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きのこのこのこのこ

最近大学生になりました。南の島から東路の果てへお引越し

卒業しました

日記

 

 3月1日、私は高校を卒業した。

 

 卒業式から昨日まで寂しさを埋めるように遊ぶことで一生懸命だったけれど、少しだけ時間ができた今、少しこの卒業について書いてみる。

 

 この3年間は長かった。学校は大嫌いだったし、自分のこともとことん嫌ったと思う。いつだってCoccoを聴いていた。登下校の車、パソコンしながら、そしてたまには授業中に抜けだしてトイレの中で。Coccoを聴きながら、文章をたくさん書いた。コンクールに出品して東京の表彰式と副賞が目当てだったりもするけど、それだけでない。

 ただ単に文章を書くことが楽しくてたまらなかった。それは先生が私の文章を楽しみにしてくれたからかもしれない。「あなたの感性が好きだよ」って言われたのは初めてのことで、自称進学校に入学して自信を失っていた私はこの言葉が何よりも嬉しかった。手帳を肌身離さず持ち歩いて、いつも何かしら書いていた。口では言えないような恥ずかしいことも(例えばこの記事)文字で書く時は半ば酔ったかのような勢いと気持ちよさで書いていける。次々と襲い来る課題に飲まれそうになりながらも、ノートの端に書いた文章はペーパーテストじゃ測れない私をアピールしようと必死だった。

 それに文章を書くことは、私を外へ連れてってくれた。修学旅行と幼い時の家族旅行以外で地元を出たことのなかった私を、ラオス、アメリカ、東京、福岡、神戸を初めとする多くの土地に連れて行ってくれたのは間違いなく書くということだった。きっかけは県の事業だったり、部活の大会、はたまたコンクールの表彰式というように様々だけど、どこへ行っても大きな衝撃を私に与えたことは間違いない。学校があまりに息苦しくて、そこにいると私は窒息してしまいそうだったから、外へ出ることが何よりの楽しみだった。学校を出ると、沖縄を出ると、こんな人がいるんだ。その驚きはいつしか喜びへと変わった。色んな人がいるから、私がどれだけ学校に馴染めなくても大丈夫。そんなメッセージを受け取ってからは学校も少しだけ楽になった。外に出て、庚申塔を探し歩いたり、土地公を見に行ったり、子規庵にも訪れたし、河童忌には芥川龍之介の墓参りもした。自分の好きを確定させ、好きを好きと言えるだけの強さを持てるようになったのは、それだけ多くのものに触れ、多くの人と知り合えたということなんだと思う。

 そうした経験は私をもっともっと知りたいことがある、見たいことがある。全身で全てを感じたいという欲求へと駆り立てた。

 勉強面という意味でもこの3年間は大きかった。もともと学校の勉強はそんなに好きじゃなかった私だけど、数学で落ちこぼれたことには少なからずショックを受けた。中学まではクラス平均点なんて興味がなくて、気になるのは最高点だけ。だって、私が最高点なことも多いから。そんな嫌味なやつだった。そんな私が高校生になって赤点を取るようになるなんて。赤点を取るのはマンガの世界の話だと思っていた。課題はまだコツコツやっていたから、内申はそんなに酷くなかったけど、辛かったなぁ。自分はまだ理解できてないのに、どんどん授業が進むあの感覚。考えても考えても分からなくて、終いには数学教師に「苦手な人は解法を覚えた方が早い」と言われてしまったこと。そのあと悔しくてトイレで泣いた。何故?という疑問は、私を一番興奮させたけれど、同時に苦しさも伴っていたのだと思う。分からないと自分がとてつもないバカになったような気がして、みんなに取り残されている不安に駆られたし、その一方で何も考えずに解法を覚えるなんてできないくらいに要領が悪かった。

 数学ができなかった反面、夢中になった教科もあった。国語と日本史、そして倫理だ。古典文法をやる意味が分からないって嘆きながらも、更級日記を原文で全文読んだこと、電子辞書とにらめっこしながら日本史と格闘したこと、そして倫理はマンツーマン授業でいろんなことを話した。キルケゴールベルクソンフーコーと格闘して、モノの考え方に論理性が加わった気がする。言葉一つ一つにぶつかる感覚はどれも楽しかった。これは中学までにはなかった種類の楽しみだ。何故?という思いは私を掻き立てるし、今まで普通に納得していた日常に疑問が隠れていることが面白くてたまらない。国語の課題ノートに日記文学への熱い思いを綴ったことも、「有島武郎は何故死んだのか」という評論まがいものを貼り付けたこともあったなぁ。あの頃は課題をほったらかしてこんなことを書いている自分が馬鹿みたいだと思っていたけれど、こうやって卒業した今からすると、そういう学びが効いたのではないかな。

 

 何故何娘だった私は学校の勉強だけでは飽きたらず、地元沖縄の文化に対する興味が止まらなかった。部活動でつくったラジオドキュメントも、担任を巻き込んだ観光甲子園も、情熱をもって取り組んでいた土地神の研究もすべてその延長にある。自分が生まれた地域について知ることは、時の流れを感じることと同等だった。教科書には載らないような人たちがどのように生きて、この世界を捉えていたのか。民間信仰にはその答えがあるような気がして、必死になって本を読んだ。寝落ちもたくさんしたけれど、研究に真剣に取り組んだあの夏は私の高校生活の中でもとりわけ輝いている。

 

 しかも、そうした諸々が全て積み重なって大学へ私は行く。結局ペーパーテストが一切ない試験方法で進学が決まった。自称進学校と揶揄される学校で必死にしがみついたあの期間は何だったんだと思わなくないけど、逆にもがきつづけた3年間だったからそれだけのことを吸収できたのかもしれない。あと1ヶ月もしないうちに私は沖縄を出て、東京のそのまた向こうにある大学へ行く。寮に住むことは決まっているけれど、あの馬鹿でかい場所でどんな大学生になっているかはまったく想像がつかない。卒業式のあと、私が進学する大学出身の先生に「あなたはその時々で苦しむことはあるでしょうけど」って言われてしまった。ああ悲しや。もう苦しみたくはないのに。でも、そういうことさえも明るく笑い飛ばせるのは、あの高校で3年間しがみついた強さなのだろう。

 

 卒業できて本当に良かった!