雑記帳

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文芸部誌あれこれ~高校文芸部編集へのアドバイス的な何か~その3

 

 その1とその2はこちら。

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 ネットを彷徨っている弱小文芸部員に捧げる文章(直接の後輩への引き継ぎ文章だったりする)いきなりだけど、続き。

 

 

部誌作り

完成のために必要なもの

 部誌完成のために必要なものを次に挙げる。

作品

目安としてはB5用紙50ページ以上。それ以下になるとどうにも読み応えがないばかりか、見栄えがよろしくない。そもそもそのサイズにあった製本テープが存在しない。

また、その作品はジャンルに富んでいた方がコンクールウケするが、それは各自の部誌のコンセプトにもよるから一概にはそうと言えない。

特殊紙

これは部誌の表紙・裏表紙に使うほか、扉にも使える。文具店で買う場合は、印字可能かどうかしっかり確認すること。

 

製本テープ

最後の仕上げで使用する。マスキングテープなどでも代用できるが、その強度には不信感が残る。長く、部誌を保存するためにもここはケチらずに製本テープを利用した方が良い。

 

B5コピー用紙

 概算してみればすぐに気づくが、大量に必要である。大量に。学校の備品は使わせてくれないため(ケチ)、ホームセンターなどで安く買い叩かれている時にでも購入すべき。コピー用紙だけの話ではないが、部費は限られているため、節約できるところで節約しておかないと後々泣きを見ることになる。

 

表紙イラスト

表紙に使うイラストも製本の時までに用意しておく。文芸部は過去に美術部だった人など画力がある人が多い気がする。私が編集だった時は、画力溢れる文芸部員に依頼していた。部員内で描ける人がいない場合は、クラスメイトや美術部に依頼する。その際はなるだけモノクロで描いてもらうよう気をつける。我が校ではカラー印刷は許可されないのだ(ケチ)。尚、当たり前だがインターネットで拾った画像を表紙にすることは著作権侵害にあたる。外部に発表する以上、その点は神経質になって欲しい。

 

 製品に凝る~部費のお話~

 部誌づくりの楽しみとして、製品に凝るというものがある。第一に特殊紙に凝る。特殊紙は那覇市県庁駅近くのざまみダンボールで購入していた。

 近くには安木屋やMARUZEN、東急ハンズといった文房具店が立ち並ぶが、特殊紙の種類としてはざまみダンボールが一番ではなかろうか。そのため、他校もざまみダンボールを利用しているようである。

 

 部誌の顔を決めるとも言える表紙。自分たちのコンセプトに合わせて特殊紙を選ぶのは至福の時間である。面白い紙に驚き、値段にがっかりしつつも試行錯誤してみて欲しい。他校の例をあげると、和紙を利用して和綴じの部誌を作っていた高校があった。反対にコピー紙のみでペーパーブック的な部誌を作っていた高校もある。部誌は部員の個性やその時々の感性で全く違った仕上がりを見せる。そのお手伝いをしてくれるのがこの特殊紙なのだ。

 なおインターネットのサイトを使えば、さらに多くの特殊紙が手に入る。これは試したことがないが、その際は印字したときの印象も同時に確認しておくこと。

 

 特殊紙の次は製本テープである。我が高校では今まで基本的には黒の製本テープを使ってきた。これはどの特殊紙にもマッチするという理由からだ。しかし、製本テープの世界は奥深い。様々なカラーバリエーションがあるため、特殊紙のデザインと合わせてみたらぐっと部誌も良くなるだろう。

 

 製品を凝るために避けては通れないのが、部費の話である。我が高校の部費は、簡単に言うと部員の人数と各自の実績によって決まる。この実績には個人応募や国語の授業で書いた小論文などは含まれない。(ひどい話である)

 その為、私が担当していた代はいつもカツカツの予算でやりくりしていた。先輩たちへの卒業の品を用意すべく、自腹を切ったこともしばしばである。部誌を作るためにはどうしてもお金が要る。その為には部員を増やすのもヨシ、実績を重ねるのもヨシ。また、製品を凝らなければ年数回発行することもできるが、反対に1年に一度の発行に留めれば業者に依頼することも可能である。

 このように、高校の部活は部費のやりくりから全て自由なのだ。それはこの部誌づくりを通して一貫している魅力の一つだ。

 

文芸部誌あれこれ~高校文芸部編集へのアドバイス的な何か~その2

 

 その1はこちら。

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 ネットを彷徨っている弱小文芸部員に捧げる文章(直接の後輩への引き継ぎ文章だったりする)いきなりだけど、続き。

 

企画をたてる

 先のページにも書いたように、私は企画を大切にしていた。普段の部活動は完全な個人活動になるので、定期的に交流をもちたいと思っていたのだ。私が関わった企画を下に記す。

 

ビブリオバトル

ビブリオバトルは書評合戦と言われるものだ。決められた制限時間で自分のおすすめ本をプレゼンをし、質疑応答を経て、「どの本が一番読みたくなったのか」という視点で投票、勝者を決める。お菓子も用意し、本好き同士が思う存分語るおもしろい企画だ。本来ならここで終わりだが、部誌に企画として掲載するため書き起こしの作業があった。プレゼンと質疑応答の様子をビデオに撮影、編集がすべての語句を聞き取って書き起こすのだ。この作業は地獄だ。特に部員の数が多ければ多いほど、負担も大きくなる。また、多忙な部員全員が集まることも簡単ではなかった。そのような事情から、忙しい時期はどうしても行えなかった企画でもある。しかしその反面、部員のプレゼン能力が格段に上がったほか、学年を越えたよい交流もできた。この効果は大きく、部誌コンクールでも高い評価を受けたほか、他校の先生から「うちの高校でも取り入れたいから、やり方を教えてほしい」との要望もあったくらいだったということも書き留めておきたい。

 

リレー小説

 言わずと知れた企画モノの定番である。古典パロディ・ホラー・和歌をベースにした恋愛モノというようにいくつものテーマで行った。良い点としては、ページが簡単に稼げるほか、部員の知らなかった一面も見える点である。しかし、悪い点もある。スケージュール管理がこの企画の肝を握ることだ。必ず、締め切りを守らないやつが出てくるのだ。だから、部長もしくは編集が綿密に余裕のあるスケジュールを立て、マメにメールの確認、作品の催促をしなければ、なかなか仕上がらない。また、多くの場合は物語が暴走したり、どん詰まりになったりする。一人で書いているのと違い、プロットも満足にはたてられないだろう。そういった事情からも、毎回小説が上手い人の力に頼っていた。

 

百人一首図鑑を作ろう

 「百人一首図鑑を作ろう」は名の通り、百人一首の中から自分の好きな首を選び、その鑑賞を行うものである。最初の思惑ではこの企画を定期的に行い、100首全て揃える予定であった。同じ歌でも、鑑賞は人それぞれに違うものだ。わずか31音に込められた世界の多様さを感じられる企画でもあった。しかし、この企画は部員の鑑賞力に左右される要素が大きい。部誌コンクールでも言われたが、ある程度のレベルに達しないものは書き直しをお願いする必要がある。企画の認知がうまく行かなかったこともあり、インターネットのコピペまがいの文章も多かった。しかし、私はそれに対して書き直しをお願いすることはできなかった。先輩に対してそんなこと、言えるはずない!と当時は思ったが、それが企画のレベルの低さ、ひいては部誌のレベルの低さにつながった。同じテーマで文章を書く以上、一人ひとりの能力の差がはっきりとしてしまう。そういった意味でも難しさもある企画だ。

 

バレンタインを詠む 

先輩発案の企画である。バレンタインを味覚だけでなく、様々な面から楽しもうという趣旨だった気がする。短歌あり、俳句ありととっつきやすかったこともあり、編集の負担も軽かった。また、正月や夏休みなどアレンジもしやすいだろう。だからこそ私としては、ただ詠むだけにとどまらず句会まで行えたら良かったと思う。楽に行える分、下手に編集すると物足りなさも残る企画である。

 

古典パロディ

 これもまた先輩発案の企画。その名の通り、よく知られた古典作品のパロディを書いた。なお、古典作品の例をあげると『吾輩は猫である』・『夢十夜』といったものが多かった。

 

読書会

一度授業で習った作品を自分たちなりの解釈で読み解いていこう!との趣旨で『羅生門』の読書会を行った。まずに参加者で朗読をしあい、作品のポイントを挙げる。そのうえで

好き勝手に語っていった。授業とは違うので、正しさは追求しないことを念頭に置く。あくまでも重点は、それぞれがどう読んだのか。『羅生門』という有名な作品の力を借りて、それぞれの考えを引き出すことができたと思う。「生きることはどういうことなのか」そういったテーマを部員同士で真っ向から話すことは今までに無かったので、この企画はそれぞれの考えを知る良いきっかけにもなった。授業とは違い時間にも余裕があるので、国語便覧や『作者アルバム』を活用し、様々な視点で作品を見つめることもできただろう。なお、これもボイスレコーダーを用意し、書き起こす必要があるほか、話をすすめる司会役の人が必要だ。

 

 

以上が文芸部で行った企画である。何かを忘れている気もするが、記憶にも残らなかったものはそれだけつまらなかったのだろう。そういうことにして割愛する。企画はアイデア次第でどうにでもなるものだが、企画を立てるうえでのヒントを少々。

まず、文芸部誌に掲載したいのか、そしてどのように掲載するのかをはっきりさせる。うちの学校の印刷機はカラーコピー禁止・写真印刷不可(2015年段階)ということもあり、言葉だけでは雰囲気が伝わらないものは避けたほうが良い。また、スケジュール管理には気をつけて欲しい。ギリギリの日程で行ってしまうと、忙しい傾向にある高校生が集まることは難しい。顧問の先生など周りを巻き込むことになるものはなおさらである。

 

スケジュール管理

 部誌を作るうえでの肝はスケジュール管理にある。うかうかしていると締め切りはすぐにやってくる。課題に追われ、テストに追われ、自分が本当にやりたいことのはずの部誌編集は徹夜での作業ともなりかねない。そうなると、内容はどうしても雑なものとなりがちだ。私は何度もこれで失敗した。

 

 部誌編集をするうえで、締め切りは3つある。まず、一番大事なコンクール締め切り・学園祭締め切りである。全コンクール締め切りは主催者が決めたものであり、間に合わなかったらもちろん失格となる。学園祭もまた然り。たとえ部誌が仕上がってなくとも、学園祭は容赦なくはじまるのだ。そういう意味でも一番重要な締め切りとなる。必ず守らなくてはならない。そのため、全てのスケジュール管理はこのコンクール締め切りから逆算して行う。

 

 次に編集締め切りである。わが校は製本を手作業でやっているため、時間がかかる。そのため、コンクール締め切りの1週間ほど前には編集を仕上げる必要がある。部誌は製本までして初めて完成する。そのことを忘れないで欲しい。また、製本は以下の工程で行う。①wordで作成した原本を出力する

②原本を印刷室にて増刷する(部数は目的によっても異なるが、100部~25部前後で行っていた)

③増刷したものをページ順に並べる

④ホチキス・製本テープ

 

 印刷機の調子や部員の器量にもよるが、特に②③の手順で時間がかかることが多い。学校の印刷室を使わせてもらうため、テスト前などにかぶると最悪である。必ず、初めに顧問の先生との相談が必要だ。そのうえで、編集締め切りを決めたら良いと思う。私の場合、模試や午前授業の日をよく利用していた。これはおすすめである。平日ではどうも時間が短すぎて、集中したと思ったらすぐに下校という事態になりかねない。また土日出校したこともあったが、顧問の先生への負担が大きいほか、我が高校の立地が悪いため部員も集まりにくい。それに対して、この方法では部員が4名いるとして、半日~1日くらいで作業は済んでいたように思う。

 

 そして、最後に作品締め切りである。これは大概コンクール締め切りの2週間前に設定していた。しかし、部員というのは締め切りを守らないやつが一人くらいいるものだ。そのためにも余裕をもって設定していた方が良い。だから、編集としては2週間前に設定しつつも、部員には気持ち早い締め切りを伝えるようにしていた。正直面倒だが、作品提出までの期間は部員の進捗状況など聞き出しておいた方が、事前に部誌のイメージも作れるので編集の作業もスムーズに行く。因みに、部員の締め切り破りとしてよくあるのがあとがきとペンネーム(1年)の二つである。こちらはついうっかり忘れがちなので、そちらも注意しておく。

文芸部誌あれこれ~高校文芸部編集へのアドバイス的な何か~ その1

 

 私は地方のしょぼくれた高校の文芸部員だった。

 うちの高校はいわゆる自称進学校で、部活動にかける時間は短かったけど、楽しく活動させてもらった気がする。

 特に高校二年生になってからは部誌編集と部長にも任命され、あれこれ試行錯誤頑張ってきた。優秀な先輩からの教えもあったけど、まだまだ部としての歴史も浅かったから、はじめての企画もいっぱいたてた。編集といった丁寧さが求められる作業はどうも苦手だったけど、今思い返すと奥の深い楽しみでもあった。

 

 直接の後輩への引き継ぎは、活動時間の短さからあまり上手くいかなかった。彼女たちへのごめんね、という気持ちをこめて引き継ぎの文章を書いた。目標は、「私自身が高1の時に見つけたら歓喜したに違いない文章」。

 

 弱小校のノウハウなんて何の価値もないかもしれないけれど、別に秘伝の教えでもないので、その引き継ぎ文章をブログに掲載しちゃえと思った。もしかしたら、うちのような高校の生徒がネットをさまよっているかもしれないし。誰かのアドバイス的な何かになれたら幸いだ。

 

 ということで、学校名が特定されそうな情報を除いた全てを教えちゃうよー。それなりの文字数だから、何回かに分ける必要がある。よって、これは連載。

 

 

そのはじまり

 自称進学校高校の部活はつまらない。授業が終わるのが遅い上、土日の活動も難しい。しかも、1年の2学期からは希望者講座さえもはじまる。この限られた時間では、部員同士で仲良くなることさえ叶わない。そう、思っていた。そう思い込んで、どこまでも環境のせいにして、私は高校生活をつまらないものにしていた。

 

 しかし、ここは文芸部。自宅へ部活の内容を持ち帰ることは容易である。いくら課題が多いと言えども、全力で取り組んだら文芸誌を一冊作るくらい出来るだろう。高校生活を楽しいものにするのは自分自身なのだ。ただの文句垂れから、一念発起。私は高校文芸部編集係に立候補した。

 この冊子は私が試行錯誤しながら部誌編集、そして部長と文芸部で過ごした日々の記録である。我が高校文芸部には伝統がない。部誌編集においての規定もない。だからこそ、私は好き勝手にやらせてもらった。廃部の危機が迫るほど少ない部員に頭を悩ませ、この高校ならではの時間のなさに何度も追い詰められた。分からないことだらけだったこともあり、至らないことは多いだろう。

 だからこそ、私は後輩たちに自分たちの作品を作って欲しいと思う。コンクールに入賞するような作品よりも、作成が楽しくて仕方がないような部誌を作って欲しいと思う。この冊子は決して、部誌作成の指南書ではない。過去に居た、学校嫌いな文芸部員の体験談としてこの冊子を読んで欲しい。失敗談も、願望も全てこの冊子に託すから、その中で面白そうなものだけを取り入れて、自分たちなりの作品を作って欲しい。その手助けにちょっとでもなったら、とても嬉しい。

 

 

部誌を発行するということ

 部誌を発行するのは何故か。学園祭で配布したいのか、それともコンクールに出品するのか。目的は様々だろう。しかし自分たちの文章を社会へ発信する、この点ではいかなる理由で部誌を発行しようとも変わらない。

 たかが高校生の文章だから許してもらえるだろう、そう侮ることなかれ。自分たちの文章に責任をもって欲しいと思う。それは、文章のクオリティーの問題ではない。誰かを傷つけることは書いていないか?嘘はないか?そういった気配りができる人になって欲しいと思うのだ。その気配りは必ず文章のクオリティーにも良い影響を与えるだろう。

 この話は私が高校1年生の頃から、口酸っぱく言われてきたことだ。文芸部誌を発行するにあたって、必ず忘れていけないものがある。それは奥付だ。奥付には部誌名・発行者名・部長名・発刊日・連絡先を記す。奥付をつけるということは、この本をどういう人が書いたのかを記すこととなり、部誌に対して責任をもつということにつながる。何か不備があれば学校に連絡が行くのかもしれない、そう思うだけで気が引き締まるのを感じる。私たちは部活動で部誌を作っているかもしれない。しかし一度モノを発行する以上、背負うべきものは確かにあるのだ。なお、コンクールにおいてこの奥付がないものは、失格となるので気をつけて欲しい。

 また、奥付の次に書いて欲しいのが顧問名と部員名である。コンクール等外部に発表する際は、そのほかにペンネームとの対応表をつけるとなお良い。これもまた部誌に掲載されている作品を書いたのは誰なのか示すこととなり、文章に責任をもつこととつながる。

 

どのような部誌をつくりたいのか 

 どのような部誌をつくりたいのか、そう考えることは部誌作りにおいてとても重要なことだ。なんせ、どのような装丁にするのか、どのような文章を揃えた部誌にするのか、その全てが自由なのだ。

 私が所属していた2013年から2015年にかけて、文芸部の部誌は企画物を多く取り入れていた。これは、折角本が好き・文章を書くのが大好きというメンバーが集まったのだから、ここでしか出来ないことをやろうという考えをもったうえのことだった。また、様々なジャンルがそろっていたことも大きな特徴だろう。小説・詩・俳句・短歌・琉歌・エッセイ・コラム・戯曲等、どのようなジャンルの作品も掲載した。そのような意味では、私の代の部誌は文芸誌というより文芸雑誌の色が濃いといえる。

 

 因みに私が作りたいと思っていた部誌は、もっと真剣にふざけたものだった。例えば、「なぜ文豪はみんな病んでるのか」というテーマで読書会をしたり、琉球語の係り結びについての評論を書きたかった。高校周辺の文化財をまわった写真エッセーも書きたかった。何なら、漁港近くの天ぷら屋の魅力も伝えたかった。高校生活の忙しさを言い訳にして時は過ぎ、私はもう文芸部を引退している。もうすぐ高校も卒業する。だから、私が書きたかった文章はもう書けないのかもしれない。もっと真剣に、自分が何をしたいのかを考えれば良かったと思ってももう遅い。だからこそ、一度「私たちはどんな部誌を作りたいのだろう」と自分に問いかけて欲しい。

桜が咲きました

  

 桜の季節がやってきました、沖縄に。

 

 

 沖縄の桜って冬に咲く。しかも、1月下旬から2月にかけての最も寒い時期に咲く。ショッキングピンクの鮮やかな色で、花が散る時は「ぼと」って落ちる。桜吹雪なんてあったものでない。

 それは寒緋桜という品種だからだけれども、春から沖縄を出る私はこの桜が急に惜しくなって、カメラをぶら下げながら散歩してきた。

 

 

 まずは、八重瀬公園。

 

 沖縄県南部に位置し、園内は高台にあるため南部一帯も一望できる。八重瀬城址にある公園だから、見どころもたくさんだ。でも、今回の目的はあくまでも桜。御嶽にも惹かれる我が身をぐっとこらえて、写真を撮った。

 

 

 桜まつりが終わった翌日に慌てて行ったためか、桜はあまり咲いてなかった。時期が遅かったかと思われたけれど蕾も多かったから、これから咲くのだろう。今年の桜は遅咲きである。桜まつりの時期も気候に合わせて変動性にすればいいのに。

 

 

さっきからドアップな写真が多いのは、引いて写すと枝ばかりになってしまうから。

 

 夕方に訪れたこともあって、公園内には散歩している人がたくさん。地元の人が言うには、「この桜は樹齢がまだまだだから、北部に行った方がいいよ~」とのこと。確かに北部には桜の名所がたくさん。そう言われると、心惹かれちゃう。

 

 

 そして、八重瀬公園では文学碑も発見した。

 

高台にあって散歩コースとしてはすごく気持ち良いし、文学碑まで発見したこともあって、楽しかった。しかし、やはり気になるのは「北部の桜」

でも、遠いなあ。そう思っていたら、素晴らしい話がやってきた。「中北部の遺跡巡りに連れてってあげる」という私のための素晴らしいプラン!

 

 

 

 

ということで行って来ました、今帰仁城跡。

  格好いい城壁にも惚れ惚れしたけれど(また別記事で書きたいところ)、桜も綺麗だった。

 

 これで8分咲き。満開のタイミングにはなかなか合えないのが悔しいけれど、城壁とのコラボが見えただけで満足でしょう。

 

 

それにしても、寒緋桜っていつ沖縄に入ってきたのだろう。中世の中ではこの風景を見ていたとは思えないし……。

 

 

ここの桜は日本さくら会による日本の桜百選にも選ばれているそう。確かにこの風景は珍しいかもしれない。

 

 因みにここにも文学碑が建っていた。桜の名所=文学碑の方程式が成り立ちそうだ。文芸部の方で連載していた文学碑巡りのネタが増えて嬉しい。

 

 

 

 八重瀬公園で言われた北部の桜はこの目に収めることができたけれど、欲深い私は那覇の桜も見たくなった。

 いつの間にか始まった桜巡りの三軒目は与儀公園。

 

 

 

 

 季節はもう2月中旬。すっかり散ってしまったかと心配したけれど、そんな心配は必要ない。満開の勢いだった。

 沖縄ではヤシの木と桜のツーショットが撮れる。

 

同じ公園内にハイビスカスも咲いているからすごい。

地味にぼやかした足元も写っているけれど、わざと。サブカル女子の定番ショットなんて言われるけれど、私は足元の写真が結構好きです。靴も気に入っているし。

 

 

淡いピンクの桜も咲いていた。

満開だったからか、与儀公園には一眼レフを構えたおじさん、おばさんもたくさん居た。カメラを持っていない人もみんな、立ち止まってケータイで撮影。思わず撮りたくなるような美しさが桜にはきっとある。

 

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そして、ここにもありました文学碑。

有名な詩人である山之口貘の作品の『座布団』。因みにこちらは、いつかの文学碑めぐりにも書いている。

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 全部で3つの名所を巡り、今年はちゃんと桜を満喫できたと思う。春には大学でソメイヨシノが見れると思うと今から少し楽しみ。