雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

留学日記 弾丸帰省 台湾と沖縄の往来の中で


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 私はいま、沖縄行きの飛行機に乗っている。いま飛行機が離陸したから、あと1時間と少しで沖縄に着くだろう。近いものだなぁ、と何度も感じた感慨を噛みしめる。そんなに近い場所でわたしは今、沖縄とは全く違う毎日を過ごしているのだ。

 

 

 台湾に戻ってまだ1ヶ月も経ってないのに、弾丸帰省をする。

 台湾に帰ってからも、弟との台湾一周、沖縄の友達との高雄旅行というように、よく見知った人とばかり会って居たから、沖縄を恋しく思う瞬間は無かった。

 

 

 それでも帰るのは、卒業論文のテーマに選んでいるウマチー(お祭り)が年に一度、明日行われるからだ。

 調査の準備は十分とは言えず、台湾大学での課題のことも考えると、気分が沈む。正直なところ、私が卒業を一年遅らせることができるならばどんなに楽か。でも、やっぱり金銭的な都合ってあるんだよねぇ。

 

 ある先生は、留学と卒論を同時並行に進める必要のある私に対し、こう言ってた。

「卒論を書きながらの留学の方が、目的意識を持って、日々を過ごせるから良いんじゃない?」と。

 

 本当だろうか。

 留学と卒論と、どちらも疎かになるんじゃないかって、わたしは怯えてますよ。

 ただ一方で、台湾と沖縄を往来することには大きな意味があるんじゃないかなと思っている。

 

 台湾でも、つくばでも、沖縄でも、その地に到着して、日常が再開すると、自分が土地に適応していく。例えば沖縄に着いた瞬間、私はかなり訛った日本語を話すけど、つくばでは東京式アクセントで日本語を話す。他にも、満員電車での身のこなしとか、台湾ではMRTで飲食禁止とか、小さな部分で適応している部分は無数にあるだろう。

 

 それだからこそ、わたしはうまく生活をまわしていけるんだ。どれも私であることに違いない。しかしこうした往来の中で、異なる自分が顔を覗かせ、従来適応していたはずの社会に違和感を抱くときもある。

 

 いま、最も感じるのは沖縄と、その他の土地で生きる私の差。わたしは生まれも育ちも沖縄で、アイデンティティの根幹には「沖縄」があったはず。しかし、時々信じられなくなるのだ、私が沖縄の田舎町で育ってきたことが。昔の自分が持っていた価値観が、激動していることある。自分を取り巻く評価も激動している、たぶん。だって、わたしは沖縄に居た頃、本当にトロくて運動もできなくて、音痴だった。笑われていた。

 

 確実に遠くなっていく過去があり、その度に「沖縄」もまた遠くなっていく気がする。皮肉なことだと思う。わたしは「沖縄」を勉強したくて、それが可能な大学に進学したはずで、「沖縄、琉球」を東アジアの視野の中で考えたかったから留学したはずなのだから。また、こうやって「沖縄」を知るために帰って、その「沖縄」との距離を痛感させられるのだから、帰省は痛みを伴う行為でもある。

 

 でも、本当のところで、その「痛み」もまた「沖縄」なのだと思う。私が感じる痛みは、地方出身者にある程度共通する痛みであって、「沖縄」との距離感だって沖縄出身で外に出た多くの先人が書き記している。

 私が明日見させて頂くお祭りも、近代化による生業の変化、若者の流出が問題化している。私だって、流出していく若者の一人だし、それを分かっているからこそ、進路を考えると身を引き裂かれそうな気持ちになる。そう思うと、私の葛藤もまた「沖縄」を構成していく一つの要素なのだ。

 

 だから、沖縄と台湾の往来そのものにもしっかり意味がある。そしてその自分自身の葛藤を見つけて記述しておくことは、沖縄のある側面を記述するすることにもなるのではないかと思う。

 

 と、ここまで書いてウトウトしているうちに、飛行機は着陸の最終体制に入った。窓の外からは那覇の夜景が見える。

 帰ってきたよ、沖縄。沖縄が私にとっての帰る場所であることは、揺るぎない事実だ。たぶん、迎えに来てくれた母と少し話して、夕飯に沖縄そばを食べる頃には、私がいま感じてる憂いみたいなものは、忘れるのだろう。

 また今回の帰省は、中国語の世界から日本語の世界への帰省でもある。日本の航空会社でチケットを取ったこともあり、飛行機に乗り込んだ瞬間から、日本語に取り囲まれる。すごいよ、他人の会話の情報量が多い。気を張らなくてもアナウンスが分かる。そして、それがちょっと変な感じ。

 

 そういうことに気付けるのも、往来の良さだ。飛行機が着陸した。ただいま、沖縄。ただいま、日本🗾