雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

明けたね2021

 

 明けましておめでとうございます。

 ぬるっと新年あけました。2020年の振り返りとか、2021年の抱負とか書きたいなと思いながらも、体調不良でずっと寝込んでた正月でした。寺社仏閣が好きなわたし。例年だと初詣のハシゴをしたり、親戚宅、友人宅で新年会に参加したりと忙しい年末年始なんだけれど、今年は自粛が叫ばれているし、ある意味ちょうど良かった。

 

 さてさてさて、遅ばせながら新年の目標を考えてみる。

 

①健康

 はい、まずは健康。

 今年もまだまだ新型コロナウイルスが流行っているし、新年早々寝込んでしまったし。言うまでもなく一番大事にしたいものです。現状として、一か月に数日寝込んでしまっている……。これかなりもったいない。身体だけでなく、メンタルの方も大事に!具体的には睡眠は7時間確保する。深夜2時までには寝て、9時までには起きたいし、朝ごはんを食べたい。生活リズムを整えたい……というか、これが破綻している院生、めちゃくちゃ良くない……。そういっても、これ書いてる現在が真夜中……。

 

②運動

 ①と近いけれども、20歳を超えて急に体を動かす重要性に目覚めた。身体を動かしていると何だか調子が良い。具体的には毎日30分以上身体を動かしたい。

 やりたい運動は以下の通り

 ・散歩:午前中に散歩するなら畑仕事している祖父に挨拶できる。

 ・卓球:近所の体育館でできる。弟とおしゃべりしながらやるのが楽しかった。

 ・水泳:幼少期にスイミングスクールに通ってたからか、実は泳ぐのが好き!水の中ってキレイだし、無心になれるような気がする。これも近所のプールで泳ぎたい。

 ・ヨガ:台湾留学中にヨガクラスを取ってたんだけれど、思想的なことにも関心がわいたので。しかもどうやらわたしの居住地にはヨガ教室が多い模様。

 

 ガッツリやるのは向いていないと思うけれど、楽しみながら色々と手を出したい。

 

③読書

 物心ついた時から趣味は読書だった気がするわたし。ブクログによると、漫画・雑誌・学術書・小説ぜんぶ含めて昨年は344冊読んでいたらしい。(多くは漫画と小説だけど……)ゴールデンカムイハイキュー!!宇宙兄弟ちはやふるあたりが新型コロナウイルスの緊急事態宣言が出された頃に無料で読めたことが大きく影響している。昨年の3月4月はずっと漫画読んでたからねえ……。しかもそこでハマって、後に全巻読んでいるもんだから、漫画だけで200冊くらい読んでるかも。今年もたくさん読みたいものです。研究関係は言わずもがな、沖縄文学にも手を出してみたい。もちろん漫画も。沖縄に住んでいるから読める作品ってあると思うんだ。「いまここ」で読む作品、一冊一冊を大事にしていきたい。

 

④茶道

 一番の趣味って聞かれたらそりゃあ読書なんだけれど、趣味と研究とが近すぎることも悩みでして。本を読んだり、ものを書いたりする「以外」の趣味を充実させることも今年の目標。大学のサークルでやっていた茶道をぼちぼち再開させたい。欲を言えば、週に一回程度習いに行きたい。でも、それが難しくとも実家の和室で簡単なお点前をやりたい。せっかく身についてきていたお点前を忘れたくないというものあるけれど、これもまた身体がスーッと動く瞬間が気持ち良いんだよね。今年、ちょっと気がかりなことをたくさん抱えているので、そういう時間こそ大事にしていきたい。

 

⑤研究

 本分なはずなのに5番目に挙げるんかい。寧ろ本分であることが十分に分かっているからこそ、頭が痛かったりするもの。今年は修士論文に集中する年にします。大学院進学当初に想定していた修士生活ではないし、修士論文の構想もまた変わっていくけれども、納得のいくものを書きたい。新型コロナウイルスとか、家庭の事情とか、言い訳しようと思えばできてしまう環境だからこそ、そこに逃げずにいたい。がんばろ。でも、研究が苦しいものならば離れてもいいんじゃないかとも思う自分も居る。自分の関心に貪欲でいたいな。

 

⑥語学

 こっちは「勉強」の方。具体的には留学時の中国語能力をキープすることと、英語論文を恐れずにいられるようになりたい。私は外国語学習が特に好きでも得意でもないので、英語も中国語も意識的に触れる時間を作らないと絶対にやらない。オンラインでもオフラインでも、色んな機会見つけてとにかく喋る時間を作りたい。研究の進捗が簡単にでない一方で、語学はやったらやった分だけ確実に前に進めるのは救いだと思う。

 

⑦ドリンクを楽しむ

 茶道も上に挙げたけど、そもそもわたし、あったかい飲み物が好き。オンライン授業が増えて、家でドリンクを楽しむ時間も増えたので、ちょっとこだわってみたい。そう思って、LUPICIAの福袋を買ってみたり。(フレーバーティーが多くて嬉しかった)コーヒー豆も家で挽けるようにミルを買ったり。今年も海外には行けないだろうから、色んな産地の飲み物で外国の風を感じたいものです。コーヒーも紅茶も手軽に楽しめるのに、工夫の余地が多いのも嬉しいところ。

 

⑧車の運転

 沖縄に1年住むって決めているので、いっつも避けていた車の運転も頑張ります。今のドライビングスキルは、空いている時間帯なら何とか実家から那覇、中部まで行けるって感じ。でも実家のある南部から北部へ行くこと、高速道路を使うこと、渋滞の時間帯の運転(しかも沖縄の場合、ややこしいバスレーンとかある)はまだまだこわい。沖縄に住む以上、こわいとか言っていられないと思うので、運転を楽しめるようになれたらいいな。そして沖縄本島各地、色々言ってみたい。拝所や文化財もそうだけど、カフェとかお菓子屋さんとかも。

 

⑨その他、色んな事に挑戦してみる!

 具体的には以下のこと

 ・乗馬!(ずっとやりたいと思ってたこと。本島南部だとヨナグニウマに乗ることができるらしい。)

 ・アロマキャンドル・ボタニカルキャンドルづくり(最近キャンドルにも凝っているものでして、ハマったものは自作したくなってしまう性)

 ・料理(1人暮らしでもずっと自炊してきたけれど、家族分の料理を作ることも増えそうなので、この機会にレパートリーを増やしたい。料理って慣れると、手慣れでちょいちょいと作ってしまいがちだけど、やっぱりレシピを見て作ったほうが何倍も美味しいことも多くて。そのへんもじっくり取り組みたい。)

 ・骨盤矯正(何となく気になっている。ひどい猫背で、椅子に座っているのも苦手なので骨盤矯正が必要な気がする)

 ・イラレとフォトショ(幸運なことにイラレとフォトショが無料で使える環境にいるので、この機会に使えるようになりたい)

 ・写真(上と関連して。一眼レフカメラを持っているんだけど、調査の時に情報写真として撮るばかりなので全く上達しない。雰囲気ある写真も撮れるようになりたい)

 

 バババーっと書いたけれど、結構やりたいことが出てきてびっくりした

 新型コロナウイルス含め、大変な世の中だけれども、暗い年にするのかどうかってやっぱり自分次第なところでもあるから、楽しく過ごしたいものです。健やかに、穏やかに、にこやかに過ごせますように!

通信制大学で教員免許(国語)を目指した話①

 

 通信制大学佛教大学)の科目等履修生となって、足りない単位を補充し、教員免許所得を目指していた。そしてこの度めでたく単位を無事に取得。通信制大学についてのネットの情報は少なく、自分自身手探りのなかの日々だったので、自分の体験を書き留めようと思う。

 

 1.はじめに

 まず、前提。2020年3月に大学卒業、4月からは大学院生。大学在学中には、国語(中学・高校)、地理歴史の教員免許のほか、学芸員資格を目指していた。ここでわたしの欲張りっぷりがわかる。大学によってはそんな無茶苦茶履修は許さないんだけれども、私の大学は何でもオッケーだった。学芸員資格の方は教員免許と比べて単位も少なく、大学3年の夏に実習に行った。大学4年生で教育実習に行けば教員免許の方も大学卒業と共に得られるはずだった。

 しかし、私はここで一年間の台湾留学に行く。もともとは1年間留学するなら、その分だけ卒業も延ばす予定だった。でも大学院にも興味があり、さらにはこれまで取得してきた単位だけでも十分卒業できる……。と、いうわけで1年留学からの、大学院進学が決定した。*1

 

 

 ここでの問題は、2つ。

まず、国語科指導法3単位の取りこぼしがあること。(国語と地歴の複数教科の教員免許を目指す人は少なく、それゆえ時間割が被っていたため取れてなかった)それから、教育実習と教育実践演習が行えていないこと。

 

 そこで、通信制大学に科目等履修生になって単位を取ることとなった。

 

 ちなみに、ややこしいんだけれども教育実習は附属高校をもっている母校の大学でやった方が良いだろうとのこと*2で、教育実践演習も同様。その為、まずは母校の科目等履修生になった。

 取りこぼしている国語科指導法も母校で取れたら良かったんだけれども、どうしても大学院のゼミと時間割が被る。私の中での優先順位は「大学院>国語教職」だったので、この時点で国語教職を諦めようかと思った。ただ、あと数単位で免許が来ること、地歴教職は高校のみの免許で、中高一貫校を視野に入れた時にどうしても弱いこと等々考えた時、大学の先生から通信制大学のことを提案された。

 

ここまで整理

・2020年3月大学卒業(ちなみに教育学部ではない)

・2020年4月大学院 入院(ちなみに教育研究科ではない)

→つまり通学制の大学の方でレポートの書き方などは学んでいた。さらに私の在籍している大学(院)は北関東の教育が有名な国立大学(ほぼ名前を書いてる)だったことから、図書館には教育学関係の本や論文雑誌が多く、さらに先生方にも相談できる環境であった。(これは通信制大学で学ぶうえではかなりのアドバンテージとなった)

 

・国語教員免許(中高)と地歴教員免許の取得を目指し、ほとんどの単位を取っていた。通信制大学で履修したのは、国語科指導法のみ。

・同時期(2020年4月から一年間)には母校の科目等履修生にもなり、教育実習と教育実践演習を履修した。(している)

 

2.通信制大学を選ぶ

 専門は教育ではないが、教職の勉強をなかなか面白く感じていたため、通信制大学で国語教職を最後まで取り切ることに決めた。(ちなみに地歴教職は教育実習と実践演習を除き、卒業までに取り切ることができた)学部生をもう一年やるより学費も断然安く、貰っていた奨学金で賄える範囲だったのも大きい。

 

 ここで、考えなければならないのは二点。まず、いつ通信制大学に入るか。そしてどこの通信制大学にするのか。

 いつ、に関して言えば、早いうちにやろうと思った。大学院修士1年は自分の研究に加え、ゼミも多く大変なのは聞いていた。また夏休みには日本史で1か月間教育実習に行くことが決まっており、かなり忙しくなることは予想された。ただ、専攻は教育ではなく、修士二年やその先だと自分の研究で手いっぱいになるだろう。専攻と離れたことに挑戦できるのも修士一年のうちだと思い、2020年4月入学を決めた。教育実習のために母校の科目等履修生にもなっているので、三重学籍である。(科目等履修生は複数の大学に在籍することができる)

 

 問題はどこの通信制大学にするのか、であった。私のなかで大事にしていたのは次の点。

・学費の安さ

→一単位あたり学費がかかるが、それ以外にも入学金(?)や受験料など意外と学費がかさむ。国立大学の方が一単位あたり高く、私立大学はピンキリという感じだった。やはり私立は有名校の方が高いイメージ。

 

・スクーリングの有無

→母校の方で科目等履修生にならなかったのは、時間割の都合によるものだった。その為、時間の融通がどれほどきくのかは大事だった。

 

・テスト形式

→私は沖縄と北関東を行ったり来たりしているので、テスト会場に行って試験を受けるのはなかなか難儀であるように感じた。また、何かを暗記するようなタイプの学習は好きではなく、できるだけ論述型の試験なりレポートで評価されたいと考えていた。

 

 

 この三つの基準で探した際、最も適しているのが佛教大学であった。佛教大学、学費の安さも魅力だったが、数年前からオンライン上でテストが受けられること、しかもテストは毎月行われ受験期限が2日あること、(ここからテストが論述形式であると予想されること)が決め手となった。北関東に住んでいるため、できるだけ関東の大学にした方が何かあった時便利かと思ったけれど、スクーリングの予定もないし、単純に京都なら旅行に行きたい気もした。

 

 なお、大学のネームバリューは一切考慮に入れなかった。通信制の有名大といえば、慶應や日大、教育系なら玉川大学が真っ先にイメージされたが、科目等履修生の場合、履歴書に書くわけではないし、取りこぼした単位を取る事しか考えていなかった。

 

3.手続きと思わぬパプニング

 手続きは簡単だった。佛教大学通信学部のパンフレットを請求し、それを見ながらインターネットで申請した。たしか、3月31日とかぎりぎりに行った気がする。その後、必要書類を郵送で送ったり、学費を振り込んだら手続き完了。国立大学は直接申請書類をもっていかなければならなかった為、佛教大学があまりにアッサリしていて不安になった。

 

 想定外だったのは、申請してから入学キットが届くまで二か月近くかかること。早めに申請すればそれだけ早めに取り掛かれるので、さっさと申請すれば良かったなあと思った。

 

 もう一つが単位互換の問題。国語科指導(中高)は8単位必要である。私は母校で国語科指導法のうち5単位を既に取っていた。留学中に開講されていた3単位分を佛教大学で履修できればと考えていた。しかし、どうやら単位互換がうまくいかない。国語科指導法の8単位は同一大学でとった方が良いとのこと。その為、泣く泣く8単位分の申請となった。これは想定外だった……。単位のために学んでいるわけではないけれど、そのことが最初から分かっていれば、卒論書きながら国語教職で苦しまずに済んだのに……とあの一限の日々を思った。学費は単位あたりでかかるので、当初想定していた学費よりも高くついた。

 とはいえ、母校の方で取っていた国語科指導法5単位分の学びが、佛教大学での学びをスムーズにしたことは間違いなく、さらには教育実習でも大変役立ったのでまあ良いのだ……。科目等履修生ではなく、正規生なら単位取り放題なので興味のある科目は受講した方が良いなと思う。

 

 

 

 長くなるので、ここで一旦切る。次回はレポートとテストについて書けたら良いなあ。つづく。

*1:4年生の夏に帰国し、卒論を書きながら授業も履修し、院試を受けるのは楽じゃなかったけれど

*2:附属高校の方が融通がききやすい、私が関心をもっている教育を行っている、大学院の授業と被らない日程で実習ができるの三点が主な理由だった

春学期オンライン授業の良かった点、悪かった点(受ける側)

 


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 秋学期が始まった。春学期は地元に戻っていたけれど、いまは北関東のアパートに戻って、授業を受けている。秋学期もほとんどオンライン授業だけれど、場所が違えば心境も変わる。そう思ったときに、新型コロナウィルスの混乱の中の春学期のことも忘れたくないなと思ったから、ここに記録しておきたい。

 

オンライン授業、受ける側の工夫および良かったこと
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 大学院生になった実感を持てないまま、オンライン授業がはじまった。大学院生なのでほとんどの授業がゼミである。

 その1

 学部生の話題となっていた「課題の多さ」はわたしも実感していた。スケジュール管理が大事なんだと思っていて、うかうかしてると課題の存在そのものを忘れてしまいそうだった。なので、写真みたいにホワイトボードに課題と締め切りを書き出して、冷蔵庫に貼っていた。そのおかげで、課題に追われることもなければスケジュール管理で失敗することもなかった。これは良かった。

 

 その2

 オンライン授業予定もホワイトボードに書いたこと。実家には弟も住んでいて、彼もまたオンライン授業を受けていた。お互いに静かにしたほうが良い時間を把握するためにも、オンライン授業予定を書き出し、冷蔵庫に貼っておくルールを作った。これがあると、授業が始まる前に掃除機をかけようかなとか、弟の授業中は静かにしないといけないからこの時間に買い物行こうかなとか、一日の見通しが立てやすかった。

 

 その3

 これは大学院生として良い点とも言い切れないけれど、比較的多めの履修を組んでいた。授業が無ければ生活リズムがよりひどいことになると自分でも分かっていて、授業があることが日々のペースメーカーになれば良いと思っていた。あと、新型コロナウイルスの関係で実家に戻ったものの、実家があるのは大学から2000キロ以上離れたド田舎。田舎に残っている友人も少なく、たとえ授業であっても人と関わらないと孤立してしまいそうだなと思っていた。授業があったとしてもオンラインだから雑談等ができるわけでもないけれど、それでも気晴らしになっていたことは確かだ。

 それから、通常なら気後れして履修しないような他専攻の授業もたくさん取っていた。(民俗学専攻に対して、言語人類学、文化遺産論、宗教学等々)他専攻といっても、繋がりは十分あるものばかりで。大変参考になったと思う。他の学問領域で論文を書くことはないと思うけれど(書ける気がしない)それでも、そのディシプリンでどんな考え方がなされているのか、学史があるのか。様々なジャンルの論文や専門書が読めるようになることには大きな価値があると思う。

 大学院にも存在している共通科目(総合科目)も、少しでも興味があったら取っていた。たとえば障害科学の授業を取っていた。災害時に障害者が困ることとか、アプリでの支援とか、実生活で役に立ちそうな話ばっかりだった。そして夏休みに行った教育実習においてすぐに役に立ったのだった。

 

 その4

 授業の合間には散歩に行くようにした。運動は大嫌いだったはずなんだけれど、20歳を超えて身体を動かすことにはメリットがたくさんあるって気づいた。何より、気分を切り替えるなら散歩が一番。実家周辺は自然が多く、海も近いため、サトウキビ畑を抜けて海を見に行くのが毎日の散歩コースだった。新型コロナウイルスで世間がピリピリしていた4月頃、このひとときにどれほど癒されたことか。私は高校卒業と同時に地元を離れていて、実家に住むのはそれ以来、かなり久しぶりのことだった。だからか、忘れていた地元の季節感をたっぷり感じる時間でもあった。季節によって、太陽の照り方はこんなにも違うんだ。風の吹き方も匂いも変わるんだって気づいた。帰省中に行う民俗学調査だと目で見て分かること、お話を伺って知ったことに注目しがちだけれど、実際の生活世界はこんなにも複雑なのだと肌で感じた。

 

 その5

 これも良いことか分からないけれど、ドリンクにハマった!オンライン授業だと気軽に飲み物が飲めることもあり、飲み物くらいでしか気晴らしができないこともあり。祖父からもらったパッションフルーツフルーツティーを作ってみたり、無印良品とカルディのチャイを飲み比べてみたり。業務スーパーにもよく行ったし、たくさん試した気がする。ルピシアのフルーツ麦茶も美味しかったな。もちろん、コーヒーもよく飲んでいた。生活の中では当たり前になっていたから、特記することもないと感じるけれど、閉塞感溢れる日々だとそういうちょっとした楽しみに救われる……。

 

オンライン授業の反省

 その1。これは特段オンライン授業のせいじゃないかもしれないけれど、とにかく昼夜逆転はだめ!昼夜逆転が酷かった。5時とか6時、鶏の鳴き声を聞きながら寝ることとかもあった。睡眠不足はメンタルヘルスに直結するので、睡眠時間はしっかり確保しようと決めてるけど、寝るタイミングも大事だと知った。ものすごく知った。同じ7時間睡眠でも、起きたときのすっきり度が全然違う。自分にとってベストは12時から8時、23時から7時あたり。2時を過ぎると翌日の朝ダレる。この辺を知ったので、できるだけがんばりたい……。

 

 

 その2。授業に集中できない。はい、根本的に駄目なやつ。自分でも分かっていることとして、視覚優位な人間なんです、わたし。耳の情報を処理するのが本当に苦手。なので、先生や院生の話にだけ耳を傾け続けると、意識がどっかに飛びまくっていた。対面なら板書なりなんなりがあるんだけれど、オンライン授業、しかもカメラオフだときつかった。さらに、環境としても教室ではないのでダレる要因がたくさん。すぐにスマホ触りたくなっちゃう。

 

 そこでやるようにしていたのは、レジュメを事前印刷しておくこと。(当たり前とか言わないで)オンライン授業、パソコンで受講してレジュメもタブレットで読んじゃえばそこで完結できちゃうんだけど、手間でもレジュメを印刷するようにしていた。そして書き込みながら聞くようにしていた。レジュメがないような授業でも、いつも以上に先生の発言をメモするようにした。いつも以上に、というのがミソで、その意識で話を聞けるようにしていた。

 

 その3。家から出るのが億劫になり、文献を手に入れるのが大変。地元に帰ったものの、新型コロナウイルスの流行状況が悪く、地元の大学は学外者立ち入り禁止、県立図書館も閉館。この二か所が閉まってしまうと、学術書の類は手に取れなくなる。しかも仕方がないから購入しようとも、学術書の類を売っている本屋は県庁所在地のジュンク堂のみ。ジュンク堂にも売ってなく、アマゾンで買おうとしても届くまでに1週間以上かかるわけで、かなーーーり難儀していた。春学期のゼミ発表は基本的に手元の文献で何とかしようとした為、結構荒いものを発表してしまった気がする。仕方なかった点もあるけれど、改善点としては大学の近くに住んでいるうちに書籍をコピーしたり、スキャンしたりしておくこと、気になる本が古本で見つかった時には(財布の許す限り)購入しておくこと、あたりが考えられるかな。

 いまわたしは北関東の大学院に所属しているけれど、将来的にはやっぱり地元に戻って研究を続けたい。そう思った時に書籍をはじめ、研究を続けていく土壌が揃っているとは限らないわけで。できるだけ本は手元に残していくようにしようと思った。蔵書は財産である。ちなみに、春学期の途中に大きめの給付奨学金が獲得できたこともあって、月1,2万は書籍に使えるようになった。図書館が使えないこと、ネットで本を買っても届くまで時間がかかることは変わらないけれど、このことで少しは状況が改善されたかな。

 

その4

 ずっと家に居ると飽きる。わたしは飽き性でずっと同じところに居るのも結構つらい。コロナ前なら、大学の図書館(大学内に4カ所あった)を移動したり、カフェに本を読みに行ったりしていた。実家に戻って唯一可能だったのは、海辺で読書かな。でもこれは太陽が本気を出してくる前までの期間限定のこと。それから、祖父母宅に顔を出しながら勉強していたこともあった。ただ、まあ、もちろん、がっつり集中は難しい。わたしの地元はいまもなお、新型コロナウイルス流行下にあるけれど、カフェに出かけるくらいはできるようになって欲しいなあ……。でもまだ難しいのか……。この点はどう改善できるのか、まだまだ考え中。隣町あたりに有料の自習室とかあれば利用してみたい気もする。

 

 

 

 とりあえず、ざっとこのくらいかな。新型コロナウイルスに脅かされる日々はまだまだ続きそうだけれど、うまいこと付き合っていきたい。

 

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』読んだので感想文

 インスタやFacebookでよく見かけた本を手に取った。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』って本。

 

 

 

 

 英国で保育士として働く著者の息子が「元底辺中学」に入学し、様々な問題や出来事に遭遇していく日々が母親の視点から描かれている。これがまた現代的というか、人種差別、貧困、LGBTQ、いじめ、デモ、ニュースで取りざたされているような出来事がたくさん出てくる。そして、聡明な著者の息子は一つひとつ自分のこととして考えていくし、この進学先の中学校が「元底辺中学」というのが肝で周りの大人もたくさん考えながら子供を見守っている(ように見える)。もちろんそう簡単にならない現実も描かれているけれど。

 

 「話題になっていたし」と手に取ったら、ページをめくる手が止まらなくなって、気が付けば一気読みしていた。その後TAやっている授業の準備があったから、本のことを考えながら大学へ向かったんだけれど、今まであった色んなことが頭に浮かんでは消え、泣けてきちゃった。

 

 例えば、7章の「ユニフォーム・ブギ」。制服を買えない生徒のため、制服リサイクルのボランティアの話だ。著者と息子「ぼく」は、貧困家庭で制服が買えなくて困っている友人に、いかに自然に制服を手渡すことができるか苦心するんだけれど、その優しさが自分にも沁みてくる。

 

 あ、そういえば、と思った。私は中学生の頃、双子の弟と同じアルトリコーダーを使っていた。中学校三年しか使わないアルトリコーダーを一人一本買う必要はない、っていう判断だったと思う。でも、思春期の男女の双子がリコーダ―を貸し借りしている様子は、いじめにつながらないか先生たちはやきもきしていたのかもしれない。ある日、先生が音楽準備室に呼び出して「余っているから」とアルトリコーダーをくれた。その時、私たち双子は何を思ったか覚えていない。「別に良いし」という反応だったかもしれない。不意にこのことを思いだしたのだった。あの時アルトリコーダーをそっとくれた先生の優しさに10年近く経って気づいた。

 

 そしてもう一つ頭に浮かんだのは、最近出会った女子高生のことだ。何かの拍子に彼女に「うち、母子家庭なんですよ」と言われたから、「私も母子家庭で育ったよ」と返した。そしたら「母子家庭なのにこの大学に合格したってすごいですね」と言われた。なんかもうびっくりしちゃって、何も言えなくなってしまった。私の中では、母子家庭と「今居る大学に行けてすごい」がどうにも結びつかないのだった。(ちなみに、「沖縄出身なのにいまの大学に行けてすごい」も言われたことある)私の地元は塾に満足に行けないような田舎だし、本屋もなかった。上のエピソードからも分かるように経済的に恵まれているわけではないから、新品の本を買うようになったのは、奨学金を貰うようになった大学生になってから。(それでもブックオフオンラインやメルカリで買うことがほとんどだ)確かに、そういう面でハンデはあったと思う。でもだからと言って、「母子家庭だから○○大に行けない」って思ったことはなかった。

 

 それはそれまでさりげなくサポートしてくれた大人のおかげだと思う。高校合格祝いにkindleをプレゼントしてくれた友達のお父さんのおかげで、青空文庫が大量に読めた。那覇の県立図書館に行くって言ったら、帰り道だからって送ってくれた先生。(結構な遠回りになっていたことを後で知った)とある文学全集が欲しい話をしたら「使い道のない図書カードだから」とくれた大叔母(使い道のない図書カードってある??ないよね?)(しかもぴったり文学全集が買える金額だった)全部ぜんぶありがたかった。

 

 それと同時に、「母子家庭なのに」と考える高校生のことが気になった。どうしてそう考えるのだろう。大学の入試偏差値とは関係していないような気がする。もちろん多少はしているのかもしれないけれど、彼女とわたしの出身高校の入試レベルはそう変わらないし、さらに彼女は特進クラスに居るわけで、高校生の頃の私より成績も良いのだった。たったひととき彼女と関わったわたしが「大丈夫だよ」とか「そんなこと関係ないよ」とは安易に言えない問題がそこにあるような気がした。わたしはもう彼女と会う機会もない。ただ、自分と同じような家庭で育った子に会った時、何を言えるんだろう。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で「元底辺中学」に入った息子がぶつかる様々な問題は決して英国だから、ではなくて。7章だけではなく(ちなみに言うと、私はそれこそリサイクル制服を着て登校していたし、まわりも当たり前だった)本全体にわたって言えることなのだった。「うんうん、わかるなあ」と思うことも、「この言葉が出てくるのはすごい」と思うこともあったけれど、本を通して素敵なのは、自分の肌で感じたことを自分の頭で考えて、言葉にして、それにまた耳を傾ける人がいるってこと。「私も」と言ってもそう簡単なことではないけれど、自分を熱くさせるものがあった。