雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

近況報告:まだまだ無茶しています

 

 大学三年生になりました。

 最近、何事も順調です。留学申し込みも終わり、無事に一番行きたかった、自分の実力以上の大学に留学できそう。春休みにダメ元で受けた中国語試験も合格した。奨学金ももらえることが確定。一番額が大きい奨学金も一次合格、二次面接を昨日受けてきて、結果待ち。博物館実習も無事に12日間やらせてもらえそう、しかも沖縄の博物館で。博物館実習と被る予定だった教職集中講義も、教職テストも、レポートで代替してもらえることに。サークルだって、ようやく一人で着物を着れるようになって、無事に執行代としての初めてのお茶会が終わった。初めてのお点前に挑戦して、ミスなく亭主ができた。1年生のころ、お茶会なんてお客さんとしても出たことなかった私からは想像できない。

 

 なのに、どうしてだろう。

 私が大学3年生なら、一つ上の先輩が4年生になったことになる。先輩が授業をほとんど取り切っていて、あとは卒論と就活のみ。地元に帰るんだって、話しているのを聞いた時、「いいなあ」と思ってしまった私がいた。

 

 私は頑張り続けるはずなのに、その為に沖縄から出てきたのに、自分の中の「いいなあ」に戸惑ってしまった。そして、一人暮らし三年目にしてはじめてのホームシック。これが1か月前のこと。それなりにつらかった。一番自分がどれだけ参っているかを知ったのは、博物館実習の件で沖縄の博物館から電話を受けた時。電話口から聞こえる訛りに涙が出た。これは不意打ちだった。私はあまり泣かない人だと言われてきたのに。沖縄に帰りたいのだろうか?と思うとそれとは少し違う気がする。

 

 ただ、多分だけれども、私は先学期に頑張りすぎていて、それを春休みに急に緩めてしまったものだからバランスを崩しているのかもしれない。先学期は最終的に37単位の履修をし、4回実習に行った。特別支援学校での介護等体験、社会福祉施設での介護等体験、山口県萩での民俗学実習、埼玉県秩父での宗教学実習。その合間に2回沖縄にも帰り、仕上げにとテスト期間終了翌日から2週間大学の研修でロシア・アルメニアに行ってきた。アルバイトで大学受験生を教えていたし、土日は基本的にないものだった。最後のところはペンを握ると手汗が止まらなくなっていたし、風邪でもないのに微熱が出続けていて、私の体調を崩すのが先かやり遂げるのが先かって感じだった。いや、ところどころ腎盂腎炎になったり、2週間くらいひきこもったり、見てみぬふりをしていることはたくさんあったんだけれど、押し通してやり遂げた。これは自慢しても良いと思うし、頑張ったなあと自分でも思う。でも、がむしゃらに走りながらも自分がどこを走っているのか分からなくなる不安や、自分が今やっていることを好きじゃないなって思う日が来たらどうしたらいいんだろうって思っていた。

 

 だからこそ新学期になって、今回こそはまともな時間割を組もうと思っていたはず。でも留学して、同期が卒業するなか自分だけがもう一年やらないといけないのかあと思うと、不安になった。

 でも留学は取りやめたくなかったし、期間も短くしたくなかった。それにキャリアを考えると今取っている資格である、中高の国語教職、地歴教職、学芸員資格、社会教育主事資格も取り切って卒業したい。だから不安に駆られるまま、自分の欲望を叶えることにした。つまり、留学も1年行くし、資格も取るし、4年で卒業することにした。

 

 可能なのか?って感じだけれども、先生に「ぜひ、そうして下さい」と言ってもらえた。2年生終了段階で125単位を取っていることが大きかった。それに、一番は大学が意外と柔軟に対応してくれること、実習先や先生方が個別対応してくださることに救われた。もちろん必修はまだ結構取りこぼしがあるし、教育実習だけは卒業後に科目等履修生として行わなければならないけれど。それでも5年目するよりは断然安く抑えられる。卒論は留学中に調査を始めつつ、メールで指導を仰ぐことになった。

 1週間くらい、大学本部棟に相談しに行ったり、先生と面談をしたりしているうちに、いきなり卒業年度が変わった。本当に‘‘勢い‘‘だけだ。学費のこととか、その後を考えるとそれで良いんだよね?と思いつつ、先生や先輩が背中を押してくれるのをいいことに決めてしまった。周りに飛び級する友達がいたことも影響していると思う。

 

 おかげさまで、大学三年生になってまで週3で1限スタート、フルコマまである。大学を卒業した時、私はこの4年間を「駆け抜けた4年間」だと思うだろう。忙しくしていたら、気が紛れて気持ちも楽になるだろうという、ホームシックに対する荒療治も兼ねていたつもりだけれども、この決断をしたあとの健康診断でメンタルが引っかかってしまった。心の健康診断再検査ってどういうことだよ?と思いつつ(なんと2回目)、自殺トップ大学のメンタルヘルス対策は伊達じゃないなとも感心した。

 

 まだまだ無茶している。それでもやっぱり動いていた方が楽で、一人で部屋にいると怖く思う。今はそこまで思わないけれど、関東と沖縄の距離を考えて絶望的な気持ちになったり、実家が関東にある人を羨ましく思ったりしていた。(2時間くらいで実家に行けるくせに一人暮らしして、弱音を吐いている人を見ると、何甘えてるんだって思う。この点において余裕がない証拠なんだよね)足のつかないプールで泳いでいるような感覚。頑張らないとって気を張っている感覚。

 そうは言っても、部屋は荒れてて、食生活も大学一年生の頃と比べたら外食にも頼っているんだけれども。

 

 今の状況を一つ一つ書いていくと、やりたいことは概ね順調で、周りも協力してくださるっていう。恵まれているのに、何となくうまくいかない。ホームシックは脱したけれど、何となく寂しいよなあと思っているところもある。でも、この寂しさは沖縄に帰ったら解消されるものでもない。それは痛いほど分かっている。だからこそ、難しいんだ。大学生、孤独と見つめ合う時間も内省の時間も大切だよ、と言われる。そうかもしれないんだけれど、諸々のバランスが難しいよ。どこに行っても、何をしていても、抱えなければならない自分が重い。まだまだ無茶しています。