雑記帳

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卒業式答辞

 

 私、卒業式の答辞を読んだんです。

大の学校嫌いだった私が、卒業生代表として答辞を読むなんて何かのギャグかのように思えるけれど、実は自分自身が立候補したこと。苦しんだ3年間だったから、ちゃんと言葉にして良いフィニッシュを飾りたいと思った。

 

 折角だから、ここに全文を載せる。

 

 

 暖かな春の日差しに包まれ、私達は今日旅立ちの時を迎えます。制服という名の戦闘服を脱ぐ時、この3年間の日々はまさに戦いの名にふさわしいものだったのだと実感します。私達は、日々自分の存在に悩み、人間関係に悩み、思うように伸びない成績に悩みました。もがきながら歩んだ3年間は、決して楽な道のりではなかったはずです。息苦しくてたまらない日もありました。学校に上手く馴染めず、そんな学校を嫌い、何より上手く適応できない自分を憎んだ日がありました。しかし、苦しさのなかにも輝きがあったこともまた確かです。あまりに複雑な感情が交差していたその日々は、卒業の二文字を前に、より一層の重さをもって輝いているように感じるのです。

 

 3年前の春、履き慣れない革靴とたくさんの教科書をつめたリュックと共に私はこの高校へ入学しました。足元がおぼつかない私は、しっかりと前を見据え歩く先輩達の姿を見ながら、「私は一体どこへ行くのだろう」そう不安に思った日々を昨日のことのように覚えています。そんな、中学生気分の抜けない私達を待っていたのは体育館に机を運んで行う我が高校らしい勉強会でした。そこで先生方が語られた学校のこと、受験のこと、未来のこと。緊張の張り詰める体育館で、私達は一体どのような高校生活を描き、そこでみた未来とは一体どのようなものだったのでしょうか。

 

 私達の日常は、学校の机と家の机の往復でできていました。中学までの幼馴染に囲まれた居心地の良い空間はもうそこにはなく、1年生の頃ははじめて出会う人達、はじめての環境に戸惑ってばかりでした。自分の輪郭があまりにぼやけていたから、何故自分が机に向かっているか分からず、いつか憧れた進学校の制服が苦しかった。自分の感情が思い通りにならず、周りの人を傷つけて、傷つけられないと自分の存在が分からなかった。自らの未熟さを学校のせいにして、高校を辞めたい。そう思ったこともありました。しかし私は、この学校で学び続けることを選んだ。それは、どうしようもない閉塞感の中にも、きっとここでしか得られない何かがあると思ったからです。この学校で感じるもの全てを私の糧にしてやる。その思いは、私の高校生活を本当の意味で始めされてくれました。

 

 高校での日々は、忙しさに揉まれながらも刺激にあふれていました。1年生の頃に体験したインターンシップでは、働く意義を考えさせられました。将来を考えるときに避けては通れない「働く」ということ。自分は社会とどう関わっていきたいのか、真剣に考える機会を与えてもらいました。2年生になり、高校生活最大のイベントである海外研修がありました。台風の影響を受け、那覇空港での10時間もの待機などハプニングはありましたが、だからこそ、級友と訪れた海外での風景がより際立って鮮やかなものとなったと思います。自分達だけの力でまわったシンガポールの街、美味しいカレーをごちそうになったホームステイ。そして、夜通し語った友人の笑顔。4泊5日の海外研修は、それぞれの心に多くのものを残したことでしょう。ハプニングをものともしない私達20期のパワーは目をみはるものがあります。学園祭や遠足、社会科巡検、いくもの行事を共に過ごしていった私達は、不安で仕方なかった入学当初の日々を越え、気が付くと、大切な戦友となっていました。時にはぶつかりながら、時には受け止められながら。お互いに傷だらけになろうとも、大切な友人と過ごした日々は私の一生ものの宝物です。

 

 部活動では、学年、学校の枠をこえた多くの人に支えられました。日々の勉強との両立に心が折れそうになったことも、自分の実力不足を突きつけられた日もありました。しかし、「全国の舞台で私はやってやるんだ」という気概、「もっと、もっともっと上手くなりたい。全身で全てを感じ、全力を注いで表現してやるんだ」という思いは、常に私を突き動かしました。それも全て、前例がないコンクールへの挑戦も笑って応援してくれた顧問の先生、生意気な私を優しく見守ってくれた先輩方、そして頼りない私達についてきてくれた後輩の存在があったからこそのことです。等身大の自分を出せる場所、部活動での時間は教室とは違った安心感を私に与えてくれました。放送ブースで必死になってラジオドキュメントを作ったこと。文芸部室で、一生懸命にペンを走らせたこと。それらは、血肉となって今の私を形作っています。

 

 苦しかったはずの学校も、こうして日々を過ごしているうちに、少しずつ苦手ではなくなりました。それは、勉強一色に思えていた高校の多くの顔を知ったからです。相変わらずこの制服を着る自分に違和感を抱くこともありましたが、それでも1年生の時に感じていた「それ」とは種類が違っていました。勉強も、部活動も、人付き合いも、自分が真摯に向き合っていれば、結果はちゃんとついてくる。ちゃんと分かってくれる人がいる。そう知れたことは、私の高校生活で最も大きな学びでした。いつの日か、高校に期待した何かはちゃんとあったのだと思います。

 

 永遠に続くかのように思えた高校生活も、3年生になると同時に少しずつ終わりが見えてくるようになりました。笑顔で胸を張って、この学校を卒業したい。そう強く思うようになったのも、ちょうどその時です。しかし、卒業を目指してずっと過ごしてきたはずなのに、卒業の二文字が迫ってくるにつれて、なにか大切なものを落としてきたような感覚に襲われる自分もいました。静かな図書館も、海が見えるベランダも、全てこの手に納めていられたらどんなにいいか。しかし、そう思っている時にも時は一秒一秒と過ぎていき、私達は卒業という人生の岐路に立たされています。    

 

私達はこれから一人ひとり自分の道を歩んでいきます。しかし、その根っこが高校時代にあるのは紛れも無い事実。私達は、自分の道をみつめ、自分で歩むだけの強さをこの学校で育みました。

 

 いつも真摯に私達生徒と向き合ってくれた先生方。「全力で好きなことをやってごらん、全力で応援するから」と言ってくださったあの日、多くの疑問に次々とぶつかる私に対して嫌な顔ひとつせず、優しく根気強く教えてくださったあの時、決して忘れません。「あなたらしく頑張ればいい」そんな先生方の応援が、どれだけ心強いものだったか。土日も私達の為に学校へ来てくださった先生の情熱が、いつも声をかけてくださった先生の優しさが、私達を支えてきました。本当にありがとうございました。

 そして、朝早くからの送迎や毎日の弁当作りなどいつも一番の応援団でいてくれた両親。今、私はちゃんと大きくなれましたか。お母さんの笑顔も、お父さんの背中も、ずっと私のことを思ってくれていると知っていたからこそ、私はここまで来ることができました。例え春からの新生活で親元を離れても、帰省した時は何度だっていつもの笑顔で「おかえり」と言ってください。そこが私の拠り所です。これからも見守ってください。 

 

 そして在校生の皆さん。皆さんとは同じ〇〇校生として多くの時を過ごしてきました。聡明な皆さんは、これからも我が高校の伝統を引き継いでいくことでしょう。だからこそ、後輩の皆さんは立ち止まることを恐れないでください。自分の感情を信じて、もっと外に飛び出していってください。誰の手にもある高校三年間の時は有限です。高校にいると忙殺されることもあるでしょう。しかしそんな時は、自分は一体何がしたいのか、と問いかけてみてください。その問いが皆さんの高校生活をより豊かなものにすることでしょう。わずか3年しかない高校生活。自分が本当にやりたくないことをやっている時間はありません。ゴールは同じでも道は無数にあります。思い切り悩んで、思い切り笑って、高校生活を謳歌してください。そして、そんな皆さんのことを受け入れてくれる高校であって欲しいと思います。

 

 今日、私達は卒業します。この卒業は、一人ひとりの胸の内でそれぞれの意味をもっていることでしょう。しかし、これだけは断言できます。この卒業は決して一人だけのものでない、と。親、先生方、別の道を選択し高校を去った友人、私達の高校生活は、たくさんの人の一瞬一瞬が積み重なっています。あの時の笑顔も、苦しみも、切なさも、全てが今日の卒業につながっているのです。思い返してみると、あの不安定な足取りで歩んでいた私達は、多くのことを吸収していきながら、多くの友と支えあいながら、前を向いて歩んできたのだと思います。これから先、私達の未来はどうなっていることでしょう。挫けそうになることがあっても、高校での毎日を乗り越えた自分に自信をもって、一歩ずつ確かな足取りで歩んでいける、そんな強さが私達にはあると信じています。今、この学校を胸を張って笑顔で卒業できる。そのことが誇らしくてたまりません。

 

 最後になりますが、ご来賓の皆様、地域の皆様、保護者の皆様、そして高校で出会ったすべての方々に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。わが母校、〇〇高校の限りない発展と後輩の皆さんの活躍を願って、20期生の答辞と致します。

 

 平成28年 3月1日