雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

約1ヵ月、ちゃんと高校に通えた話

 

 教育実習を終えました。

 

 約一か月、関東の高校で日本史を教えていた。大学生活、教職が大きな比重を占めていたから、一つのヤマを越えたんだと思う。新型コロナウイルス流行下、そもそも出来るのかぎりぎりまで分からなかった。それに、毎日の引きこもり生活で体力は落ちていて、1ヵ月の教育実習ができるのか不安でたまらなかった。

 

 ううん、それだけではない。わたしは自分の高校生活が苦しくてたまらなかったから、再び高校に戻ることに不安があった。それなら「何で教職を取ってるんだよ」って話ではあるけど、高校を経て、教育に疑問があったからこそ、教職課程を受けてみたかった。教職課程を履修していくうちに目的は増えたり減ったりしたけど、最初の動機は確実にこれだ。

 高校をクソだと思っていたから、教育で有名な大学の教職課程を「どんなもんか見てやろう」と思って履修していた。そうするうちに、あの頃の自分を救うような言葉に出会ったり、あの頃を思い出してムシャクシャしたり、なんだか面白くなってここまできた。教員になるかは分からない。

 

 自分の高校時代、1ヵ月丸々登校できたのはどのくらいあっただろうか。たぶん、とても少ない。高校1年の1学期を除けばほとんど無いんじゃないかって思うくらい。

 

 でも、立場を違えて向かった高校は案外平気で、案外楽しかった。

 

 もちろん噂に聞いていた通り、実習そのものはハードだった。夏休み期間に手探りで作っていた指導案は全て現場で通用せず、一から書き直したし、SHRの進行も授業も自分がいざやってみると基本的なことすらできなかった。先生ってこんなに視野が広くて、マルチタスクなんだなって知った。

 

 恵まれていたなと思うのは、実習の指導教官と同じ日本史の実習生仲間のことがすごく好きだったこと。自分よりすごい人が目の前に居ること、これはすごく刺激的なことだ。高校生相手の日本史の授業、こんなに作り込まれているものなんだな、と思ったし、それが無性に嬉しかった。(自分にできるかは別)最初の頃はお互いに緊張していたし、自分のだめさ加減にも悩んでたけれど、それでも実習が進むにつれ、どんどん楽しくなっていった。

 

 同じ実習生の小さなミスがやたら面白かった。指導教官の見守るような眼差しがくすぐったかった。生徒が全員帰った放課後、黒板の前で模擬授業をしたこと、指導教官が見ている部活動を覗きにいったらスーツのままでバレーボールしたこと、ずっと笑っていた気がする。

 

 生徒も可愛かった。40人を前にして話し続けるのは正直少し怖さもあった。これは立ってみないと分からなかったことだけど、高校生の感情のパワーはすごいし、高校生は想像以上にこちらを見ている。明るい高校生だったなと思うけど、教室の中には高校生のときのわたしみたいな生徒も居るんだろうなとも思う。教室に居るのがきつい子。

 

 実習生として高校にまた戻ってみると、教室にはたくさんの生徒が居て、わたしもその中の1であったことが思い出される。教室が窮屈でたまらなかった。学校に馴染めないやつは社会に出られないんだという呪いにかかっていた。高校を卒業して、一人暮らしとか留学とかアルバイトとかいろんな経験をして、高校に戻ってみると、やっぱり高校は窮屈である。

 

 でも、教室はあの頃の自分が思ってた以上に広かったなとも思う。いろんな生徒が居て、それぞれにはそれぞれのやりたいこと、考えてること、思ってることがあって。たまたまいま同じ教室に居合わせてるだけの彼らの可能性の広さを感じた。そして、彼らを見守ってる大人の多いことよ。彼らは何にも守られていないみたいな顔して過ごしているけれど、そのすごさよ。でも彼らは数年前のわたしであるし、彼らもあと数年したら働き出すのだと思うとすごい。

 

 教育実習、やって良かった。教職課程の集大成として学びも多かった。それに、そういう経験のひとつひとつが「あの頃のわたし」を救ってくれる。春休み、一番休んでた高1、高2の担任に「教育実習行くんです」って言ったら笑われた。でも「あなたがやりたかったことのフィニッシュなんだから行っておいで」との言われた。いろんな思いがどんどん氷解していく。

 

 最終日には生徒から寄せ書きとビデオをもらった。指導教官たちやHRの先生からありがたい言葉ももらった。わたしは「明るい先生」と言われることが多かった。大学入学以降、そういうことを言われることが多い。それは自己評価とはかけ離れているし、高校の頃そういうこと言われたことはなかった。でも、それだけわたしが楽しそうにしていたってことなんだなと思うと、やっぱり嬉しかった。

 

 自分が高校の先生になるかは分からない。いま自分がやるべきことは大学院生として自分の研究に集中することだと思う。でも、その先に高校の先生になれるかもしれないという可能性、そして自分の研究してることがそこで活かせるということ。そして、(マイナスの理由から)関心をもっていた教育について知れて、そのスコープで社会を少し見れるようになったことは大きいよなあと思う。