雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

5月25・26日 博物館イベントに参加させてもらう

 

 

 この土日はいつもお世話になっている台湾原住民博物館のお手伝いをさせてもらった。

 

 新北市にある十三行博物館という考古博物館のイベントがあった。台湾全県・市及び世界の考古に関連する博物館・学校・関連の公共施設が出店する大規模なものだ。日本からも、沖縄県立博物館・美術館をはじめとする4つの博物館が出店していた。

 

 なぜ、考古の博物館のイベントに台湾原住民博物館が関わるのか?というと、台湾の場合、考古学が扱う資料の多くが台湾原住民のものとなるからだ。当たり前のことに気づくと、台湾の何層にも重なった統治の歴史に思いを巡らす。現在の台湾において、漢民族は全体の98%を占める、そう大学で習った。けれども、その漢民族が入植したのはずいぶん後の時代になってからのことだ。漢民族がやってくるずっと前から台湾原住民は、ここ台湾で暮らしてきた。圧倒的な漢民族の割合に惑わされがちな自分を戒める。

 

 

 私が居たブースでは、台湾原住民の弓矢の工作、それから実際に弓を飛ばしてみる体験スペースがあった。

 

 

 教育普及も兼ねているので、弓矢体験の際には台湾原住民の狩猟に関する規則や民俗も教える。たくさん並んでいる動物の中、狩って良い動物とそうでない動物がいる。それは彼らの神話や自然に対する観念が端的に示されている。例えば、母親と子どものイノシシは狩ってはならない、ということなど。生態系への配慮である。そういう規則は日本でもみられる。

 

 私は子どもたちに工作や弓矢の飛ばし方などを教えていた。

 何度も体験した日本語ガイドではなく、中国語での台湾人相手の活動に正直ビビっていた。戦力にならないのではないか、邪魔になるのではないか、私の中国語レベルじゃ迷惑にしかならいのではないか、そう思っていた。けれども、実際には何とかなった。

 

 私の拙い中国語を子どもたちはちゃんと聞いてくれたし、言葉足らずでうまく伝わっていない時は付き添っていた保護者の方がさり気なく補足してくれていた。何度も博物館の方には助けられ、親子には救われた。言葉がつまることは何度もあったが、落ち着いてみれば簡単な語彙で返答できた。中国語で聞かれたことが分からない、ということを恐れていたけれども、そういった事態は実際には一度のみであった。その時も一度聞き返して、それでも分からない、困ったなあと思っているうちに私の「不好意思……」の声を聞いた博物館の方がさらりと応対してくださった。私が恥をかかずに済んでいるのは、周りのおかげだ。それを十分に分かったうえで、この二日間をしっかりやり遂げられたということは、私の自信にもなった。何より、子どもたちは可愛い!!「姊姊,謝謝」の声に何度メロメロになったことか!

 

 私の留学生活における転機は、この博物館と出会ったことだと思う。

 

 博物館の方の気遣いで、イベントそのものをまわることもできた。どのブースも限られたスペースの中で創意工夫がなされており、「伝えたいこと」が明確であったように思う。子供向けの工作や体験が多かったが、いくつも体験させてもらい、楽しむことができた。勾玉を削ったり、発掘された土器を粘土で作ってみたり、学生が手作りしたタオ族のボート(チヌリクラン)に乗せてもらったり。粟餅をついてみて、実際の杵の重さにびっくりした(これでも小型だったのに!)チヌリクランは不安定で、台湾人の「安全」に「真的嗎!?」を繰り返していたけれど濡れずに済んだ。あのボートで漁をするタオ族の男性の優れたバランス感覚も知った。勉強になることがたくさんあった。

 

 某奨学金の面接で、「何故博物館に注目するのか」と聞かれ、(そんなの博物館が好きだからだ)と思いつつ「博物館は社会教育の場であり、社会教育は全ての人を対象としているからだ」と答えた。ここでいう全ての人というのは、老若男女という意味もあるけれど、外国人も含まれる。私のような中国語が完ぺきとはいえない外国人だって、一緒に笑って、一緒に学べる仕掛けがあったのは凄いことだ。

 

 一方で私は教職をとっている関係か、学校教育の中で行われる郷土教育みたいなものにも興味があった。ある小学校のブースでは小学生が獅子舞の実演を行っていたし、会場中央にあった舞台では原住民集落の子供たちによる合奏が披露されていた。以前、台湾原住民の集落に行った際、学校には部族語朗読大会の結果や音楽会の情報が張り出されていたのを思い出した。学校教育という公的な制度のなかで学ぶ文化とは一体どのようなものなのだろう。自分自身を思い返してみても、幼稚園からはじまり小中高、沖縄で受けたすべての教育課程のなかでエイサーを踊っていた。

 

 十三行博物館を観覧する機会もあった。

 現在、台湾原住民の祭りをテーマにした特別展をやっているとのことで、ずっと興味があったけれど、なかなか行けずにいたから幸運であった。一年を春夏秋冬に分け、その季節ごとに行われる祭りを紹介していた。考古の博物館だから意外だったけれども、台湾原住民の衣服なども展示されていて、焦点はあくまで現代の台湾原住民に当たっていたように思う。

 

 常設展では、博物館のある地域の遺跡である十三行遺跡の発掘成果の他、考古学者を「時空探偵」と称し、考古学者の仕事が分かるような展示も多かった。VRのゴーグルをつけて、周りを見渡すとオランダ時代の十三行が広がる体験や、砂場で実際に発掘体験ができるもの等々、ゲーム感覚で学べるものばかりであった。イベントのこともあって、博物館は賑わっていた。子供たちは夢中で展示を見ていて(遊んでいて)そりゃあ、楽しいよなあ、私だって楽しいものとニコニコ。

 

 台湾留学の中、様々な博物館を観られて楽しい。学芸員資格の為にとっていた授業の知識を総動員しながら、博物館の展示に込められたメッセージを考える。

 

 

 ちなみに余談だけれども、主催者側の博物館から仕出し弁当を頂いた。その際、「チキンでも良い?」と聞かれたのだけれども、私は最初何を言われているかが分からなかった。中国語が分からなかったわけではない。少し考えて、気づく。台湾ではベジタリアンが多いから、仕出し弁当を配る際にも確認が必要なのだと。しっかり確認してくれるということは、きっとベジタリアン向けの弁当も用意されているのだろう。そういうことに当たり前に配慮しているところが台湾の良いところなのだろう。日本でベジタリアンに出会うことなんて滅多にないから(といっても大学の学食にはハラールベジタリアンメニューがある)少し面食らった。

 

5月23日・24日 卒論題目と戦う

 留学日記

 たとえ日が空いてしまっても、たとえどんなに短くても、書き残すことが大切だと思い、更新。

 

 先日のこと

 

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 があったからか、朝から悶々としていた。自分の生きづらさをひしと感じて、ちょっと辛い。朝はベットから起き上がるのが大変だった。布団のなかの、優しい世界にずっと居たい。しかし、私にはやらなければならないことがある。

 

 1年留学の末、教員免許と学芸員資格を取得し、4年で卒業したい私には、いくつもの乗り越えるべきことがあった。「卒業論文の題目提出」はそのうちの一つだ。

 

 ここでの問題は、私が卒業論文のテーマにしたいことは台湾のことではなく、沖縄のことであるということ。それなら、何故今台湾留学をしているのかと言われそうだけれども、ここでは説明を省略する。台湾にも沖縄民俗の本は10冊以上持ってきているし、冬休み、時には週末弾丸帰省までもしていた。ただ、それでも、同期と比べて圧倒的に向き合えている時間は少ないだろう。

 

 最近少しづつだけれども、民俗学史なども勉強している。そうすると、その世界で何が問題となってきていたのか、がようやく分かりはじめ、私が最初の頃漠然と組み立てていた卒論構想のお粗末さを痛感する。もっと、もっと、本を読まなければならないし、もっともっと足を動かして、手を動かさなければならない。読むべき本が次から次へと出てくる。参考文献の参考文献の参考文献、という感じで芋づる式である。台湾で手に取れる本もあれば(台湾大学の蔵書は本当にすごい。台湾大学の蔵書がすごいのか、台湾における日本の知の占める割合が依然として高いのか)手に取れない本もある。

 

 結局のところ、良い問いというのはその学史を理解したうえでしか出てこないのだろう。やりたいことは決まっているが、その中の何を書くのか、そこからどのような論を導き出すのか。そういったところまで詰めてみると、自分が書きたいことというのが、如何にふわふわした、曖昧なものであったかを知る。大学の方で指定されたフォーマットで構想を書いてみるものの、「それは本当にそうであると言い切っていいものか?」とか「その意義は?」とか色々な点で自己ツッコミが入る。孤独で、とても怖い作業である。

 

 そうは言っても、私は国際郵便で卒論題目の書類を提出しなければならなくて。それにはタイムリミットも迫っている。台湾で学んでいることのほとんどは、私の卒業論文に直結はしない。けれども、台湾の授業の課題やプレゼン、テストも迫っている。できるだけ目に焼き付けたいと思っている道教のお祭りだって、私を待ってはくれない。台湾は台湾の時間で、時がまわっているのだ。

 

 院生の友達や同期にLINEで意見交換もしつつ、何とか形にした。ほとんど何も言っていないような題目である。10月に変更申請が効くので、変更は必須だろう(この点も相談済みではある)ある程度、割り切ることも大事なのかもしれない。そして先生からもオッケーと言われたので、目下のところは一安心。「目下のところは」

 

 気が付けば、台湾大学で学ぶのもあと1か月を切っている。焦りと焦りとほんの少しの諦観。卒論題目を提出してしまったら、ひとまず民俗学事典と字誌以外の民俗の本を日本に送ってしまおうかなあと考えている。台湾に居られる最後の2か月くらい、台湾のことに集中してみようかなあと思っているのだ。台湾に来た当初「中国語を仕事するわけではない」と言いわけのように言っていたけれど、もう少しものにしたいような気持にもなっている。欲が深いのだ。

 

 台湾を離れたくないと言えば言うほど、留学生活が充実したもののようだったみたいだから、声高らかに帰りたくないと言っている。その気持ちは本当なんだけれども、卒業論文にすこし向き合ってみると、日本に帰ってやりたいこともたくさん出てきた。中国語や留学の成果に対する焦りもあるけれど、日本でのことに対する焦りもあるわけで、同じ焦りでも色んなことがごちゃ混ぜになっている。

 

 この前友達にポロっとこぼしてしまった。帰国すれば、「成長しなければならない」という留学に関わるプレッシャーからも解放されるし、中国語と英語ができないことで劣等感を覚えることもなくなるんだなあと。そう思ってしまうこと自体、仄かな挫折感がある。本当はもっとできるようになったことも、得たものもあるのだけれども、台湾ではそれを感じることがなかなかない。中国語だって、先学期よりレベルの高い授業を取っているから、いつだって「できない」という自己評価のままだ。できないことを反省することは大切だけれども、できるようになったこともしっかり分けて評価したい。

 

 この日はたくさんの息抜きもしました。

 お気に入りのカフェで進捗を生む図。

 台北は本当に便利で、住みよい街で、美味しいものがたくさんあるので、そういうものが手に入らなくなるのがとても悲しい。都市生活にすっかり慣れてしまって、もとの田舎暮らしに戻れるかが心配。

 

 22日は「日本統治時代の卒業生にお話しを聞く会」もあり、行ってきた。

 

 私の祖母は沖縄戦疎開の為、台湾で暮らした経験がある。曽祖父は琉球官兵として、南投の方で警察官をやっていたそうだ。実際に赴任地にも足を運んでみたし、思うところはたくさんある。けれども、台湾生まれのいわゆる「湾生」の方が語る台湾の思い出と、祖母が語る台湾は全く違っている。そもそも、祖母はあまり教えてはくれない。建成小学の卒業生と祖母が住んでいたところは、わずか数キロしか離れていないのにも関わらず、だ。

 

 建成小学の卒業生のお話はとても面白かった。ただ同時に、祖母の語りとの温度差も感じた。やっぱり、学ばなければ。知りたい、という好奇心よりも、もっと違う感情のような気がする。学ぶことは、そのこと、その経験をした人、その地域に対する敬意を払うことのように思うのだ。

 

 祖母と台湾についてのこと。色々書きたいことはあるけれども、まだそういう時期ではない気がするのだ。でも、そういうこと全部ひっくるめてやはり台湾で学んでよかった。

 

5月22日 色々と頭の中がパンクしそうな日

 ある一日の記録。

 

 

  毎朝8時からの中国語の授業。台湾大学での学修も残り一か月になり、レポートやらプレゼン、テストの話題が耳に入ってくるようになった。今日もその一つで、プレゼンがあった。プレゼン、と言っても簡単なもので課題も直前に言われただけ。それでも、クラスメイトの発表を聞くのは楽しかった。直前に言われたプレゼンをさらりと作れるのだから、やっぱり、台湾大学の学生は留学生であっても「優秀」なんだなと思う。

 

 別に自分が「優秀」と言いたいわけではない。私の台湾大での友達は「プレゼンを作るくらい当たり前」と言うだろう。でも、正直言って高校や中学のプレゼンのレベルを考えると、そしてその同級生を思い返すと、やはり「優秀」なのだ。「すごいなあ」と思う。台湾大で出会った日本人に「交換留学といえども頭のいい大学から来ている子が多いよね」と話していたら、「そうは思わない。馬鹿なところもたくさんいるじゃん」と返された。そうなのか。

 日本の同世代人口のうち、4年制大学への進学率は49.4%、沖縄県は35.4%(2017年3月高校卒業者)

todo-ran.com

 さらに国立大学に入れるのは同世代人口の8.8%ほどだそう。さらに留学できる学生は同世代人口の一体何パーセント?みんなすごいなあと思うのだ。すごいなあと。ぼんやりと。

 

 私も確かにそこに居るのだけれども、時々気持ちが追い付かなくなる。因みにだけれども、その狭い世界で「あいつ英語できないし」とか言っている声を散々聞いて、大学名でお互いをバカにするのを耳にするから、またぼんやりと「大変だなあ」と思う。まあ、私は英語も中国語もできないのだから散々言われているのだろうけれども。

 

 いや、ちょっと待ってよ?この「私は英語も中国語もできない」とずっと書いてきているけれども、これも大きな認知の歪みがあるのだろう。そもそも台湾で居留証を得て、銀行口座を開設し、インターン申し込みをし、英語なり中国語で仮にも台湾大学の授業を受けているのだから、全く英語も中国語もできないことはない。でも私と同じようなレベル、もしくは私より英語ができる子、中国語が出来る子が馬鹿にされているのを耳にしているから、「私は本当にだめだ」という気持ちになるのだ。私の中国語は確かに伸びているはずなのに、私はずっと「自分は英語も中国語もできない」という認識のままである。最近これが正直しんどいです。

 

 

 いや、台湾大学に来ている人は高いレベルの世界で、高い次元のことを言っているから、「英語も中国語もできない」わけで「学歴が低い」なのだろう。それは分かる。ただ、本当に私はそのレベルで育ってきていないし、その世界への志向性をもっていないから、ただひたすらに場違いな気がする。さらに言えばわたしにとっては無意味な方向で貶められている気がする。

 

 誰かが「完璧主義で、頑張ってきた人が出来ない人を馬鹿にするのは当たり前」という風に言っていた。その場では「そうかな」と笑ったけれども、今ならはっきり言おう。できる人の努力は認められるべきではあるけれど、それが出来ない人を馬鹿にする理由にはならない。

 

 ちなみに学歴について。「あの子○○大学から来ているから仲良くしたい」って話を何度も聞いたんだけれども、そしてそういう発言をする子は友達だったりするのだけれども、その発言ってどうなの?と思う。そういう話を聞くと、「じゃあ、私と仲がいいのは私がいわゆる難関大にいるからなの?」と思ってしまう。「○○大学だから」と言ってしまうと、そこにおいて私という個人はあくまでも大学ブランドの乗り物でしかなくなる。私という個はブランドを前にかき消される。ああ、私が繊細なのだろうか。繊細だってよく言われる。私が何に傷ついているのか、できるだけ論理的に、具体的に話そうとすると「哲学だね」と笑われる。違う子には「先生みたい(笑)」と言われた。つまり、「お堅くて、つまらない」そうだ。

 

 さらに言うと、聞いてびっくり、肌で感じてさらにびっくりだったのは、「陽キャ」「陰キャ」「ブス」みたいな言葉、概念が飛び交っていること。私は言うまでもなく、陰キャに分類されるだろうし、友達とそう言って笑う。でも自分で自分を「陰キャ」って言うのって実は痛い行為で、できれば言いたくない。何が嫌かって、自虐が嫌なんではない。(嫌だけど)それ以上に「陽キャ」とか「陰キャ」とかアホらしいと思っている枠組みの中に自分を当てはめる行為の方が痛みを伴う。人はそうやって分類できるはずの存在ではないから。歩いているだけで「ブス」とか容姿について言われるのなら、それは通り魔みたいなものだ。友達が「私もかわいく生まれたかった。可愛く生まれたら人生イージーモードだった」と言っていて、私自身はそう思ったことがあまりないのでピンと来てなかった。そういうと「あなたは顔で判断されたことないんだよ」と言われた。痛みをまた感じた。

 

 「気にしなければいい」「関わらなければいい」「留学先で日本人と関わっているのがまず悪い」その言葉は聞き飽きた。そういうことじゃあないんだ。できるだけ関わりたくないし、気にしたくない。ここで関わっている日本人もごく少数だ。それでも耳に入るし、同じ台湾大学の学生(本科生であろうとも、交換生であろうとも)である以上、そういう目で晒され、態度で気づいてしまったり、笑われたりするから、つらいのだ。そうやって、つらいと思うことがアホらしいと思えば思うほど、それでも否が応でも気になる自分が嫌なのだ。何故?感じたことを自分なりにこうやって咀嚼することは、決して悪いことではない。感じること、それを言葉にして、違和感を考えることまでも、自分で否定してはいけない。

 

 大学入ってからはそういう悩みをほとんど持っていなかったのに、ここに来て感じている。高校で感じていたことに近いのかもしれない。「私がそう感じるのだから、否定しないで」と母に怒った日のことを思いだす。

 ただ、ここは海外で沖縄に居た時と違って私は自分で動くことができる。私はもう21歳で、あの頃よりはタフなのだ。

 

 

 授業が終わって、私はバスに飛び乗った。この日は華陀神醫先師千秋で、龍山寺でお経があげられるだろうと見越していたからだ。

 

 お寺では予想どおり、お経があげられていた。女性があげているお経はしばし、歌のようで、聞いていて心地よい。龍山寺は人気観光地なので、その間にも大勢の観光客が手を合わせにくる。そういった景色を観ながら、私は信じるという世界観に惹かれているのだと思う。ひっきりなしにやって来る人は何を祈っているのか、彼等が手にしている線香の香り、耳から入ってくる祈りの言葉。道教の信仰はそのまま俗世につながってたりもするので、別に信仰世界が「純粋」で「高貴」なものとは思わない。けれども、祈ることを軸とし、連綿と受け継がれてきた時を思う。その悠久の時を感じると、私はとても楽になる。純粋におもしろいと思う。

 

 龍山寺は観光地なので、お経が終わると供物は早々に取り下げられていた。神様もせわしないなあと思った。

 

 その後、再度台湾大学に戻って漢詩の授業。

 杜甫の「江南逢李龜年」を習った。先生が「みなさんは台湾大学の学生で、理想も高いだろうけれど、もし自分が落ちぶれた後に旧友と再会したらどう思う?つらい?」というような問いかけをしていた。私の地元には帰る家があって、先祖がずっと守ってきた畑があって、親戚はわたしを無条件で受け入れるだろうし、私の小中高校の友達は私が「優秀」だから付き合っていたわけではない(そもそも「優等生」ではなかった)というのが分かっているから、再会を喜べるだろうなと思う。「自分が落ちぶれた」といっても社会的な評価に過ぎない。

 

 私はいわゆる「レベルの高い」世界で、そういう空気にうんざりしているけれども、時には自分の生まれみたいなのを恨む時さえあるけれども(インターナショナルで教育受けたバイリンガル以外「英語できない」と言われているのを聞いている世界だ)そうやって、思えるのは豊かさ以外の何物でもない。

5月21日 日式カラオケに行った

 

 

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 きのう、こわいくらい一人が楽しいって書いたけれど、今日は台湾人、日本人の友達と一緒にカラオケに行った。なんだかんだ、誰かと一緒に居る楽しさも大切じゃん、と自分で思う。私は単純なのです。

 

 日によってそのバランスが変わるだけだ。昨日は読んでいた宮本常一の『民俗学の旅』が面白くって、夢中だったけれど、今日は友達と一緒に騒ぐのが楽しかった。色んな種類の楽しさを知って、自分の心地良い風に過ごせたらと思う。ただ、やっぱり今は本を読むこと、中国語をやること、そういうことをしっかり積み重ねていきたい時期のような気もする。今日カラオケではしゃいだ分、夜やらないといけないことはある。だから、あくまでも大切なのはバランスなのだ。

 

 今日のカラオケは、言語交換をきっかけに仲良くなった子に誘われたのがきっかけだった。その子たちは台湾大の日本語学科の学生。私が先学期取っていた日本語翻訳の授業をきっかけに親しくなり、言語交換をはじめたのだった。でも、いつからだろう、「言語交換」のためというより、お喋りをすることに夢中になったのは。気が付けば、言語交換のパートナーから、友達になっていた。そしてこのことがたまらなく嬉しい。大学の図書館で言語交換することもあれば、今日のように遊びに行くこともある。この言語交換は昨年の10月から毎週続けている。その間に私の中国語も、友達の日本語も上達していて、最初の頃よりどんどん思いを伝えられるようになっているのが、ちょっとした自信になっている。拙いとはいえども、中国語でお喋りできるようになっていて良かった。

 

 カラオケも、彼女たちが日式のところを見つけ、予約し、案内してくれた。いたせりつくせり、ありがたいなあ。台湾の「日式カラオケ」は、日本とほとんど変わらない。最新のDAMが入っていて、大画面には日本語の歌詞が表示される。さながら日本に居るみたいだ。

 

 

 最初は「日式のカラオケなんて、気を遣わせてしまったみたいで悪いなあ」と思っていたけれど、驚くのは彼女たちの曲の引き出しの多さ。三時間、みっちり歌っても歌いつくせないほどだった。誰かが星野源の「恋」を歌った時は恋ダンスをし、誰かの曲を聴きながら昨年の紅白の話をする。チケットが取れなくて悔しかったコンサートのことや、主題歌となっているアニメの話もした。ほんと、日本の友達と変わらない話題だ。ワイワイと楽しみながらも、しみじみと彼女たちのアンテナの感度の高さに感心していた。

 

 わたし、中国語を勉強しているけれど、中国語圏の文化に関してこれほどまで敏感に居られてないな。中国語で歌える曲ってあったっけ……。台湾語の曲は最近授業の中で習ったけれど、それきりだ。

 

 別にそうでなければならないわけではないけれど、拙いとはいえども折角「中国語」という新たな世界にアクセスする力を得つつあるのだから、そこで広がる世界を堪能するに限るのだ。私が中国語に対して挫折感を抱くのは、日本語で読みたい本と同レベルの、学術的な本を挑もうとするからなのかもしれないな、と気づいた。来週の言語交換では友達に、台湾の曲のおすすめを聞かなくては。

 

 いやあ、それにしても声を大きな声を出すって気持ちいい!大声で、思う存分歌っていると、私が普段、如何に自信なく英語も中国語も話しているかが分かる。日本に居るときは頻繁にカラオケにいっていたけれど、今回のカラオケは大分久しぶり。あれだけたっぷり日本語の曲を聴くのも久しぶりで、何だかとても懐かしかった。

 

 最近、留学が終わることが怖くて、ずっと帰国したくないと思っていたけれど、日本には私の好きな歌がたくさんあるのだ。そう考えると、日本に帰るのが少し楽しみになる。私も、留学仲間も、音楽をはじめとする情報は2018年8月で止まっている。さすがに大きなニュースは耳にしているけれども、きっと私が知らない新曲がたくさんあるのだろうなと思うと、浦島太郎的な気分だ。

 

 ちなみに、今日友達が紹介してくれたカラオケは一等地の13階にあり、景色が綺麗。さながら高級マンション。私が自分で見つけていたカラオケは、汚い雑居ビルの一室。さらに今日行ったところより高い!やっぱり台湾の友達に紹介してもらうところはハズレがないなあと思うのでした。