3月4日
私が留学している台湾大学では、今が新学期。まだまだ学校の雰囲気は浮かれていて、特に今学期から留学をはじめた子たちから、
留学先でサークルに入るべきか?
サークルに入ったほうが語学は伸びるんじゃないの?
という声が聞こえてくる。
その度にわたしは先学期、やっていたヨガのことを思い出す。
結論として、わたしはやって良かったと思っている。
私がやっていたヨガとは、寮のヨガクラスであった。毎週火曜の1時間だけ、寮のラウンジでヨガをした。過去形なのは、このヨガクラスが期間限定であり、今はもう行っていないからだ。冒頭に貼ったのは、今学期の募集要項。そういう意味で、サークルとは少し違うかもしれない。けれども、授業とは切り離されたかたちで、他学年多国籍他学科の人と一緒に活動できる、という意味ではそう大差ないんじゃないかと思っている。
私はヨガに前から興味があった。お世話になっている先生からもヨガの話を時折聞いていたし、友達もヨガを習っているし、台湾にせっかく来たのだから東洋的なことをしたいなと思っていた。(日本も東洋なのに)
本当は太極拳を習いたかったけれども、朝早く起きられないことから諦めた。公園でやっている爺さん婆さんに混ぜてもらいたい気持ちもあったけれども、台湾語(北京語とは異なる)が分かる自信はない。
そういう訳で選んだヨガ。
このヨガ、かなり苦しかった。
私にとっては、まさに三重苦ヨガ。
まず、聞けない。ヨガはインストラクターが来て教えてくれる。その時使われる言語はもちろん、中国語。聞けない。最初の頃は、「立ち上がって〜」とか「右脚を伸ばして〜」とかそういう指示さえも分からなくてパニックだった。
しばらくして耳が慣れてくると、そうした指示は大体分かるようになるのだけれども、それでもどうしても分からない言葉がある。突然「台北101」がどうたらとか、天がどうたらとか言っている。挙げ句には「ナマステ」と。私以外の学生も同時に「ナマステ」とか言うから、この時間はちょっと怖かった。
どれだけ聞いても分からないので、最終的に先生は宇宙の話でもしているのだと思うことにした。だってヨガだし。多分、ありがたいお話をしているのだろう。
2つ目が「見えない」こと。
申し込み当初は全く考えもよらなかったけれど、想像以上にハードなヨガの時間、眼鏡なんてかけられなかった。逆さまになったり、大きく動いたりでどうしても眼鏡がずり落ちるのだ。
仕方がないので眼鏡を外して受けていると、今度は見えない。当たり前である。私の視力は両目で0.3〜0.5程度。日常生活は何とかなる程度ではあるけど、インストラクターの大まかな動きしか見えない。中国語が聞けない以上、目からの情報が頼りにも関わらず。
3つ目が「できない」こと。
次第に耳が慣れて先生の指示が聞き取れたり、教室の前に陣取って先生の動きが見えたりしても、これがいちばんの問題だったりする。ま、できないのだ。
ヨガって穏やかなイメージだった。綺麗な女性が、朝焼け照らす公園でスムージーを飲みながらやっているような。スポーツというより、瞑想術に近いような。日本でヨガを習ったことがないから何とも言えないけれども、少なくとも私が習っていたヨガは全くそんなことなかったね。
よく知っている「りんごの木のポーズ」や呼吸法をやっていたのは、最初の方だけ。どんどんハードになっていくヨガクラス、突然ブリッチしたり、そこから立ち上がってみたり。なんだここは、体操教室か???
先生は私ができてないのは、言葉がうまく通じてないからだと思って英語で教えてくれることもあった。しかし、言ってることがわかっても、できないものはできないのだから、ほっといて欲しかった……。(先生、ごめんなさい)
最後の方は、もう誰もできないポーズばかり。できなすぎて笑いが止まらない。見渡せば他のメンバーや、先生までも笑っている。ニヤニヤしながら、柔らかく、筋肉のついた身体を見せつける先生。なんなん、この場は……。
しかし、それでも最終的にやって良かったと思えるのは、ある中国人のおかげだと思う。
いつも一緒にペアを組んでいた彼女は、四川省からの留学生。
わたしの拙い中国語にも耳を傾けてくれて、「大丈夫、あなたの中国語は先週よりうまくなっている」と言い続けてくれた。
わたしは言ったとおり、聞けない、見えない、できないで、大変トロいのに「一緒にやろう」とか、「前の方でやろう!」とか、世話を見てくれたのも彼女だ。
私より、2つ年上の彼女はお姉さんみたいだった。わたしは日本に居たとき、外国人にこんなに優しく出来ただろうか?と思った。
また、ヨガそのものもハードでこそあれど、そんなに嫌いではなかった。人より歩みが遅くとも、以前出来なかったことが出来るようになっていくのは楽しい。
ゆっくりと身体を動かしているはずなのに、普段使わない筋肉を使っているからか、必ず翌日は筋肉痛になった。瞑想の時間も嫌いじゃなかった。日常生活のなかでは何か暇ができると、すぐにスマホをいじってしまうから、目を閉じて、心を無にする時間なんてない。
身体を動かして、そして休めて、身体の声を聞こうとする時間もまた、豊かなものだと思っていた。
留学に限らず、新生活の良いところは、新しいことを始められることだ。
ヨガとは言えども、運動が大嫌いで、体育の時間が苦痛でしかなかった自分が、まさか自ら運動することを選ぶなんて。新しい発見だった。しかも、それが大変ながらも悪くなかったのだから、自分で自分のキャラを決めずに挑戦はするものだ、と思う。
だから、中国語能力云々関係無しに、せっかくの留学生活、何かに飛び込んでみたら?と思う。
それは自分自身にも言い聞かせている言葉であって、実際に私は今日の授業後には教育大学の方のオカリナサークルを見学してきます。音楽もずっとやりたいなと思いつつ、やるタイミングを逃し続けてきたものだから。