雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

サクラサク

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ご報告

 

前回の記事にもちらっとは書きましたが、私、きのこのこは、無事高校に合格しました。第一志望の学校・学科だったので、合格と聞いたときはとても嬉しかったです。

 

 

でも、今思うこと。

 

私にとって受験とは、何だったのでしょうか?

第一志望に合格し、余裕ができた今だからこそ、そんな贅沢なことを思うのでしょう。今、必死に勉強している同級生に恨まれても仕方ありません。でも、やはり、思わずには要られません。私にとって受験とは、何だったのか?

 中学に入学した頃から、先生方は口酸っぱく「受験」のことを私達に語っていました。中二の修学旅行では、太宰府でおみくじやお守りも買いました。受験のために部活も引退しました。思えば、私達の中学校生活は「高校合格」という一つのゴールに歩んでいたのです。

 3年生に進級してからは、更に学校は受験一色になりました。教室には太宰府のお守りや受験の名言。先生方も口を開けば、受験のこと。授業も受験に出やすいものを中心に行われました。

 そんななか、私はいまいち受験の雰囲気に乗れずにいました。私にとって勉強とは、楽しむもので、娯楽を我慢し、辛い思いをしてまでやらなければならない意味が分からなかったのです。しかしそれは、勉強していない言い訳なのかもしれません。

 昨年の秋頃、「楽をしたい・受験から逃げたい」そんな気持ちで、推薦を出しました。それからは、推薦入試に向けて申し訳ない程度に勉強しました。そして今月、推薦テストを受け、無事合格しました。

 なんだか、あっけないです。もちろん、私の合格は私の運のおかげではありません。なんだかんだ言いつつも検定試験を受け、作文コンクールにも多く出品し、こつこつと実績を積み上げて来ました。委員会にも所属していましたし、部長も務めました。また、たくさんの人のおかげでもあると思います。特に、塾に行っていない私のために、講座を開いてくれた先生や、私を学校の代表として推薦してくれた学校には感謝しています。

 でも、あっけないことには変わりありません。3年間、口酸っぱくいわれ、いつも頭の片隅にあった受験の二文字がここに来て、輪郭を失いつつあります。私は、推薦合格し、本来は喜ぶべきなのかもしれませんが、他の同級生は味わえる大切なものを逃してしまったのでしょうか?

 これから、さらに学校は受験モードになるでしょう。その中で、私は受験についてもう少しだけ考えていたいです。

 

 

 

編集後記

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偉そうにいろいろと書きましたが、やっぱり合格してよかったです。

合否結果が出るまでは、毎日そわそわしていました。

因みに、写真はキットカットと授業で作った絵馬です。神頼みするくらいにあの時の私は、不安でいっぱいでした。