旅行の次の日や行事の翌日が私は好きだ。昨日まですっかり浮かれていたみんなが、すっといつもの顔に戻る日。あの日あんなにも輝いていた太陽も、いつもの気温に戻っている日。そんな日は非日常と日常の境界線がくっきりと見える。私だって、同じようなことの繰り返しにはうんざりするし、旅行は好きだ。でも、非日常には緊張してしまう。つい張り切って、一日が終わるころにはすっかりくたびれてしまう。だからこそ、私はイベントのある日よりもより、その翌日のほうが安定感をもった幸せを感じるのだ。
昨日私は、旅に出た。朝起きて、少し迷ったけれどサトウキビ色のスカートは履かなかった。そして思ったのだ、海に行こうと。私の家は海のそばにある。そもそも、ここは沖縄だ。海のない街の方が圧倒的に少ない。でも、私はいつも見ているあの海の風景では駄目なのだ。もう満足ならない。もっと、もっと、光輝くような海が見たい。そこに行けば自分のなかの何かが変わるような、そんな海でなければ駄目なのだ。
だから、私は旅に出た。ありったけのお小遣いを財布に入れて、旅に出た。フリルのついたスカート履いて、腕には青のブレスレット。私の中のとびっきりのおしゃれをしてやろう。お供は大好きな音楽と文庫本、そしてキャラメル。目的地は、とにかく北にある海。それだけ揃えばもう準備は万端だった、少なくとも私はそう思っていた。
さとうきび畑に囲まれた小さな私の町から、県庁所在地の地方都市へ。私の気分はもう舞い上がっていた。都市にはひっきりなしにバスがやってくる。このバスにさえ乗ってしまえば、私はどこへだって行けるのだ。私がいまだ踏み入れたことのない街がこの世界に一体どれだけあるというのだろうか。一刻も早く、未知なる土地をこの足で踏みたい。北に向かうバスに乗り込んだ私は、この非日常を胸いっぱいに吸い込んだ。私を乗せたバスはどんどん進む。山を越え、街をこえる。アメリカンな基地の町、少しさびれたアーケード通り、ライブハウスが立ち並ぶ音楽の町。なぞの鳥居も不思議なオブジェも、バスはどんどん越えていく。バスの乗客は、外国人の旅行客、大学生の男、そしておばぁちゃん。高校生は私以外にいなかった。なんせ、平日だ。童顔ゆえに中学生と間違えられる私は、道行く人に二度見されてばかりだった。しかしその視線さえも、私には心地よい。私の体が北上することで、私は私の身分さえも越えられた気がしたのだ。
そして気が付いたら、私はまたさとうきび畑に囲まれた小さな海の町にいた。私が待ち望んだ北の町。迷わず降車ボタンを押して降りる。待ち望んだはずの海は汚く、どこか濁っていた。どこかの小学生が遠足で海に来ていた。先生がときおり吹き鳴らすホイッスルの音が、胸に刺さった。
海岸の端で私はビンを投げる。中に手紙を入れたビンである。ここにはいない人への手紙。しかも宛先も不明である。どうすればいいのか見当もつかないから、私はこうして海へ託す。世界中につながっている海はとてつもなく広いから、地球をこえたどこかへもきっとつながっているのだと信じた。いきおいよく投げたはずのビンは、波の流れに沿って岸のほうへと流れてきた。海岸のゴミについてはうるさく言われていたのだろう小学生が、何か言っている。私の思いを込めた手紙は、このままでは彼らに拾われてしまう。遠いどこかへ届けたくて、手紙をしたためてきたのにそれじゃああんまりだ。手紙のビンをどうにか拾いだし、もう一度沖へ投げようかとも思った。きっとビーチに投げ込むからいけない。岬や船上などもっとふさわしい場があったはずだ。
しかし、それも叶わない。私は着替えを持ってないのだ。海の中に入ってしまったら濡れてしまう。しかも、ここらは田舎だからこれといった店も無かった。仕方がないから、ただ岸へ岸へと流れてく手紙のビンを眺めていた。そして考える、私はいったい何がしたかったのだろうかと。そもそもだ、ビンに手紙を入れて海へ流すなどロマンチックすぎではないか。どこか自分に酔っているように思われても仕方がないくらいだ。それだけではない。どうして私はこんな遠い北の町にまで来てしまったのだろう。
手紙を流したかったから、北の海へ行きたくなったのか。それとも北の海へ来たから手紙を投げ込んでしまったのか。本当はずっと気づいていた、たぶんこの土地には何の意味もないのだと。それに、海に投げ込んだ手紙にもきっと何の意味もない。私は、北の海を見たかったのではない。手紙を海へ投げるとかいった、センチメンタルに酔った行為をしたかったわけでもない。ただ単に現実から遠ざかりたかったのだ。
毎日毎日学校の机と家の机の往復で、私はホトホト疲れていた。センターまであと数百日と大きく書かれた掲示板を目にするたびに私は何かに急かされているような気になる。
「本当はまだ走りたくないのに」なんて甘ったれたことを言える時期はとっくに過ぎたのだろう。部活動だって最近何だか振るわない。高校生活最後のコンクールを前にして、実績を残せる自信なんてどこにもないけれども、「楽しければそれでいい」と言い切れる思い切りもなかった。明日も学校、明後日も学校、梅雨は続くし、憂鬱な日も続く。私はどこかへ旅に出たかった。甘えと言われてもいい、ただ学校と家以外のどこかへ行きたかった。手紙だってそうだ。誰にも言えない胸の内を手紙に託して海へ流せば、きっと何かが好転するに違いないと信じていた。
現実はどうだ。バスに揺られてたどり着いた北の町。海は近所の海より濁っていた。手紙もきっとどこにも行けない。私には小学生の手によってゴミ袋へ投げ捨てられる手紙の行方がありありと想像できた。それに私は明日こそ学校へ行く。またあの日々の繰り返しだ。日常っていったい何だろう。遠出をした今日は非日常なのだろうか。
濁った北の海で数時間過ごしたあと、私は南へ向かうバスに乗った。また基地の町も、音楽の町も何もかも超えていく。数時間前に通った風景と全く同じもののはずだが、それは異なるものとして私の眼には写っていた。途中、神社が見えたから途中下車した。近くに高校でもあるのだろう、制服を着た高校生が大勢いた。胸が少しだけ痛んだけれど、気にせず私は手を合わせる。「残りの高校生活を楽しく過ごせますように、進路が決まりますように、心穏やかな毎日が訪れますように」そしてまた、バスに揺られる。私の家は南部の端だ。
雨音がだんだん激しくなっていく。運動部はインターハイを前にして熱心に活動している。雨音にも負けず文芸部室にも届いてくるかけ声。そう、私はいつもの日々に帰ってきたのだ。今日も散々な一日だった。体育の卓球ではあまりのどんくささに笑われてばかり、数学の追試の点数はグロテスクとしか形容できないものだった。しかし、なぜだか私の心はすごく晴れ渡っていた。
私はイベントの翌日が好きだ。帰ってきた日常の安定感、肌になじんだ空気、それらは私を寛容な心で受け入れてくれる。またすぐにそんな日々が嫌になるのかもしれない。しかし、それでもきっと私はまたこの日常に帰ってきたという幸せを感じるのだろう。