読む」と「ただ読む」ことには大きな隔たりがあるのだということを、大学に入って叩き込まれている気がする。どこまで出来ているかは分らない。

 

 

 そのあとは、言語交換という名のおしゃべり。最初の頃はほとんど日本語で話してたのに、今日なんて中国語の容赦ないスピードについていけた!喜び!!

 話題はルームメイトのこと。私のルームメイトもなかなかの困り者だけれども、話を聞く限り友だちのルームメイトはさらに凄い。公主病(お姫さま病)だって言っていた。グーグルを使えないとか、メキシコからの帰国子女なのに中南米ラテンアメリカの違いが分らないとか、王朝の年代を間違えたとか、たくさんの愚痴を聞いていたけど、色んな学生が居るなあと思う一方で、友だちのストレスの溜め方も台湾大の学生っぽいなあと思った。私は相部屋の人が平安時代奈良時代を間違えても多分気にならないはずだから。

 

 留学生は一人部屋か二人部屋のどちらかに割り当てられるものだけれども、基本的に台湾人学生は4人部屋だからさらに苦労は絶えないだろうなあと。

 

 「なぜ、日本の大学の寮はたいてい一人部屋?」と聞かれたけど、うまく答えられなかった。うちの大学の場合、学生運動の影響で急遽ひとり部屋が作られたと聞いたけど、他の大学もそうなのだろうか。(うちの大学は、なんと3人以上の集まりには集会届が必要だったらしい!)

 

 夜はこの日記をまとめて書いていたら、良い時間に。深夜から明日の小テストの勉強をするはめになった。

 完全に優先順位を誤ったようにも思うけど、今の私は日々を書き記すことを大切にしたいなとも思っていて。愚痴もあるし、明るいだけの留学生活ではない。今日のような特筆するようなことは何もない日もある。でも、私にとっては何でもない日もぜんぶ全部大切なんだと思う。全部は覚えていられないから、ここに書く。

 

 台湾への交換留学、単位の心配をしなくて良いこともあってだいぶ自由にすごしているけれど、ぽかんと時間が与えられて気づくのは、私は本が読めて文章を書いて暮らせるのなら結構満足できるということだ。留学が終わっても、そういう風に暮らしていきたいし、そういう風に過ごせるように努力しよう。

5月27日 媽祖遶境と避難訓練

 

 

 朝の授業を終わらせて、お寺へ。3日連続の士林。

 土地に惹かれるということは、「この土地なんか居心地良いなあ」という実感と共にやってくるものだけれども、私と士林の場合は「土地に呼ばれる」と行ったほうが良いかもしれない。

 

 特に士林のことを気に入ってるわけでもなく、私が住んでいる地域と士林は台北市の端と端とも言いたいくらいなのに、私はよく士林に向かう。よく行く博物館もお寺もなぜか士林周辺にあるのだ。

 

 博物館漬けの週末、見かけた一枚の案内を頼りに、お寺を訪ねた。


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 媽祖の遶境が目当てだ。これは、日本でいうところのお神輿といえばいいのだろうか。

 その寺廟の神様が管轄している地域を練り歩き、その地域の平安を祈る行事だ。その様子はとても華やかで、御神体のみならず、神に扮した人や太鼓を打ち鳴らす人、ラッパ隊などが続く。士林の神農宮ではポールダンスをするお姉さんまでいた。

 

 
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 こうした隊列を前に、私がカメラをもって所在無さげにしていると、おじさんが「もっと正面から撮りなよ!」と言ってくれる。私は寺の中の人でないけど、沿道から水を手渡される。別に良いらしい。

 

 台湾中北部では台湾華語といわれる中国語がよく話され、台湾南部では台湾語がよく話されている、という話をよく聞いていた。けれども、お寺の中とそれに関わる社会では台湾語を耳にするのは日常茶飯事だ。

 

 「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、「リーシジップンランボ?」と返ってくる。「グワァシジップンラン」と私も台湾語で返すと場が湧く。私の台湾語は中国語よりもお粗末でなんだけれども、外国人が台湾語を話すというシチュエーションがおもしろいのだろう、いつもウケる。今学期、台湾語を履修して良かった。

 

 すっかり忘れていたけれども、この日は台湾北部対象の避難訓練があった。隊列の動きが止まったから、「休憩かな?」と思っていたけれど、どうやら警察によって止められているらしい。私たちも屋根の下で待機するよう指示を受けた。

 


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 この避難訓練、日本でだるく受けていた災害避難訓練とは違い、緊張感に満ちている。想定されているのは中国からの空襲。警察の指示に従わなかったら、最大15万元の罰金らしい。国道の信号機も消され、バスもタクシーも自家用車も、みんな路肩に停めるよう指示される。避難訓練の30分の間、道を通ったのは救急車だけ。地下鉄は走っていたようだけれど、駅で待機するように指示されていたらしい。異様な時間だった。避難訓練のサイレンが鳴ったあとから、台北ではゴロゴロ稲妻が鳴り響き、大変不気味だった。

 

 一緒に居た子が空襲の避難訓練について「韓国にもあるよ」と言っていた。台湾留学で得たものの中で、特に大切なのは知識より、ある種の感性だと思う。国際情勢に対する興味はその一つだ。この1年、国際ニュースを読むようになった(今までは文化面をまず先に読み、それから興味がある記事、重大ニュースを読むくらいだった)

 

 中国語のクラスで、お互いの国の違いやニュースを話す機会が多いからである。この間私が北海道の異常気象を話し、地球温暖化を嘆いていたら、ペアのインドネシアの子がクーデターについて話した。(その前はインドネシアの首都移転についてだった)そのクーデターの様子はなかなかに過激で大変なことになっているということが伝わってくる。さらに、彼女は自分はどういう考えで、誰を支持するのかまで教えてくれたものだから、これは知らないといけないなという気がした。世界では日々色んなことが起きているのだと、そしてそこに関して鈍感だったことを反省する。

 

 お寺からの帰りには、東門でマンゴーかき氷を食べた。
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 友達が台北イチと言うだけあって、かなり美味しかった。たしかに、台北で食べたマンゴーかき氷のなかで一番美味しい。

 

 そのあとは台湾語の授業。

 今日は1日充実してたなんて思っていたら寝落ちてしまい、やるべき勉強は何にも達成できなかった。一日の活動量なんて決まっているように思う。

5月25・26日 博物館イベントに参加させてもらう

 

 

 この土日はいつもお世話になっている台湾原住民博物館のお手伝いをさせてもらった。

 

 新北市にある十三行博物館という考古博物館のイベントがあった。台湾全県・市及び世界の考古に関連する博物館・学校・関連の公共施設が出店する大規模なものだ。日本からも、沖縄県立博物館・美術館をはじめとする4つの博物館が出店していた。

 

 なぜ、考古の博物館のイベントに台湾原住民博物館が関わるのか?というと、台湾の場合、考古学が扱う資料の多くが台湾原住民のものとなるからだ。当たり前のことに気づくと、台湾の何層にも重なった統治の歴史に思いを巡らす。現在の台湾において、漢民族は全体の98%を占める、そう大学で習った。けれども、その漢民族が入植したのはずいぶん後の時代になってからのことだ。漢民族がやってくるずっと前から台湾原住民は、ここ台湾で暮らしてきた。圧倒的な漢民族の割合に惑わされがちな自分を戒める。

 

 

 私が居たブースでは、台湾原住民の弓矢の工作、それから実際に弓を飛ばしてみる体験スペースがあった。

 

 

 教育普及も兼ねているので、弓矢体験の際には台湾原住民の狩猟に関する規則や民俗も教える。たくさん並んでいる動物の中、狩って良い動物とそうでない動物がいる。それは彼らの神話や自然に対する観念が端的に示されている。例えば、母親と子どものイノシシは狩ってはならない、ということなど。生態系への配慮である。そういう規則は日本でもみられる。

 

 私は子どもたちに工作や弓矢の飛ばし方などを教えていた。

 何度も体験した日本語ガイドではなく、中国語での台湾人相手の活動に正直ビビっていた。戦力にならないのではないか、邪魔になるのではないか、私の中国語レベルじゃ迷惑にしかならいのではないか、そう思っていた。けれども、実際には何とかなった。

 

 私の拙い中国語を子どもたちはちゃんと聞いてくれたし、言葉足らずでうまく伝わっていない時は付き添っていた保護者の方がさり気なく補足してくれていた。何度も博物館の方には助けられ、親子には救われた。言葉がつまることは何度もあったが、落ち着いてみれば簡単な語彙で返答できた。中国語で聞かれたことが分からない、ということを恐れていたけれども、そういった事態は実際には一度のみであった。その時も一度聞き返して、それでも分からない、困ったなあと思っているうちに私の「不好意思……」の声を聞いた博物館の方がさらりと応対してくださった。私が恥をかかずに済んでいるのは、周りのおかげだ。それを十分に分かったうえで、この二日間をしっかりやり遂げられたということは、私の自信にもなった。何より、子どもたちは可愛い!!「姊姊,謝謝」の声に何度メロメロになったことか!

 

 私の留学生活における転機は、この博物館と出会ったことだと思う。

 

 博物館の方の気遣いで、イベントそのものをまわることもできた。どのブースも限られたスペースの中で創意工夫がなされており、「伝えたいこと」が明確であったように思う。子供向けの工作や体験が多かったが、いくつも体験させてもらい、楽しむことができた。勾玉を削ったり、発掘された土器を粘土で作ってみたり、学生が手作りしたタオ族のボート(チヌリクラン)に乗せてもらったり。粟餅をついてみて、実際の杵の重さにびっくりした(これでも小型だったのに!)チヌリクランは不安定で、台湾人の「安全」に「真的嗎!?」を繰り返していたけれど濡れずに済んだ。あのボートで漁をするタオ族の男性の優れたバランス感覚も知った。勉強になることがたくさんあった。

 

 某奨学金の面接で、「何故博物館に注目するのか」と聞かれ、(そんなの博物館が好きだからだ)と思いつつ「博物館は社会教育の場であり、社会教育は全ての人を対象としているからだ」と答えた。ここでいう全ての人というのは、老若男女という意味もあるけれど、外国人も含まれる。私のような中国語が完ぺきとはいえない外国人だって、一緒に笑って、一緒に学べる仕掛けがあったのは凄いことだ。

 

 一方で私は教職をとっている関係か、学校教育の中で行われる郷土教育みたいなものにも興味があった。ある小学校のブースでは小学生が獅子舞の実演を行っていたし、会場中央にあった舞台では原住民集落の子供たちによる合奏が披露されていた。以前、台湾原住民の集落に行った際、学校には部族語朗読大会の結果や音楽会の情報が張り出されていたのを思い出した。学校教育という公的な制度のなかで学ぶ文化とは一体どのようなものなのだろう。自分自身を思い返してみても、幼稚園からはじまり小中高、沖縄で受けたすべての教育課程のなかでエイサーを踊っていた。

 

 十三行博物館を観覧する機会もあった。

 現在、台湾原住民の祭りをテーマにした特別展をやっているとのことで、ずっと興味があったけれど、なかなか行けずにいたから幸運であった。一年を春夏秋冬に分け、その季節ごとに行われる祭りを紹介していた。考古の博物館だから意外だったけれども、台湾原住民の衣服なども展示されていて、焦点はあくまで現代の台湾原住民に当たっていたように思う。

 

 常設展では、博物館のある地域の遺跡である十三行遺跡の発掘成果の他、考古学者を「時空探偵」と称し、考古学者の仕事が分かるような展示も多かった。VRのゴーグルをつけて、周りを見渡すとオランダ時代の十三行が広がる体験や、砂場で実際に発掘体験ができるもの等々、ゲーム感覚で学べるものばかりであった。イベントのこともあって、博物館は賑わっていた。子供たちは夢中で展示を見ていて(遊んでいて)そりゃあ、楽しいよなあ、私だって楽しいものとニコニコ。

 

 台湾留学の中、様々な博物館を観られて楽しい。学芸員資格の為にとっていた授業の知識を総動員しながら、博物館の展示に込められたメッセージを考える。

 

 

 ちなみに余談だけれども、主催者側の博物館から仕出し弁当を頂いた。その際、「チキンでも良い?」と聞かれたのだけれども、私は最初何を言われているかが分からなかった。中国語が分からなかったわけではない。少し考えて、気づく。台湾ではベジタリアンが多いから、仕出し弁当を配る際にも確認が必要なのだと。しっかり確認してくれるということは、きっとベジタリアン向けの弁当も用意されているのだろう。そういうことに当たり前に配慮しているところが台湾の良いところなのだろう。日本でベジタリアンに出会うことなんて滅多にないから(といっても大学の学食にはハラールベジタリアンメニューがある)少し面食らった。