雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

6月3日 空きコマに新莊地蔵庵 文武大眾爺生誕日

 

 朝、登校中に本科留学生の子と会う。どういう文脈だったかは忘れてしまったけれど、彼女に尋ねられた。「日本の大学と台湾の大学、どうですか?どう違いますか?」と。今日はそのことを何度も考えている。

 

 台湾大学、台湾でもっとも賢い大学と言われるだけあって、学生のレベルは高いだろう。でも、アメリカの大学のように卒業することがめちゃくちゃ厳しいという気はしない(はず)。確かに学生は全体的に勉強しているな、という感じだけれども、うまーくテストをやり過ごしている学生が居るのも分かるし、台湾大学の中でも結構差があるんだろうなということも感じている。そういう意味では日本の大学(と言っても私も一校しか知らないんだけれども)と同じだ。日本の大学でも、授業に熱心で学ぶのがたまらなく楽しい人も居れば、卒業さえできればいいやという人も居た。当たり前だけれども、勉強する人はどこででも勉強する。

 

 日本の大学と台湾の大学、一番違うのは言語で、あとは大きな差など無いのかもしれない。これは分野によって大きく変わるものなのかな。でも私の学んでいる範囲でいうと、日本の大学で学んだ『禮記』や『文選』は台湾大学での授業でよく出て来るし、日本で古典とされているものは、台湾においても古典とされている。それだって当たり前だ。そういうもののはずだ。ゆるゆると生きている交換生の私から見える範囲での感想だけれども。

 

 あれ、そうなると私はなんで留学が終わることに焦りを感じているんだっけ。べつに、台湾に居ようとも、沖縄に居ようとも、関東に居ようとも、本質は変わらないはず。

 

 

 

 今日の空きコマは、新北市新荘區にある新荘地蔵庵へ。

 旧暦の五月一日は地蔵庵で祀っている文武大眾爺の生誕日ということで、かなり賑わっていた。

 


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 ただ、戦場でもあった。小さな寺廟の祭祀もなかなか入って行きにくいけれど、大きなところは、押し合いへし合いで色んな動きを見るどころではなかった。うーん、やはり試行錯誤の日々。少なくとも、教科書等々つまった大きく重いリュックを背負って、空きコマにちらりと見に行くものじゃなかったな。気合いが、必要。

 


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 地蔵庵の上空を飛ぶドローンを見つけ、ドローンになりたかった。

 

 そうは言っても、気になるポイントはいくつかあって。あの行為の意味は何だろうとか、あの神様は何者なのかとか、落ち着いたところでメモをする。いくつか初めて見られたものもあった。台湾の信仰に関わること全般広くアンテナを張って、何でも見に行くこと。そのたびに一つ一つ知識と実感を重ねること。今の私が一番大切にしたいことである。


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 単純にかっこいい景色もたくさん見られた。単純にかっこいい、って最強の魅力だと思う。

 


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 また興奮したのは、日本統治時代の灯籠や神輿。新北市新荘區には日本統治時代、新荘神社があったそう。戦後、新荘神社の跡地は和泰汽車に払い下げられたが、灯籠や神輿は、戦後この地蔵庵へ運び出されたそう。新荘神社の神輿はガラスケースにおさめられている。神輿の額束には「新荘神社」とあるのが印象深い。賑やかな銅鑼や喇叭の音を聞きながら、信仰の柔軟性を思う。

 


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 こうやって信仰の場に行くと、「経済的な物差しでは測れないものがある」みたいなことを語ってしまいがちなんだけれども、信仰は社会の様子も見事に反映する。ここまで大きなお祭りが台湾の各地で毎日のように行われているのだから、経済効果だってはかりしれないと思う。

 

 地蔵庵の周辺には屋台も多数。写真を撮り忘れたけれど、葱油餅が美味しかった。台湾小吃は容赦なく葱もニンニクも効いているから大好きだ。

 

 

 

 

 夕方にはまた大学へ戻り、台湾語の授業。今日は台湾語の早口言葉を習った。それにしても、台湾語の声調を未だにイマイチ理解できずにいる。声調があやふやなまま読んでいると、早口言葉の意味がめちゃくちゃだ。

 

 しかし、今日は疲れたな。また、心のペースに身体がついてきていないのかもしれない。食欲もなかったので、今日の夕飯はタピオカミルクティー。これはよくないやつだけれど、疲れた身体に甘い飲み物はよく沁みる。美味しい。

 

 夜メールを確認すると、指導教官からメールが。先生からのほんの優しさと親しみを感じる一文が嬉しい。この日記を書いたら、卒論題目書類を国際郵便で送る準備をしなくては。

 明日も道教廟へ行く予定。少しへばっているから今日は良く寝よう。

 

 

  

 ここ数日、沖縄と台湾原住民について考えている。移動時間には牡丹社事件について特集が組まれている雑誌を読んだ。

台湾原住民研究 第11号

台湾原住民研究 第11号

 

 

6月2日 昼過ぎからの基隆小旅行

 

 

 夜中、日本の大学の友達と電話した。

 酔っ払った勢いで、誰かと話したかったのだ。

 友達にもうすぐ帰ってくるんだね、といわれる。帰ったら、行きたいところを二人で考えた。今は台北の良さばかり目につくけれど帰ったって、楽しみはちゃんとあるんだよな。

 友達と明け方まで喋っていたものだから、当然朝は起きられなかった。当然すぎる。沖縄のことを考えながら眠ったから、沖縄そばがどうしても食べたくなっていた。3月の帰省で買ったカップ麺の沖縄そば開封する。鰹出汁の香りが広がる。

 

 午後は基隆の和平島(社寮島)へ。出発が遅くなってしまった。現地にどれだけ滞在できるかはわからない。けれども、遠くへいきたくなったのだった。難しいことなど考えずに、ただ遠くへ行きたい時ってあるでしょ。

 和平島(社寮島)は沖縄にゆかりのある場所だから、やっぱり沖縄のことを考えていたい気持ちなのかもしれない。

 

 基隆は想像以上の港町だった。実は基隆に行くのは初めてだったのだけれども、よく耳にする地名であった。日本の大学で受けていた民俗学の授業では、基隆の中元節の話を。何度も読んだ日本統治時代の台湾で生きた人たちのライフストーリー。その中では基隆が台湾への玄関口であった。

 

 私の祖母は沖縄戦の時、台湾に疎開している。祖母も基隆へ来たのだろうか。祖母が最後に見た台湾は、やはり基隆だったのだろうか。

 

 台北から1550番のバスで基隆駅へ行ったのち、101番のバスへ乗り換えて和平島へ。今日の目的は、和平島にある琉球漁民慰霊碑だった。琉球漁民慰霊碑は和平島公園の中にある。

 和平島は沖縄の漁師が多く暮らしていたエリア。最盛期には600人ものが暮らしていたそう。そこで沖縄の漁師が造船、漁法などを伝えたと言われている。台湾人と沖縄の人、それぞれ助け合いながら生きていたようだ。

 

 現在、琉球人の集落はない。琉球人やオランダ人、スペイン人、ケダカラン族(台湾の平埔族の1つ)の骨を祀った祠がある。うえの琉球漁民慰霊碑も、台湾人が骨を拾って手厚く祀ってくれたことに対する感謝を込めて建立されたらしい。

 

 その祠には、土地公(福徳正神)が祀られていた。一緒に「后土」という文字も見え、私はこれにいたく感動してしまった。「后土」とはお墓の守り神である。沖縄本島において、土地公は土帝君というかたちで受容されているが、后土は受容されていない。ずっと見たいとは思いつつ、お墓の神さまなのでなかなか機会がなかった后土。これを見られただけでも、かなり価値があった。

 琉球人をはじめとする遺骨を祀る、万善祠。一見すると、台湾の街なかにある他の道教寺院と同じように見えるが、丁寧に観察していると、やはりそこは「お墓」なのだと気付かされる。

 

 ちなみに琉球漁民慰霊碑の後面には、中国語と日本語で説明書きがなされていた。中国語では「琉球漁民慰霊碑」とされているものが、「琉球ウミンチュの碑」と題されていたことも記しておきたい。この碑を建立する際にどのような議論がなされたかは分からないが、「慰霊」という言葉にはそれに関わる多くの思想がある。中国語と日本語で像の名前が異なっていること、そして日本語の方であえて「慰霊」という言葉を省いたのであれば、やはりそれは特筆すべきことのようにも思う。

 

死者たちの戦後誌―沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶

死者たちの戦後誌―沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶

 

 

 琉球漁民慰霊碑がある和平島公園は、しっかり整備されており、想像以上に楽しい場所でもあった。

 

 
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学生40元、一般80元のチケットを購入する必要がある。


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 崖の上に立つ東屋。潮の香りと、波の音がたまらない。

 
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 基隆といえば、野柳地質公園が有名だけれども、こちらの地質も面白い。キノコみたいな岩がたくさん。

 


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 これ何だと思う?

 自然を活かしたプール。通りで砂浜が見当たらないのに、やたら水着や浮輪を売っていると思った!なかなか古風で楽しい。

 

 
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 小さい子向けの水遊びエリアもアリ。ちゃんと監視員も居る。暑かったから、子供に混じって水遊びしちゃった。水が冷たくて気持ちいい。タオルを持ってないことに気づいたのは、すぺて終わった後でした。

 

 夜は基隆廟口夜市へ。こちらの夜市、台湾人からも評判がよく、一度行ってみたいと思っていたのだ。

 
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 そして評判通り、かなり美味しい夜市でした。これは確かに全体のレベルが高い。


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「天麩羅」と言われるさつま揚げ。これが本当に美味しい!やはり港町であるからかしら?

 
 マンゴー牛乳を飲みながら、バスに揺られる。1時間もしないうちに台北へ。
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 すごく楽しい1日だった。私は「沖縄」という軸を持って、台湾を見ようとしている。沖縄の人が台湾でどう生きたのか、とか、沖縄と台湾原住民の民俗的なつながり、沖縄と台湾の草の根の交流など興味のあることは多い。普段生活している台湾、一歩踏み込むと思わぬ発見があるのが面白い。

 

 そして、ただ面白がるだけではなく、当時の沖縄の人に寄り添うとか、「日本の地方としての沖縄」を超えた沖縄を描くとか、そういうことができたら、と思う。その為にはやはり日々足を動かして、本を読んで、記述を重ねるしかないのだ。

 

 

モモトVol.17

モモトVol.17

 

 『モモトvol.17』の台湾特集に基隆と沖縄のこと、和平島の話が掲載されている。台湾と沖縄のつながり、という視点で発見がたくさんある雑誌。

 台湾留学が決まった際に手にし、留学先にも持ってきた一冊。

6月1日 台湾で沖縄県人会に参加する

 

 

 今日から6月。

 

 午前中は日記を書いたり、本を読んだりして過ごしたのち、午後から県人会へ行ってきた。

 私はよく沖縄のことを口に出すし、自分の軸に沖縄があることは確かなことだ。外的な評価も「沖縄の子」で一貫していて、多くの留学仲間は私が沖縄の大学から来ていると思っているらしい。実は違うんですが。

 

(ちなみに、私が沖縄のことをよく話すのは、他の日本人留学生が外国人に向けて話す「日本文化」が、関東または関西を中心とした「文化」でしかなく、その差異も「西か東か」に収斂されてしまうことに違和感があるからだ。彼らが大学で文化や歴史について学んでないことを考えると、仕方ないのかもしれない。でも、「台湾は旧暦で正月を祝うけど、日本は祝わない」「旧暦と新暦を織り交ぜながら生きているのは中国と台湾だけだ」「日本の正月といえば、おもちとおせちである」「日本は単一民族である」とか言われると、ちょ、ちょ、ちょっとまったー!となるのだった。少々ウザがられている気もするけれど、外に志向している留学生に対して自らの足元にある日本だって、とても多様なんだよと伝えたくなる。ちなみに、自戒をこめて書くと沖縄だってそれこそとても多様であることに注意しないといけない)

 

 自分でも少し意外なんだけれども、今回がはじめての台湾の沖縄県人会への参加であった。日本の大学の方でも、県人会の活動はとても盛んにも関わらず、私は何となく参加していない。県人会、とても面白いコミュニティだなあと思った。気づきもたくさんある。

 

 まず驚いたのは、八重山出身者の多さ。参加人数の半数は八重山出身者であった。しかも目立つのは、学生。私のような交換留学生も一定数居るんだけれども、それより目立つのは本科留学の方。現在語学学校に通っていて、これから台湾の大学を受験します、という声もたくさん聞いた。これだけ高校卒業後の進路選択に「台湾への進学」という選択肢が出てくるのはすごいなあと思った。

 私の母校も国際科がある関係で、海外の大学への進学は常に選択肢の一つであった。実際に、今回の沖縄県人会でも高校の先輩や後輩と会ったし、母校の思い出話に花を咲かせた。ただ、八重山出身者との割合が全然違う。

 

 うえに「沖縄の中の多様性」と書いたけれど、そこに対して私は本当に謙虚になる必要がある。私は沖縄で生まれ育った。でも私が体験して、見聞きして知っているのは、沖縄本島の南部のごく一部のことでしかないということを深く自覚しなければならない。

 台湾のような外国に住んでいると、お互い日本人であるだけで親近感を抱くものだし、相手が沖縄県出身者であれば感動さえ覚える。ただ、沖縄本島南部で育った私と、八重山で育った人、沖縄本島中部で育った人、渡嘉敷島で育った人、それぞれ見ている「沖縄」は全く違う。

 

 以前、米軍基地のフェンスの中で育った子と出会った時、「私の知らない沖縄があった」と思ったものだけれども、私の知っている「沖縄」はごくごくごくごく小さな範囲での「沖縄」である。離島から見た「沖縄」も、沖縄本島南部から見た「沖縄」も、米軍基地のフェンスの中から見た「沖縄」も、間違いなく「沖縄」である。

 

 さらに言うならば、沖縄から世界中に行った移民の方々がいる。「世界のウチナーンチュ」として、外国で捉えた「沖縄」だって「沖縄」ではないか。私は高校の頃、ロサンゼルスで行われた沖縄県人会に行ったことがある。コミュニケーションの半分が英語であっても空手の演武に沸いたこと、アメリカで手に入る材料で作られた沖縄料理は忘れられないものである。ああ、沖縄から遠く離れた異国にも「沖縄」はあった、と思った。そこでは日系3世や4世の人たちとも出会うことがあった。彼らが「自分のルーツの味」と思って口にしている沖縄料理が、沖縄で食べるものと異なっていたからといって、誰がこれは「沖縄料理ではない」と否定できよう。(ただ、ここでいう「沖縄」は上でいうところの「沖縄」とは定義やレベルがちょっと変わりそうだなと書きながら思った。弱腰なのは私の勉強不足)

 

 それから、「沖縄県人会」という「沖縄文化」があると知った。二次会で、三線を弾きながら歌う方、それに合わせてパーランクーを打ち鳴らす方、時折混ざる指笛の音、そして手拍子を打つ私たちという場面があって、私は胸いっぱいの「沖縄ノスタルジー」を感じたものだった。その時の感情は本当に「沖縄ノスタルジー」としか言いようがない。懐かしい音楽に身をのせながら、お酒を飲む時間は気持ちよかった。ただ一方で、あまりに分かりやすい「沖縄」でもあって、びっくりする気持ちもあった。私が沖縄で、このような場に遭遇したことがなかったからだ。少なくとも私の知っている範囲で言えば、母世代まで考えてもそのような飲み会は初めてであった。

 

 

台湾に来て、大学OBの集いは二度参加している。しかし、一度も校歌を歌うなんてことはなく(正確に言えば、うちの大学に校歌はない。しかし校歌に準するものはある)雰囲気が全然違った。だからこそ、面白いと思ったのだった。

 

 

 さらにさらに、自己紹介をする場面があった。学生の多くが「台湾と沖縄をつなぐ仕事をしたい」「沖縄に貢献したい」と言っていたのが印象に残った。沖縄県人会という場での挨拶であるし、私自身も「沖縄に貢献したい」と思っている。ただ、他の地域の学生は「地元に貢献する」と大きく発言することを、沖縄ほど求められてない気がするのだ。(私は関東しか知らないので、地方の地元へ貢献する事への圧はすごいのかもしれないが)

 「沖縄に貢献したい」という言葉、考えてみれば高校生の頃からずっと、聞いている気がする。わたしはずっと広い意味で沖縄文化が好きだったけれど、それについて夢中になっていると、周りの大人は観光業や教育職へ結びつけて「沖縄に貢献する人になってね」と言っていた。そしてそれを私も受け入れていた。

 

 卒論では調査地に還元できるような研究をしたい、と思う。一方で、「沖縄への貢献」にまとめられることには違和感がある。というか、沖縄へ貢献することって、なんだ?

 今回の場でないんだけれど、私が県外の大学に行っているというと、「ああ、そういう子は帰ってこないから」といわれる。沖縄で就職するか否かで、私の心はこんなにも張り裂けそうなのに、勝手なこと言わないでほしい。そもそも、「沖縄に貢献する」ことは沖縄に住まないとできないことなのか?今回の留学を支えてくれている某奨学金の集まりでも、琉球大学の子に「沖縄を離れて沖縄を志向するのはずるい」と言われたことがある。彼女はもう覚えてないかもしれないけど、私は何度も反芻している。私がずるいかどうかは置いておいても、「ずるい」と思ってしまう感情については分かってしまう部分はある。沖縄県民(主語が大きい)が抱く「内地」という地域に対する憧れ。そこに滲む劣等感みたいなもの。それって何だろうね。「内地」も住んでみると、東京大阪以外は結構田舎だし、なあんだ大したことないなとも思ったけれどね。弟にも言われた「沖縄からイチ抜けしやがって」と。

 

 私がK高校を卒業して、北関東の森の大学に行き、台湾大学へ交換留学しているというと、「ディキヤー」だねえと言われる。学生にも「すごい」と言われていた。私は、中国語も英語もできないまま台湾に来てしまったから、こんなにも劣等感の塊なのに。あの県人会のメンバーの中では、私の中国語力は下っ端だろうなあと思う。私からすると、本科で台湾の大学に進学する方がよっぽど「すごい」のになあと思っていた。因みに「ディキヤー」と言われて、「そんな中国語もできない私がディキヤーなんて」と思うわたしよ。人からの褒め言葉を素直に受け止められない時、自分の劣等感に気づいてしまう。

 

 そのぼんやりとした思いをこうやって文字にしてみると、大学名とか中国語能力とか一周まわって大したことないなって思う。一周まわってしまった。よく言われることだけれども、大学名よりは「そこで何をしているか」が問われるし、語学能力を生かして何をしているかの方が大切である。自分が驕らないようにも、変な劣等感にがんじがらめにならないようにも、しっかりここに書いておこう。

 

 お酒を飲みながらだから、大変とりとめもない感じになってしまった。もう少し深く考えるべきことはあるだろう。「県人会」というコミュニティについての研究については、今検索したところ日本の大学の図書館で多くの本がヒットした。帰ったら読みたい。

 

 ちなみに、私がやっていることを話したら色んな情報を教えていただいて、ありがたかった。キャリアについても、少し考える機会にもなった。そういう意味では行けて良かった。

 

5月31日 5月のおわり、読書の日

 

 今日で5月も終わりらしい。びっくりである。でもまあ、留学の終わりを意識して日々を過ごしているせいか、ああまだ留学が終わるまで2ヶ月あるな、という謎の余裕もある。微妙な気持ちだ。

 

 朝起きるとまず、スマホの通知を確認する。すると、大学の先生からメールが届いていた。先週なんとか形にした卒業論文の題目について、「今のところはこれで大丈夫でしょう」とのこと。あとは書類を書いて、PDF化したのちメールで送るのと、国際郵便で大学の方にも送れば終わりだ。とりあえずひと安心。卒論の題目も目処がついたことだし、6月は中国語に集中するぞ、と心に決める。

 

 朝の授業を終え、DVDを返すために図書館へ。そのあと、基隆の社寮島にある琉球人墓に行く予定だった、当初の予定では。

 図書館で探し物があるからって、棚をふらふらしていたら、面白そうな本が大量に。気がついたら、5冊手にしていた。いやいや、今月は中国語に集中するんだぞと思いながら、台湾中国、日本、沖縄に関連するところだけ読んでみる。すると、これが面白い。気がついたら、お昼もいい時間だった。ギャグかよ。

 

考古学者石野博信のアジア民族建築見てある記

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民族の出会うかたち (朝日選書)

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現代民俗学の冒険 (桜井徳太郎民俗探訪)

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 予定を大幅に変更することにした。タピオカミルクティーを久しぶりに買って、クーラーをつけた部屋の中で本を読むことにしたのだ。なんせ、今日は金曜日!金曜の夜は相部屋が居ないのだった。クーラーもつけ放題だー!途中、本を読みながら食べるお菓子を買うべくセブンによったら、タピオカミルクティーを忘れる。まだひと口しか飲んでないのに!手に持ったものを失くす天才である。

 

 今日は月に一度の眠くて仕方ない日ということもあり、ベットで本を読みながら、時々お昼寝もした。ほんとうに、ゆったりと、台湾で過ごす日々って素晴らしいものである。

 私は日本に居るとき、資格の関係で単位ばかり取っていた。どうせ時間があっても、だらだらするだけだし、と言ってたけど、こうして自由な時間が生まれたところで、私が本当にしたいのは本を読むことだった。もう少し、自分を信じても良かったなと思う。私は人文系の学生で、本を読むことは人文系にとって必須である。単位を集めて満足していたその先を私は見なくてはならない。

 

 

イレズミの世界

イレズミの世界

 

 

 台湾原住民のタトゥーと、沖縄のハジキ(入墨)についての記述があるとのことで、ずっと気になっていた本。やはり台湾大にあった。面白くて一気に読んでしまった。

 

 知るということは、そのことに対して、その地域に対して、その人たちに対して、経緯を払うことである。台湾原住民博物館でインターンするにあたって、できるだけ関連の本を読みたい。

 

 気がつけば、この一ヶ月で20冊近くの本を読んでいる。漫画やDVD、中国語の本を加えればさらに増える。台湾と日本では自由になる時間が比べ物にならないけど、日本にいた時以上に台湾で日本語の本を読んでいる。中国語の本を読まないと。もっと中国語に触れないと、という焦りはすごくある。でも、でも、いまは日本語の本を読みたい時期なのだとしたら、今読みたい本は、いまが読み時なのではないか。

 

 昨日の道教寺院、道士のふるまいに込められた意味はなんだろうかと思うとき、役に立つのは中国語以上に、日本の大学で受けた授業だったり、台湾に来て慌てて読んだ本だったりするからかもしれない。(多くの日本人がそうであるように、台湾人の多くは年中行事に込められた意味を知らないし、現代の若者は年中行事に関わらずに生活するものも多い)両者のバランスを取るのはすごく難しい。ただ、どうであろうとも、志向錯誤しながら学んだ日々はきっとどこかで自分の財産になる。今はそう信じるしかない。

 

 

 本を読み終わった夜中、もう留学も終わりに近づいているし、ととっておきのどん兵衛開封した。日本の、出汁の香り。深夜にそれを食べるという背徳感をスパイスに、とても幸せなひとときであった。