雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

半年寝てたんだと思う

 

 近況、修論抱えてるくせにダメダメです

 

 なんかもっと大声で、いまのわたしがダメであることを言ってしまった方が良いんじゃないかって気がしてきた。

 

 環境のせいにはしたくないけど、やっぱり沖縄帰ってきてとてもしんどい。コロナは延々と続いてるし、家に帰ると大病してる母がいる。特に冬の頃、母との関係は決して良いとは言えなかった。母はこのブログをおそらく読んでると思うし(ハーイお母さん、見てる?)やっぱり家庭のことを書いてしまうのはどこかで躊躇する気持ちがあるので、今は具体的に書かないけど、本当にどうやったら救われるんだろうっていう状況だった。

 神経質な母が大病したことと、この世界的な感染症と、そもそも片親であったことと(なんなら父も病死してる)、母と弟とが不仲であることと、その全ての組み合わせが最悪である。 

   

 コロナによって大学院はずっとオンラインだったこともあって、母が大病したとの連絡を受けた際関東に居たわたしは、沖縄に帰ろうと思った。病院の送迎とか家の家事とかできることはやろうと思ったし、それができる立場にはあった。それまでしていた友達とのルームシェアは名残惜しかったけど、沖縄でも研究は続けられると思ってた。甘かったけど。

 

 病気をした母には余裕がなかったんだろうと思うし、母とは大学生活で物理的に離れてたから忘れてただけで自分の母はもともとそうだったのかもしれないけど、沖縄に帰ってからの生活で私は母にめちゃめちゃに傷つけられた。(傷つけられたというのは私側の視点であるし、おそらく私も母を傷つけてるんだろうけれど)

 

 母と弟と私、家族3人のうち、毎日誰かが泣いてるし毎日怒鳴ってた。大学生になってから誰かが怒鳴る場面に遭遇することはほとんどなかったから、とってもストレスだったし、わたしもイライラすると怒鳴るようになってしまった。恥ずかしいけど、いくら説明したって伝わらないし、怒鳴られたら怒鳴りたくもなる。そのあとに怒鳴った自分がとっても嫌になる。

 

 そのあと話し合いをして家庭状況も落ち着いた。その頃には母の治療も落ち着いた。

 母の病気は母のせいでは決してない、それそのものはとても残念なことである。でもその苦しみは私のものではない。そう思うようになったのも良かったと思う。最初の頃は、「大病してる母にこんなこと言ってしまった」という罪悪感でぼろぼろだったけど、一旦切り離して考えるようにした。(ここで不満が増えるようにもなった)

 

 ところがだよ、状況はだいぶ改善したのに、自分自身の気力というものが湧いてこないのだ。なんかずっと疲れてしまっている。

 

 沖縄に帰ってきて、家の事情とコロナの環境とでも研究を続けられるように工夫はしてきた。大学院のほうはオンラインで対応してもらってるし、沖縄の大学院にも科目等履修生として受け入れてもらっている。沖縄の友達とも時折会って、甘やかしてもらってる。すでに関係ができてた調査地では祭祀の参与観察もさせてもらっている。不幸中の幸いとでも言うべきか、母が外出しないので母の車を自由に使わせてもらってもいる。自分から提案して、大学院同期でも定期的にオンライン進捗報告会したり、沖縄の若手で交流会したりもした。その間に給付奨学金の継続も決まった。年間100万円の給付は、人文系修士ではこれ以上にないんじゃないかっていうくらい恵まれている。

 なのに、肝心の自分の気持ちがもうついていかない。自分でもびっくりしている。

 

 私はさ、体力こそないけれど、今まで結構気合いでなんとかしてきたタイプだった。経済的に困窮はしていたけれど、奨学金の申請書を書くのがまあまあ上手かったり、制度を利用するのが上手かったので、自分のやりたいことを曲げたことなんかなかった。だから、今回もなんとかなるだろうと思っていたのだ。

 

 でも今回のことで分かった。「気合い」とか「頑張り」とか「努力」とかいうものも、出る時出せる時とそうじゃない時とがある。たったアレだけで?って感じだけど、私はいま「気合い」で何とかできないくらいには疲れ切っている。しかも数ヶ月単位で。

 

 研究や専攻分野のことを面白いと思っていたから大学院に進学した。学部の頃は大学不登校みたいな人の気持ちが分からなかったけれど、今なら分かる。大学院、今となってはとても怖いもん。ちょっと前までは色んな指摘を本気でありがたいと思えてたし、「こんなことも見えるかもしれない」と思うとやっぱりわくわくした。あの頃の私はどこに行ったんだろうか……。そしてそんな自分に本気でショックを受けている。自分の好きな自分で居られない状況はとてもきつい。

 

 手当り次第に読んだヤングケアラーの本にも経験者の記述があったんだけど、大学院とケアラーの両立は大変。これが学部や高校だったら別の大変さはあれども、自分の性格的に何とかなったんじゃないかなって気がする。目の前の課題はそれなりにこなせる。大学院の講義にも出席してるし、そこそこにゼミ発表をしている。でも、先が見えないなかで中長期的な自身の研究を進めるとなると、難しさがつきまとう。(これは単純にわたしが大学院向いてなかっただけな気もするけど、自分と似た境遇の人を知ってどこかで救われる気持ちだった)普段の授業だけでなく、行政調査の書き起こしや学会発表、なんなら学振書類まで、満足できる出来ではないけどこなしてはいるから、修論もなんとかなると思われてる気がする。

 

 でも沖縄に帰ってきて、半年以上、たぶんずっと寝てたんじゃないかってくらいの進捗。寝てたってことにしようかな。実際、たくさん寝ている。自分まで病気になったらダメだって思って、一日7時間から8時間は寝るようにしている。睡眠の質は悪いのでなんなら16時間寝るときもある。眠れなくなったこともあるけれど、そのときは日中でカバーするようにして、結果としてベットにばかり居る生活だった。そのおかげ?でとりあえず、自分自身は健康である。ただ、疲れてる。これも症状としてのメンタルの沈み方(あの焦燥感と死にたくなる感じね)ではなくて、ただ無気力なだけ。本格的に鬱々としてるわけじゃないのはよく寝てるからだと思うので、この半年の自分の行動で褒められるのはそこだけだ。

 

 とりあえず今年で何とか修了したいので、やれるところまでは粘りたい。どうやったら気持ちというものは復活してくれるのでしょうかね……。とりあえず、いい感じのコーヒー屋で民俗学の入門書開くふりをしてた。(このコーヒー屋、普段は教会で週に2日だけコーヒー屋となるんだけれど、とても落ち着く空間で、思わず久しぶりにブログを書いてしまった。)


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