雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

5月30日 神農大帝生誕のため授業には行けませんでした

 

 

 5月30日は神農大帝の生誕。ここ数日連続で通っているお寺でも9時から祭祀があるとのことで、行ってきた。

 そうなると、行けなくなるのが朝の中国語の授業である。自分の中で明確な優先順位はあるのだけれども、少しの罪悪感はある。ただ、こればっかりは仕方ない。

 

 授業を主体的に受けるのと、主体的に休むのは近いところにあると思うのは、詭弁かしら。授業は自分自身のために受けるのだから、授業を休んでどうしてもやりたいことがあるのなら、休んでもいいのではないか?そう言ってくれたのは高校の先生だった。面倒くさいから行かないのではなく、自分で意識をもって授業を休んでやる、なんて言っていたのは大学一年生の頃だ。結局根が真面目だから、めったなことでは休まないけれど。

 

 それから、これは一つの要素なんだけれども、火曜日と木曜日に受けている中国語の先生が差別的なことを言うのが嫌である。

 

 

 台湾原住民についてだけではない。スペイン人のクラスメイトに、あなたたちの国はだらしない、とか発言している。日本のことは、まあまあ良いらしい。台湾に住み始めた頃、台湾人はなんて優しいのだろう!?と思っていたけれど、それは私が日本人であるから享受しているものであるかもしれない、と思うようになっている。悲しいことに。台湾国内の台湾原住民に対する無理解、新住民といわれる東南アジア諸国からの移民に対する差別等々、根深いものはある。

 

 私の場合、黙ってさえいれば(時には話していても)日本人に見られないということもあり、「あなたどこの人?」とよく聞かれるのだけれども、「日本人です」と答えると態度が変わるなんてしょっちゅうだ。この前も「え、日本人だったの!?日本は好きだ!このお肉食べなよ、無料だ!!」とサービスしてもらった。このことに対して、「やっぱり台湾は親日国!」と思えるわけでもなく、複雑な気持ちだった。いや、有り難いんだけれども。サービスしてもらったお肉は美味しかったんだけれども。私がマレーシア人なら、ベトナム人なら、台湾原住民だったら、どうだったというんだ。

 

 

 中国語の先生のことは、授業評価アンケートにはっきりと抗議を書くと決めているのだけれども、嫌なものは嫌である。ただ、救いなのは他のクラスメイトも「この先生はおかしい」とはっきり思っているらしいということだ。

 

 

 

 朝のお寺で、おばあちゃんに勧められていただいた仙草ゼリーと愛玉。私の朝ごはん。

 台湾に来た当初は中国語ができれば色んなことが聞けるのに、と思っていた。しかし、実際に中国語で多少なりとも会話ができるようになって思うのは、中国語ができるから聞けるという問題ではないな、ということ。

 あたりまえのことだった。

 簡単に外国人が話を聞けるなら、どうして私たちは日本の大学で「民俗学調査法」の授業があるんだ。それだけ「聞く」ことは難しい。中国語で会話が通じるようになるというのは、スタート地点に立っただけのことである。もしかしたら、「外国人である」ということでまだスタート地点にも立ててないかもしれない。

 

 今日もお世話好きのおばあちゃんが色んな話をしてくれたのだけれども、お祈りの仕方とか、ポエの投げ方とか、そういった基本的なことはもう分かっているんだ……。いや、ありがたいんだけれども!ありがたいんだけれども!!私は道士の唱える御経や、その動きを観ていたいんだ……。おばあちゃんには丁重にお礼を言ったあと、お寺を後にしたけれど、難しいなあという感想だけが後に残った。

 

 私の場合、今すぐに台湾の事例をテーマにするわけではないから、焦らずに、今見れるものを見れるだけみて、ゆったりと構えてみようと思う。ただ、やっぱり一年の交換留学は期間が短すぎる。留学も半分が過ぎてから見えるようになった景色もあって。あと1年、台湾に居られたらもっとしっかり年中行事を目に焼き付けられるのに。

 

 お寺ではまたお昼から道士がお経をあげるらしく、カフェと図書館で時間をつぶす。

 

 私は祈る空間と同じくらい、本がある空間が好きだ。台湾でも本屋や図書館を見かけるたびに入ることにしている。ちなみに、この習慣はどこに行ってもやっていることで、一文字も読めないアルメニアでも本屋に行った。大学のロシア研修では、先生が時間を縫ってモスクワで一番大きな本屋さんに連れて行ってくれた。私はロシア語が読めないのだけれども、それはそれは嬉しかったな。班員もみんな喜んでいて、ああ本を読む人の集まりだと思ったのだった。

 

 閑話休題

 台湾の図書館では、当たり前のような顔をして日本語の本が並んでいるのが面白い。日本語の本があるのは台湾大学の図書館だから、ではなかったんだなという気づき。新住民(東南アジア諸国からの移民)に考慮したコーナーや洋書コーナーは別で作られているのだけれども、日本語の本は他の中国語の本と一緒に並べられていた。それだけ日本語を読める人が多いってこと?台湾で個人経営のおしゃれな本屋に行くと、半分近く日本からの本(翻訳も、日本語の本も含め)であることがある。そういった意味では、台湾カルチャーが取り入れている日本文化は侮れないといつも思っている。ここらへん、中国の方では見られないような気がする。台湾の出版事情も気になることである。

 

 夜は、友達とごはん。

 

 沖縄の子と、沖縄のことを熱く話すのは久しぶりで感動してしまった。彼女と私が志向している「文化」は異なるけれど、共にがんばろうな。

 中国語の環境にいると、日本語を話せるだけで安心してしまうんだけれども、それにしたって沖縄訛り、沖縄の言葉の安心感ってすごい。それから、やっぱり沖縄の子が見る台湾って、また違うよなって思った。沖縄と「内地」と呼ばれる地域でもこれだけ違うのだから、沖縄と台湾の地理的な近さ、文化的な近さを考えると、そうであるべきだと思う。沖縄の子と話すと、日々試行錯誤の連続のわたしだって、私の視点をもって台湾にいること、そのことに価値があるのだと思う。

 

 

 昨日の深夜、ドライヤーで私を起こしたことを気にしているのか、相部屋さん23時半にはお風呂に入っていた。よしよし。今日は良い日。